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2007年10月22日
フィレンツェ探訪 第10回 トスカーナはワインのふるさと
イタリアにはさまざまな美味しいものがありますが、忘れてはいけないのがワイン。なんといってもイタリアは、ワイン生産量でフランスと世界1~2位を争うほどのワイン大国なのです。
イタリアは全土にわたって気候がよく、ワイン用のブドウ生産に適しているため、各地方に自慢のワイン銘柄があります。数多いイタリアワインの産地の中でも特に有名なのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方ではないでしょうか。温暖な気候を生かして、トスカーナではさまざまなワインがつくられています。
今回、その中でも特に有名な産地の一つ・キャンティ地方のとあるワイナリーにお邪魔してきました。フィレンツェから車で1時間ほど。広大なブドウ畑が広がる中に、ワイナリーの建物が見えてきました。

ワイナリーの所有する畑がはるか彼方まで続いていました
案内してくださった方によると、ここは非常に歴史のあるワイナリーで、570年以上もの伝統を誇っているそうです。キャンティ地方だけでなく、イタリア国内に別のブドウ畑を所有しており、気候の違いにより異なった味わいのワインをつくっているのだと教えてもらいました。
ブドウ畑を案内してもらったとき、ワイナリーの方が「向こうにシエナの町が見えます」と言いました。目を凝らすと、ブドウの葉の緑のはるか向こうに、町らしきものが見えました。

左上の方にうっすらと見える建物がシエナ市街だそうです
キャンティ地方のワインの中でも産地など厳しく定められた条件を満たした特別なものは「キャンティ・クラシコ」を名乗ることができます。このキャンティ・クラシコのシンボルとなっているのがガッロ・ネーロ(黒い雄鶏)。このマークの由来に深く関わっているのがこのワイナリーのある土地なのだそうです。
時は中世。イタリアの各都市がそれぞれ別々の国だった頃、隣国同士だったフィレンツェとシエナは領土を争っていました。あるとき、2つの町はこんな取り決めをします。「それぞれの町の騎士が一番鶏が鳴くと同時にスタートして相手の町を目指し、2人が出会ったところを領土の境界線とする」。そこでフィレンツェ側は一計を案じました。用意した黒い雄鶏にわざと餌を与えず、お腹をすかせるようにしておいたのです。果たしてフィレンツェの雄鶏は夜明け前に空腹に耐え切れず鳴き始めました。おかげでフィレンツェの騎士はシエナの騎士を大きくリードし、なんと2人が出会ったのは町並みが向こうに見えるほどシエナに近い、このワイナリーが立つ土地だったとか。このエピソードが元になり、キャンティ地方では現在、黒い雄鶏を最上級のワインのシンボルとして使っているわけです。

シエナとフィレンツェを結ぶ街道沿いにあります

ワイナリーの中には古代ローマ時代からあるという古い街道が走っていました。もしかしたら、シエナの騎士はこのへんの石畳の上で地団駄踏んで悔しがったかも・・・。
ワイナリーでは貯蔵庫も見学してきました。案内してくださった方いわく、「昔はとにかくたくさんつくることが重要だったが、今は量は少なくても品質の良いものをつくることにこだわっています」とのこと。それに合わせて使用している樽も大きさを変えたりしているそうです。500年以上続くところでも、時代に合わせてスタイルを変えているのだなあと感心。

見学用コースにあった樽
さて、いよいよ試飲です。イタリアには、サン・ジョヴェーゼなど長い歴史を持つイタリア独特の品種のブドウがたくさんあります。それだけでなくカベルネ・ソーヴィニョンとかメルローといった、フランスワインでおなじみの品種も栽培されており、さまざまな個性を持つワインが生み出されているそうです。私も、ワインに詳しい同僚の隣に座ってみようみまねでテイスティング。じっくり見て、香りを感じて、味わうと、同じワイナリーでつくられたと言ってもそれぞれのワインがとても個性的なものに感じられます。

個性豊かなワインのテイスティングは楽しいですね
長い伝統と新しい取り組み。イタリアワインは相反することを両立させて、まだ進化を続けているんだなあと感じた、ワイナリーでの時間でした。
ブドウといえば、ブドウの収穫の時期によくつくられる、こんなお菓子があります。


スキャッチャータ・コン・ウーヴァといいます。スキャッチャータというのはフォカッチャを潰したもの。ウーヴァはブドウのこと(コンは英語で言えばwithに当たります)。生地の中にブドウがたーっぷりつまったものなんです。

