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2007年10月26日

フィレンツェ探訪 第11回 またフィレンツェに来られますように

フィレンツェ市街にある市場には、こんなイノシシの像があります。



ポルチェリーノ(子猪)と呼ばれているそうです。鼻のところだけ色が違いますが、これは、この像の鼻をなでて口にコインを入れて、舌を滑らせるように落として下にあいている穴(角度的に若干コインが入りづらくなっている)に入れば、またフィレンツェに戻ってこられる、と言われているからなのだとか。トリノの牡牛のレリーフみたいですね。



大勢の人になでられた鼻だけピカピカになってます 
 

私も「フィレンツェに戻ってこられるように」と念じながらコインを落としました。チャリーン!(外れる音)「は、外れた・・・!もう一回!」チャリーン!「もう一回!」「もう一回!」・・・結局、5回目ぐらいでようやくコインは穴の中へ。多少、力づく感がありましたが、成功すればいいんです、成功すれば。


ちなみに、願いを込めたイタリアの1ユーロコインには「ダ・ヴィンチ・コード」でもおなじみ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」が描かれてます


◇          ◇

 

フィレンツェには1週間近く滞在しましたが、昔の町並みがそっくりそのままといっていいレベルで残っていることに驚きました。道を走る自動車や歩いている人の服装などをのぞけば、ダンテやミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチが見た風景とそう大差ないような風景があちこちで見られるんですから。



もともとあった位置に復元された「ダンテの家」
 
 

観光客の姿が絶えることがありません
 
  

治安の悪いところさえ避ければ、夕方の散歩も楽しい町です。
 
 

夕食の後には、グラッパ(ブドウの搾りかすを発酵させてできたアルコールでつくった蒸留酒)やリモンチェッロ(レモンのリキュール)がまた美味い!


滞在中のあるとき、アルノ川を渡ろうとすると、虹が見えました。




フィレンツェの空にかかる虹は、北海道の大地で見るそれとはまた違った美しさで、私たちもしばらく見入っていました。

(完)

投稿者 royce : 10:00 | トラックバック

2007年10月22日

フィレンツェ探訪 第10回 トスカーナはワインのふるさと

イタリアにはさまざまな美味しいものがありますが、忘れてはいけないのがワイン。なんといってもイタリアは、ワイン生産量でフランスと世界1~2位を争うほどのワイン大国なのです。

イタリアは全土にわたって気候がよく、ワイン用のブドウ生産に適しているため、各地方に自慢のワイン銘柄があります。数多いイタリアワインの産地の中でも特に有名なのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方ではないでしょうか。温暖な気候を生かして、トスカーナではさまざまなワインがつくられています。

今回、その中でも特に有名な産地の一つ・キャンティ地方のとあるワイナリーにお邪魔してきました。フィレンツェから車で1時間ほど。広大なブドウ畑が広がる中に、ワイナリーの建物が見えてきました。



ワイナリーの所有する畑がはるか彼方まで続いていました


案内してくださった方によると、ここは非常に歴史のあるワイナリーで、570年以上もの伝統を誇っているそうです。キャンティ地方だけでなく、イタリア国内に別のブドウ畑を所有しており、気候の違いにより異なった味わいのワインをつくっているのだと教えてもらいました。

ブドウ畑を案内してもらったとき、ワイナリーの方が「向こうにシエナの町が見えます」と言いました。目を凝らすと、ブドウの葉の緑のはるか向こうに、町らしきものが見えました。
 
 

左上の方にうっすらと見える建物がシエナ市街だそうです
 
 
キャンティ地方のワインの中でも産地など厳しく定められた条件を満たした特別なものは「キャンティ・クラシコ」を名乗ることができます。このキャンティ・クラシコのシンボルとなっているのがガッロ・ネーロ(黒い雄鶏)。このマークの由来に深く関わっているのがこのワイナリーのある土地なのだそうです。


時は中世。イタリアの各都市がそれぞれ別々の国だった頃、隣国同士だったフィレンツェとシエナは領土を争っていました。あるとき、2つの町はこんな取り決めをします。「それぞれの町の騎士が一番鶏が鳴くと同時にスタートして相手の町を目指し、2人が出会ったところを領土の境界線とする」。そこでフィレンツェ側は一計を案じました。用意した黒い雄鶏にわざと餌を与えず、お腹をすかせるようにしておいたのです。果たしてフィレンツェの雄鶏は夜明け前に空腹に耐え切れず鳴き始めました。おかげでフィレンツェの騎士はシエナの騎士を大きくリードし、なんと2人が出会ったのは町並みが向こうに見えるほどシエナに近い、このワイナリーが立つ土地だったとか。このエピソードが元になり、キャンティ地方では現在、黒い雄鶏を最上級のワインのシンボルとして使っているわけです。
 