こんな感じのブドウでつくるそうです。
材料もパン生地に砂糖、ブドウ、オリーブオイルなどと、いたってシンプル。でも、しっとりとした食感とブドウのおいしさを存分に楽しめる伝統菓子です。ブドウの産地らしい、そして旬の味覚に恵まれたトスカーナらしいお菓子ですね。
2007年10月17日
フィレンツェ探訪 第9回 「百塔の町」サン・ジミニャーノ
ずっと前、たぶん学生時代だったと思いますが、夜中にテレビでやっていたイタリアの番組を見て感動したことが何度かありました。今でも鮮烈に覚えているのがシエナで行われる「パリオ」という競馬のお祭り。なにしろ、ほとんど“暴れ馬”に近い馬に猛者ぞろいの騎手が乗り、町の中の狭い広場を猛スピードで駆け抜けるという、すごい祭りだったからです。それからもう1つが町中にたくさんの塔がそびえるサン・ジミニャーノという町のこと。狭い中世の町並みの中に何本もの塔が建っている、不思議な景観の町なのです。今回、そのサン・ジミニャーノを訪れることができました。

サン・ジミニャーノの歴史地区はフィレンツェ中心部同様、世界遺産に登録されています。町は城壁で囲まれており、フィレンツェと違ってその城壁もしっかり残っています。街並みも建物の屋根にテレビアンテナがついていること以外はほとんど昔のままで、ある意味フィレンツェ以上に時間を超えて中世にやってきたような気分になるところでした。

イタリアの2ユーロに肖像が描かれているあのダンテも、サン・ジミニャーノにフィレンツェの大使としてやってきたことがあるそうです。
この町では13世紀、町の貴族たちは教皇派と皇帝派の2派に分かれて争っていました。その中で一番の権力を握ったものは高い高い塔を建てました。塔は権力の象徴とされており、彼らは競ってより高い塔を建てようとしたのです。最盛期には狭い町の中に70以上の塔があったと伝えられています。長い歴史の中で多くの塔は失われてしまいましたが、今現在も14の塔が残っています。

その中でも、市庁舎として使われていたポポロ宮殿にある塔は最も高い高さ54mを誇ります。観光客が立ち入ることができるのはこの塔だけなので、せっかくですから上まで上ってみました。

塔の中身はがらんどうに近くて、まるで巨大なサイロの中を上っているようです。部屋も何もなく、本当に「高くするだけのために作った塔」という感じでした。その中に、非常階段のように下がメッシュになった鉄製の階段が取り付けられています。足下を見ると何十メートル下が透けて見えるので、けっこう怖いです。屋上に出るところだけはハシゴになっています。長い階段を上ってきて疲れたのか、ドイツ語を話す年配の方のグループがはしごの近くで休んでいて、道を譲ってくれました。
屋上に出て感動しました。小さなサン・ジミニャーノの町の赤い屋根が、眼下に円形に広がっています。そしてその向こうには豊かなトスカーナの緑の大地がはるか彼方まで広がっているのです。そのコントラストが鮮やかで、言葉が出ませんでした。

反対側に回ると隣の塔がすぐそこに見えます。塔の屋根では鳥たちが羽を休ませていました。

赤い屋根の下にある街路も上から見るとわずかに蛇行していて、城壁に囲まれた石造りの建物が密集したこの町が、不思議と人工的なものに見えなかったのでした。

この町には、世界チャンピオンに輝いたジェラート屋さんがあります。イタリアでジェラートを食べると、どこへ行っても美味しいんですが、やっぱり世界チャンピオンの店のものも美味しかったです。しかも、親切なことにメニュー表は全部日本語訳付き。

カップやコーンを大きさ別に選ぶこともできます。私は2ユーロのカップに2種類のフレーバーを入れて食べたのですが、どちらも素晴らしい!あまりに気に入ったので、帰りがけにもう一度2ユーロのカップで別なフレーバーを試してみてしまったのでした。
2007年05月11日
シンガポール出張記 第5回 元祖シンガポール・スリング
シンガポールといえば、カクテルに「シンガポール・スリング」というものがありますよね。ジンベースで、チェリーブランデーやレモンジュースなどを使ったきれいなピンク色のカクテルです。あれはきっとシンガポールが発祥の地だからつけられた名前なのに違いない!と考えた私は、社内のシンガポールへ出張するスタッフに「ぜひ元祖シンガポール・スリングを飲んできてほしい」と頼んでおきました。
そしてついにその元祖シンガポール・スリングの写真を入手しました。これが正真正銘、発祥の地・ラッフルズホテルのシンガポール・スリングです!

1杯20シンガポールドル(約1600円)
そもそもシンガポール・スリングは1915年、シンガポールでも最高級の名門・ラッフルズホテル内にある「ロングバー」で誕生したものです。鮮やかなピンク色は、同ホテルを愛用していた文豪・サマセット・モームも絶賛したシンガポール湾の夕景を表現したものだそうです。
ちなみに、テーブルの上にある豆のようなものはサービスの落花生。落花生のカラを床に捨てながらお酒を嗜むのが、この店での作法です。なのでロングバーの店内は、落花生のカーペットを敷き詰めたようにカラがたくさん落ちてるんですって。
しかし、やっぱり元祖シンガポール・スリングは美しいですねー。実際に味わってきたスタッフに感想を聞くと、「日本で飲むものより甘いんですが、後味がとてもさっぱりしてました」と言ってました。

ちなみにこれがラッフルズホテル。世界的にも有名な高級ホテルだけあって威風堂々とした構えです

そしてここがロングバーの入り口
ラッフルズ・ホテルのすぐ近くにあるサンテックシティーモールには、「ロイズ サンテックシティーモール店」があります。お近くにお越しの際には是非お立ちよりください!
2007年04月27日
シンガポール出張記 第3回 フランベするコーヒー
シンガポールでロイズのスタッフが食事をしたときのこと。お店のお姉さんが「ウチの店のスペシャルなコーヒーがあるんですが、試してみませんか」と声をかけてきました。珍しいものが大好きなロイズ一行は、“スペシャルな”ものと聞いたら黙っていられません。一も二もなく注文してみることになりました。
スペシャルなコーヒーは、お客さんの目の前でお店のお兄さんがつくってくれるもののようです。材料はコーヒーのほかにオレンジとライムのピール、コアントロー、コニャック、グランマルニエ。お酒はロイズのお菓子に風味付けで使ってるものも多かったので盛り上がります。

お兄さんはお酒と果実のピールを器に入れると・・・

おもむろに火をつけました!ちょっと写真だと分かりづらいのですが、結構火の勢いが強いのでびっくり。

お兄さんがお酒やピールをすくいあげてアルコールを飛ばします。もちろん火がついたままなので、炎が立ち上り、迫力があります。

カメラを向けるとポーズをとってくれたり

最後にコーヒーを注いで火を消しておしまい。これが完成したところ
飲んでみると、ちょうどアルコールがいい具合に抜けていて、フルーツのピールや洋酒の香りがたっぷり残っていて、とてもおいしいコーヒーだったそうです。洋酒を使ってコーヒーを飲む方法は世界にいろいろあるそうですが、ここまで豪快なものはなかなかないんじゃないでしょうか。
余談ですが、このお店と同じビルには日本でおなじみの有名焼肉チェーン店や、メイドカフェまであるそうです。さすがは国際都市シンガポール!
2007年02月09日
ドミニカ共和国出張記 第3回・ドミニカ共和国の食べもの
ドミニカ共和国で広く食べられているのは「yuca(ユカ)」と呼ばれる芋の一種。キャッサバともいい、タピオカの原料になるものです。お店に行くと山盛りで売られていて、一山が日本円にして50円ぐらいと、とても安いのです。実際に食べてみたロイズ開発担当の谷口によると、長芋のような味で、でも長芋とは違う独特な歯ざわりがあります。細かく切って、ゆでたり炒めたりして食べるもののようです。

これがyucaです
それからご飯。ご飯自体は日本で食べるものよりも細長いもので、豆をたくさん入れて食べます。料理によっても異なりますが、パラッとした状態で食べたり、ソースをかけてたべたりします。このソースにも豆がよく使われています。ドミニカ共和国の料理にはこのように豆がたくさん使われているそうです。谷口は海外に出かけて食べた食事の写真をよく撮っているんですが、確かに今回はどの写真を見ても豆を使ったものばかりでした。

豆たっぷりなご飯
主食以外は、普通の肉や野菜を食べました。牛肉は脂身が無いのにとてもやわらかくて、おいしいものでした。ただ、レストランなどで食事を注文すると、日本のレストランで言えば2~3人前ぐらいの量が出てくるそうです。「いくらなんでも、こんなに食べられるはずが・・・」とあたりを見回した谷口の目には、あっさり全部食べてしまうドミニカの人々の姿が飛び込んできたそうです。