 

シエナとフィレンツェを結ぶ街道沿いにあります

 
 


ワイナリーの中には古代ローマ時代からあるという古い街道が走っていました。もしかしたら、シエナの騎士はこのへんの石畳の上で地団駄踏んで悔しがったかも・・・。



ワイナリーでは貯蔵庫も見学してきました。案内してくださった方いわく、「昔はとにかくたくさんつくることが重要だったが、今は量は少なくても品質の良いものをつくることにこだわっています」とのこと。それに合わせて使用している樽も大きさを変えたりしているそうです。500年以上続くところでも、時代に合わせてスタイルを変えているのだなあと感心。



見学用コースにあった樽


さて、いよいよ試飲です。イタリアには、サン・ジョヴェーゼなど長い歴史を持つイタリア独特の品種のブドウがたくさんあります。それだけでなくカベルネ・ソーヴィニョンとかメルローといった、フランスワインでおなじみの品種も栽培されており、さまざまな個性を持つワインが生み出されているそうです。私も、ワインに詳しい同僚の隣に座ってみようみまねでテイスティング。じっくり見て、香りを感じて、味わうと、同じワイナリーでつくられたと言ってもそれぞれのワインがとても個性的なものに感じられます。
  
  

個性豊かなワインのテイスティングは楽しいですね 

 
長い伝統と新しい取り組み。イタリアワインは相反することを両立させて、まだ進化を続けているんだなあと感じた、ワイナリーでの時間でした。


ブドウといえば、ブドウの収穫の時期によくつくられる、こんなお菓子があります。
 
 





 
スキャッチャータ・コン・ウーヴァといいます。スキャッチャータというのはフォカッチャを潰したもの。ウーヴァはブドウのこと(コンは英語で言えばwithに当たります)。生地の中にブドウがたーっぷりつまったものなんです。



こんな感じのブドウでつくるそうです。


材料もパン生地に砂糖、ブドウ、オリーブオイルなどと、いたってシンプル。でも、しっとりとした食感とブドウのおいしさを存分に楽しめる伝統菓子です。ブドウの産地らしい、そして旬の味覚に恵まれたトスカーナらしいお菓子ですね。

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2007年10月17日

フィレンツェ探訪 第9回 「百塔の町」サン・ジミニャーノ

ずっと前、たぶん学生時代だったと思いますが、夜中にテレビでやっていたイタリアの番組を見て感動したことが何度かありました。今でも鮮烈に覚えているのがシエナで行われる「パリオ」という競馬のお祭り。なにしろ、ほとんど“暴れ馬”に近い馬に猛者ぞろいの騎手が乗り、町の中の狭い広場を猛スピードで駆け抜けるという、すごい祭りだったからです。それからもう1つが町中にたくさんの塔がそびえるサン・ジミニャーノという町のこと。狭い中世の町並みの中に何本もの塔が建っている、不思議な景観の町なのです。今回、そのサン・ジミニャーノを訪れることができました。





サン・ジミニャーノの歴史地区はフィレンツェ中心部同様、世界遺産に登録されています。町は城壁で囲まれており、フィレンツェと違ってその城壁もしっかり残っています。街並みも建物の屋根にテレビアンテナがついていること以外はほとんど昔のままで、ある意味フィレンツェ以上に時間を超えて中世にやってきたような気分になるところでした。



イタリアの2ユーロに肖像が描かれているあのダンテも、サン・ジミニャーノにフィレンツェの大使としてやってきたことがあるそうです。


この町では13世紀、町の貴族たちは教皇派と皇帝派の2派に分かれて争っていました。その中で一番の権力を握ったものは高い高い塔を建てました。塔は権力の象徴とされており、彼らは競ってより高い塔を建てようとしたのです。最盛期には狭い町の中に70以上の塔があったと伝えられています。長い歴史の中で多くの塔は失われてしまいましたが、今現在も14の塔が残っています。
 
 

 
 
その中でも、市庁舎として使われていたポポロ宮殿にある塔は最も高い高さ54mを誇ります。観光客が立ち入ることができるのはこの塔だけなので、せっかくですから上まで上ってみました。
 
 