宿泊先の近くのスーパーの様子

スーパーではその場でキャベツを千切りにしてくれるそうです
ロイズには単一の国のカカオでつくり、特徴を際立たせたチョコレート4種類を詰合せた「ロイズオリジンチョコレート」があります。4カ国の中にはドミニカ共和国のものもあるんですが、とっても特徴的な味で私も気に入っています。ぜひ、お試しください!
2006年12月15日
カカオのワイン
以前、中米ドミニカ共和国に出張したロイズのスタッフが、こんなものを見つけました。
スペイン語でVINO DE CACAO、つまりカカオのワイン??
現地に行ったスタッフによると、このワインはカカオの「パルプ」からつくられているそうです。チョコレートの主原料・カカオ豆は、カカオポッドと呼ばれるカカオの果実の種の部分です。種があるからには当然、果肉の部分もあるわけで、その果肉の部分をパルプと呼びます。カカオの場合、チョコレートの原料に使うのは種(カカオ豆)の部分なので、パルプを取り除いて種を取り出すのですが、カカオのパルプには粘り気があってカカオ豆にからみついているので、醗酵させてカカオ豆から分離します。醗酵にはカカオ豆の渋みや苦味を減少させる効果もあります。
この白いものがパルプ
このとき、パルプに含まれている果汁から炭酸ガスとアルコールが発生します。お酒をつくるときも果実や穀物を醗酵させてアルコールをつくりますが、それと一緒ですね。
気になる味はどんなものでしょうか。実際に飲んだ本人に聞いてみると「香りも味も・・・ひとことで言えば梅酒に似てました」と話していました。そういえばなんだかグラスに注いだときの色も梅酒っぽいかもしれませんね。
2006年08月04日
台湾出張記 <下>台北市内を縦横無尽
台北の人々の交通手段で特徴的なのはスクーター。車で大混雑した町をスクーターがスイスイとすり抜けていきます。しかも乗ってる人数が日本と比べて若干、多め。2人、3人が1台のスクーターに乗って走っていきます。今回、見た中で一番多かったのは大人2人、子供2人の4人乗り。スクーターって、こんなにたくさん乗れるんだ!とビックリするような光景でした。
一方で、公共交通機関も発達しています。MRTと呼ばれる新交通システムがかなり整備されていて、いつ乗っても人でいっぱいでした。地下鉄形式の部分と高架になっている部分とがあり、台北市内を縦横に走っています。終点からもう一方の終点まで乗っても60元(約210円)と運賃もリーズナブルです。
台湾ではいろんなものを食べましたが、中でもショッピング・グルメの街・永康街(ヨンカンチエ)にはいろんな店が並んでいました。台北はやはり中華料理が多いですが、タイ、ベトナム料理のお店も目立ちます。基本的に薄味がお好みの方が多いらしく、スーパーに行っても日本と同じ野菜や味噌、しょうゆ、豆腐など、日本と同じような食材が並んでいるのを見かけます。でも、油断しているとたまに超激辛なものが混ざっていてビックリします。
ちなみに、この写真は永康街で入った小龍包で有名なお店・群香品。小龍包を頼んだら、「えっ?それだけ??」と思ったらしい店員さん(流暢な日本語を話してました)にいぶかしげな顔をされたんですが、台湾の人はけっこうたくさん食べられるのでしょうか。肉汁たっぷりの小龍包はまさに絶品!やけどに注意しながら、おいしくいただきました。
中国語が話せないので、同僚たちに「ちゃんと帰ってきてくださいよ」とからかわれたんですが、意外と日本語が通じたので良かったです。台湾の人は「中国語プラス英語」か「中国語プラス日本語」のいずれかを話せる人が多く、お店などでは少なくとも1人は多少でも日本語を話せる人がいるような感じでした。聞くところによると台湾の大学では英語か日本語を学ぶことになっているようで、どちらかというと若い人は英語を、年配の方ほど日本語を話す人の割合が多いように思います。
台湾には大人しくて人が良さそうな方が多く、言葉もある程度通じたので、困ることはほとんどありませんでした。男性も女性も、みなさんいい笑顔をしていたのがとても印象的でした。とにかく日本人にとても親切な人が多くて、困ったことがあっても思い切って日本語で話しかければ、たいていのことならどうにかなったように思います。おかげで本当にいい出張になりました。
そういえば初日にこんなことがありました。午後8時ごろに宿に着いて、夕食を求めてガイドブック片手に夜の台湾へ繰り出しました。なかなか見つけられず苦労しながら、ようやく目指していた「牛肉麺」のお店にたどり着き、メニューを指差しながら店のお兄さんに注文しました。・・・なぜか困った表情で首をひねるお兄さん。挙句の果てに奥へ引っ込んでしまいます。なんで?メニューを見せてたんだから言葉が通じないのも関係ないはずなのに・・・。お腹も空いて、絶望的な気分になりました。
と、その時、女性の店員さんが奥から現れて日本語で「いらっしゃいませ」。お兄さんは日本語のできる店員さんを呼んできてくれたのです。女性は日本語がペラペラです。・・・天使に見えました(泣)。女性の店員さんによると、自分が指差したメニューは麺のないスープだったとのこと。教えてもらって、ようやく牛肉麺を頼むことができました。だしが効いてあっさりしたスープに柔らかくジューシーな牛肉が乗った、とびきり豪勢なうどんのような牛肉麺は、いろいろな苦難を乗り越えたせいか、忘れられないようなおいしさになりました。言葉が通じるって、素晴らしいことですね。
いかがでしたか?台湾出張記。出張したスタッフが撮って来た写真を見たら、台北はどこへ行ってもすごく近代的な街並みで、しかも古くからあるいろんな文化も息づいていて、素晴らしいところだと思いました。それに、やっぱり食べものも実においしそうですねえ。家内の実家がある名古屋で食べて以来ハマっている大の小龍包好きの工藤としては、ぜひ台湾の小龍包を食べてみたいものです。
ちなみに、「ちゃんと帰ってきてくださいよ」と言っていたうちの一人は工藤です。
2006年06月09日
ワシントンDC出張記・第3回 アメリカの食べ物のサイズ
以前、アメリカの家庭にホームステイした経験のある友人から「とにかく食べ物のサイズが大きくてびっくりした」という話を聞いたことがあります。工藤は一見、食が細そうに見えますが、実は学生時代には近所の定食屋の名物で、卵8個と米3合を使った「カツ丼激盛り(通称カツ激)」を平気で平らげていたほどの「隠れ大食漢」だったので「大きいって言ったって、1人前は1人前でしょ、食べ切れなかったなんて、お前も少食だな。ハッハッハーッ」と、一笑に付した記憶があります。
さて、今回はじめてアメリカという国に行った工藤の前に、こんな“刺客”が現れました。

ステーキです。厚みも3センチぐらいありました。おそらく500gはあったと思います。1人に1皿ずつ運ばれてきたので、たぶん1人前・・・だと思うんですが。ちなみに左上の青い円の中にあるのは日本の100円硬貨なので、大きさが分かっていただけるのでは(食べてみるとやわらかくて、ものすごく美味しい肉でした)。
ほかのお店でも、何を頼んでもすごいボリュームで出てくるんです。「カツ激」がお子様ランチ程度だったように思えるほどです。あんまりびっくりしたので、今回いろいろとお世話になったアメリカの方に「アメリカの方は、みなさん全部召し上がるんですか??」と聞いてみました。すると「普通の人は全部食べられませんから、残った分はお店で包んでもらって持ち帰るんですよ」とのこと。そう・・・ですよねえ。食べられないですよねえ。ちょっと安心。
そんなアメリカでは最近、健康志向の高まりとともにヘルシーな日本食が大流行しているそうです。今回の訪問先でもたくさんの日本料理店を見つけましたし、DCの高級食材店では醤油、チューブ入りわさびや柿、日本の梨などなど、日本の食材もたくさん売られていました。日本料理の良さがアメリカの人々にも受け入れられていることは、日本人として素直に嬉しいことだと思いました。
2006年05月22日
アステカのチョコレ-トの香り
先日、会社で珍しいチョコレートを食べる機会がありました。イタリアのメーカーのチョコレートなんですが、むかしアステカ帝国で行われていたのと似た工程でつくったものだそうです。一般的なチョコレートと違って表面に光沢がなくて、砂糖の結晶がそのまま残っているという、不思議な食感のチョコレートでした。