 
塔の中身はがらんどうに近くて、まるで巨大なサイロの中を上っているようです。部屋も何もなく、本当に「高くするだけのために作った塔」という感じでした。その中に、非常階段のように下がメッシュになった鉄製の階段が取り付けられています。足下を見ると何十メートル下が透けて見えるので、けっこう怖いです。屋上に出るところだけはハシゴになっています。長い階段を上ってきて疲れたのか、ドイツ語を話す年配の方のグループがはしごの近くで休んでいて、道を譲ってくれました。
 
 
 
屋上に出て感動しました。小さなサン・ジミニャーノの町の赤い屋根が、眼下に円形に広がっています。そしてその向こうには豊かなトスカーナの緑の大地がはるか彼方まで広がっているのです。そのコントラストが鮮やかで、言葉が出ませんでした。
 
 

 
 
反対側に回ると隣の塔がすぐそこに見えます。塔の屋根では鳥たちが羽を休ませていました。
 
 

 
 
 
赤い屋根の下にある街路も上から見るとわずかに蛇行していて、城壁に囲まれた石造りの建物が密集したこの町が、不思議と人工的なものに見えなかったのでした。
 

 
 
 
この町には、世界チャンピオンに輝いたジェラート屋さんがあります。イタリアでジェラートを食べると、どこへ行っても美味しいんですが、やっぱり世界チャンピオンの店のものも美味しかったです。しかも、親切なことにメニュー表は全部日本語訳付き。
 
 

 
カップやコーンを大きさ別に選ぶこともできます。私は2ユーロのカップに2種類のフレーバーを入れて食べたのですが、どちらも素晴らしい!あまりに気に入ったので、帰りがけにもう一度2ユーロのカップで別なフレーバーを試してみてしまったのでした。

投稿者 royce : 14:21 | トラックバック

2007年10月12日

フィレンツェ探訪 第8回 ヴェッキオ宮殿

フィレンツェ中心部のシニョーリア広場には、ヴェッキオ宮殿という建物があります。かつて、フィレンツェ市の庁舎として14世紀に建てられました。なんと、この建物は今でもフィレンツェの市庁舎として使われているのだそうです!ポンテ・ヴェッキオのところでお話した「ヴァザーリの回廊」は、このヴェッキオ宮殿から約1キロ先のピッティ宮殿までつながっています。



遠くからも見える高さ94mの塔が目印
 
 

宮殿があるのはフィレンツェの政治・社会の中心地・シニョーリア広場
 
 

大変重厚感のある建物です。

この建物には「五百人の広間」という大会議室があり、ヴァザーリの回廊を設計したジョルジョ・ヴァザーリの壁画が描かれているのですが、ここは当初の計画では一方の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチが、反対側の壁にミケランジェロが壁画を描く予定でした。結局、2人とも制作途中でフィレンツェからは離れなければならなくなり、未完に終わってしまったのですが、もし完成していたらどんな絵になっていたんでしょうね。

その代わりというわけでもないんでしょうが、ヴェッキオ宮殿の外壁にはミケランジェロ作と言われている落書きならぬ「落彫り」が残っています。
 
 

これがミケランジェロ作と言われる顔
 
 

ヴェッキオ宮殿の近くにいたミケランジェロが、広場を行く1人の男を見て創作意欲をかきたてられ、誰にも気づかれないよう後ろ手にヴェッキオ宮殿の壁に彫ったのがこの顔だという伝説があるそうです。フィレンツェでは立派な美術館に収められた作品だけでなく、観光客が絶えず往来するところにある、こんなところにも巨匠の面影が残ります。ルネサンスを代表する偉人が、まるでさっきまですぐそこにいたかのような錯覚さえ感じさせるところが、フィレンツェのすごいところですね。

ちなみに、社会科の教科書でもおなじみのミケランジェロ作「ダビデ像」は、フィレンツェのアカデミア博物館に収蔵されています。もともと、この像はヴェッキオ宮殿の入り口脇に置かれていたのですが、現在はもとあった位置にレプリカが置かれています。
 
 

1910年に置かれたレプリカのダビデ像

投稿者 royce : 11:38 | トラックバック

2007年10月09日

フィレンツェ探訪 第7回 サン・ロレンツォ中央市場

フィレンツェはイタリア中部・トスカーナ州の州都です。トスカーナ地方は豊かな農業地帯を抱え、食べ物の非常においしい地方としても知られています。

そんなフィレンツェの台所とでも呼ぶべき場所がサン・ロレンツォ中央市場。この建物は、ミラノのドゥオーモ広場とスカラ座の間を結ぶヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアで知られる建築家・ジュゼッペ・メンゴーニの手によるものです。