割ってみると、断面も独特な感じ。
チョコレートの原材料・カカオは、もともと今でいう中南米が原産。記録が残っていないのではっきりとは分かりませんが、遺跡から出土した遺物の中にカカオの痕跡が残っていて、おそらく今から3000年以上前にはカカオを食用として用いられていたのではないかと言われています。当時はカカオ豆をすりつぶして、お湯に溶かして飲み物として飲んでいたそうです。砂糖じゃなくてスパイスを入れていたということですから、今の感覚で言うと、ドロドロとしていてまったく甘くないココアのようなものを飲む感覚でしょうか。
今から500年程前、大西洋を渡って中南米にやって来たスペイン人たちがヨーロッパにカカオを持ち帰ったのがきっかけで、ヨーロッパにもチョコレートが伝わりました。最初はスペインが独占していたチョコレートも、イタリアやフランスを経由してヨーロッパじゅうに広まっていきました。先日、工藤が訪れたイタリアのトリノなどは、領主がスペイン軍の将軍を務めていた関係もあって、いち早くチョコレートが伝わり、今日に続くチョコレートの都として繁栄していているんですね。
カカオは、ヨーロッパでも飲み物として使われていました。先日に引き続き池田理代子作品ネタですが、フランス革命勃発(1789年)前後を題材にした「ベルサイユのばら」には登場人物がカップに入った「ショコラ」を飲むシーンが何度も出てきます。アンドレが敵役にショコラを浴びせて一喝するシーンもありました。このころはまだ、チョコレートが飲み物として用いられていたわけです。
その後、19世紀に入るといくつもの技術が開発され、すりつぶしたココアを型に入れて固めて食べられるようにしたり、長時間練り上げて舌触りをなめらかにしたりできるようになり、今のようなチョコレートがつくられるようになりました。カカオって、何千年もの歴史がある食べ物ですが、その間ほとんどは飲み物として使われていて、食べ物になったのがここ150年かそこらの間の出来事だというのは、なんだか不思議な気がしませんか?
チョコレートの歴史については、ロイズe-shop内にもっとくわしいものがありますので、こちらからご覧ください!
2006年05月12日
カカオの産地を訪ねて第2回 カカオの果実はなんの味?
そもそも、チョコレートの原材料になるカカオって、どういうものなんでしょうか?前回、ご紹介したとおりカカオは熱帯地方でしか栽培することのできない植物ですが、チョコレートの原料になる「カカオ豆」は、カカオの木になる果実の、種の部分なんです。

カカオ豆は、カカオの果実「カカオポッド」の中に入っています。上の写真のように、パルプと呼ばれる白くて粘りのある果肉に包まれて、だいたい1つのカカオポッドに20~60粒程度入っているんです。果肉はチョコレートの材料にはなりませんが、カカオ豆を取り出す邪魔になるので、収穫した後すぐ取り除かれます。

そんなわけでこのカカオの果肉、日本ではなかなか手に入りにくいものなんですが、今回、谷口は現地の農園で果肉を食べてみたそうです。「ずっと前からカカオポッドからパルプを取りだして食べてみたかったんですよね」と、興奮気味に話す谷口。どんな味なのか、大変気になるところですが、谷口いわく「甘くて、酸味があって、やわらかくて、なんだかヨーグルトみたいでした」ということでしたよ。たしかにカカオ豆を収穫する上では必要ないものなんですが、考えてみたら果物の種だけ取り出して、果肉を捨てるなんてある意味贅沢な話かも?
2006年04月21日
イタリア探訪第16回 元祖・ビチェリンのお店
以前、ブログでカフェ・トリノのビチェリンのお話をしましたが、ビチェリンと言えば忘れてはいけないのがここ、「カフェ・アル・ビチェリン」です。

看板がまたいい雰囲気を漂わせてます
ビチェリン(Bicerin)というのはピエモンテ地方の方言で、小さなコップ(ビッキエーレ=bicchiere)という意味だそうです。このお店は1763年創業の、トリノでも老舗中の老舗。今から240年前ですよ?
イタリアの初代首相・カブールは、ビチェリンが大好きで、このお店の常連だったそうで、このお店には「カブールがいつも座っていたテーブル」がそのまま残っているんです。

これが元祖ビチェリンです
エスプレッソとチョコレートが絶妙に調和しています。まさに、イタリアのチョコレートの都・トリノらしい味ですね。そしてまた、お店の雰囲気も最高にいいんですよ。この日もたくさんのお客さんで店内は満員でした。
元祖ビチェリンとは少し違った雰囲気になりますが、ロイズイタリアンフェアで販売しているロイズクレーマジャンドゥーヤをコーヒーに溶かすと、ビチェリン風な飲み物をつくることができます。ヘーゼルナッツとコーヒーの香りが溶け合って、とても美味しいですよ。イタリアンフェアが始まって以来、ロイズのスタッフの間でもブームになってます。
クレーマジャンドゥーヤ入りコーヒーを美味しくつくるポイントは、一気にクレーマジャンドゥーヤを入れるのではなく、何度かに分けて少量ずつ溶かしていくことと、できればコーヒーもエスプレッソを使うことですね。クリーム状のジャンドゥーヤは、日本で探すのがなかなか難しいので、この機会にぜひお試しください!
2006年03月31日
イタリア探訪第13回 ジェラート
イタリアにはおいしい食べ物がたくさんありましたが、忘れてはいけないのがジェラートです。イタリアのジェラート、有名ですもんね。
しかし、なぜアイスクリームが、よりによってとても暖かそうなイメージのあるイタリアで盛んになったのかと気になったので調べてみました。もともと、アイスクリームのようなものが3000年以上前から中国で作られていたそうで、そのことを、中国を訪れたヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロが13世紀に伝えたそうです。その後、大量に水に溶かすと温度を吸収する性質を持つ硝石を使って冷却する方法がイタリアで開発され、ヨーロッパ中にアイスクリームづくりが広まっていったとか。チョコレートもそうでしたが、イタリアは歴史的に文化・流行の発信地なんですね。
今回、訪れたトリノやミラノでも、さまざまなジェラテリア(ジェラート屋さん)を見つけることができましたが、チョコレートのフレーバーが実に充実しているんです。そして、そのジェラートの舌触りがまた、実に滑らかなんですよ。

上の写真はミラノのチョコレートショップ。さすがにチョコレート味のものがたくさんありました。チョコレートにオレンジやダークチェリーが入ったものや、ミルク風味のものなどなど。チョコレート好きなら1つに絞りきれません!

トリノはさすがにチョコレートづくりの盛んな街だけあって、チョコレート味のジェラートは質・量ともに豊富でした。トリノを訪れた時期はだいぶ肌寒くて、正直アイスという気分ではなかったんですが、それでも美味しいと思える味でした。
トリノのお店では、男性がやってきてはジェラートを買い求めていく姿が印象的でした。日本で男性が1人でアイスクリーム店に入ることはそれほど一般的ではないように思いますが、イタリアではおじさんたちがやって来て店員さんに注文した後、「ここのお店のは、おいしいよ!」と、よその国からやってきた我々におすすめしてくれたりしていました。イタリアの人は本当にジェラートが大好きなんですね。
参考・平凡社「世界大百科事典」、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」
2006年02月03日
イタリア探訪第5回 カフェ・トリノ
トリノでは、いろんなカフェに入ってみたのですが、どのお店も大変歴史が深いんです。ただ単にずーっと昔から営業している、っていうだけじゃなくて、「ニーチェがよく来ていた」「イタリアの初代首相・カブールがいつもこの席に座っていた」とかいうストーリーにも事欠かないんです。まさに歴史の舞台。トリノのカフェには、世界史の主役たちの足跡が今も残っています。

最初に訪れたカフェ・トリノは、サン・カルロ広場に面しており、1903年創業のカフェです。文化財のように古い建物と、骨董クラスの調度品。そしてそこで、トリノの人々が毎日そうするように1杯のエスプレッソを楽しむ。歴史と日常がこんなに親しい関係になり得るものなんだと感心しながら頼んだのがこれ。

トリノ名物・ビチェリンです。コーヒーとチョコレートを混ぜ、上にクリームを載せたホットドリンクなんです。チョコレートの甘さとコーヒーのビターさ・香りのバランスが絶妙にとれていて、特に肌寒いトリノの冬にはたまりませんよ、これは。
そして、カフェ・トリノの前の歩道にはこういうものが埋め込まれていました。

トリノの象徴・牡牛のレリーフです。この牡牛を踏むと、トリノにまた来ることができると信じられているそうです。このことをガイドブックで読んで知っていた我々一行は「これでもかッ」とばかりにぎゅぅ~っと踏みつけてきました。トリノを愛するたくさんの人に踏まれて磨り減り、ピカピカに輝く牡牛は、なんだかとてもご利益がありそうに見えましたよ。
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