ものすごく大きな建物です
 
 
2階建ての大きな市場の1階部分には肉やチーズ、魚などを売るお店が並び、2階には野菜がたくさん並んでいます。まずは1階部分を探検してみました。



肉屋さんは豪快に商品を天井から吊るして販売。



「ペコリーノチーズ キロ12.9ユーロ」


魚もたくさんありました。この後、ウツボらしきものも見つけてびっくり


見ているだけでもとてもおいしそう!日本だと「100グラムあたり何円」ですが、ここでは「1キロあたり何ユーロ」で値段がつけられています。珍しいものを探してウロウロしていると、不意に「何かお探しですか?」と日本語で話し掛けられました。場所柄もあって観光客の姿がとても多いところなので、お店には日本人のスタッフの方がいらっしゃるところも珍しくありません。

2階には野菜がたくさんありました。イタリア料理でもお馴染みのナスやトマトのほか、リンゴ(「FUJI」もありました)などの果物も豊富。そしてイタリアでよく使われるキノコのポルチーニもたくさん売られていました。ポルチーニもトマトも、生のものだけでなく乾燥させたものがたくさんありましたよ。



立派なナスです
 
 

リンゴも種類が豊富
 
 

お客さんとお店の人の威勢のいい掛け合いが高い天井に響きます
 
 
ちょっとお腹が空いたので、市場の中にある「ネルボーネ」という食堂に行ってみました。ここはなんと創業1872年(!)という老舗。観光客の方も、地元の人も大勢集まってきます。



こちらがネルボーネ


メニューらしきものを見つけられず、右往左往していたら、隣にいたイタリア人の青年が自分の食べているパニーノを指差して「これが美味いぞ」と教えてくれました。「それ、なんていう名前ですか?」と聞くと、「パニーノ・ランプレドットだよ」とのこと。さっそく、お店のおじさんに「僕にもこれをください!」と注文してみました。

いわゆる牛のホルモンらしいことは分かったのですが、肝心のランプレドットというのが何なのか分からないまま、食べてみました。塩味ベースのシンプルな味付けなんですが、これが意外とあっさりしていて美味しかったです。後で調べたら、牛の4つある胃袋のうち4番目の胃に当たる部分で、焼肉店風にいうと「ギアラ」にあたるそうです。

ちなみに、市場の周りは土産物のTシャツやら革製品やら絵葉書などを売る屋台が立ち並び、ちょうど上野のアメ横を思い出させるような活気がありました。



お店の人たちもとても気さくでした

この屋台の中にも「ホルモン」のパニーノを出しているところがありまして、こっちもかなりの人気でしたよ!



こちらは屋台のパニーノ

投稿者 royce : 09:12 | トラックバック

2007年10月05日

フィレンツェ探訪 第6回 ミケランジェロ広場

ある日の夕方、市内を一望できるミケランジェロ広場を目指して、せっかくだから歩いて行ってみようということになりました。市内中心部からは小一時間ほどの距離です。 
 
 
ミケランジェロ広場は町外れの小高い丘の上にあります。うっそうと茂る林の向こうから、次第にフィレンツェの街並みが見えてきました。
 
 

フィレンツェの町並み
 
 

ミケランジェロ広場から見たドゥオーモ

ドゥオーモはあまりに大きすぎて、近くからでは全体像が見えなかったのですが、ここからならクーポラ(ドーム)の雰囲気も、何もかもが見えてきます。そして、徐々に日が傾き、アルノ川に夕陽が映し出されはじめました。
  
  

  
  
夕方のミケランジェロ広場は、見下ろす町の色が刻一刻とうつり変わり、とてもきれいでした!
 
 


ところで、フィレンツェはその昔、外敵からの守りを固めるために町全体を城壁で囲んでいたのですが、現在はその城壁のほとんどが取り払われ、旧市街を一周する環状道路に姿を変えています。その城壁の数少ない名残の一つがこのミケランジェロ広場の下にあります。





サン・ニッコロ門と言って、1324年にフィレンツェの城壁の一部として築かれた門です。フィレンツェの城門の中では新しい方で、建造当初の高さを保っているのはこれだけだということで、近くに行くと見上げる高さです。この門は夕方になるとライトアップされ、とても風情のある姿を見せてくれました。






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2007年09月28日

フィレンツェ探訪 第5回 ポンテ・ヴェッキオ

フィレンツェは中世に栄えた町ですから、意外とコンパクトにできています。道も狭いので、歩いて回るのにちょうどいい大きさだといえるでしょう。

町の中心部にはアルノ川という川が流れています。この川には何本もの橋がかかっているのですが、中でも最も有名なのがポンテ・ヴェッキオという橋。日本語にすると「古い橋」という意味になります。その名の通り、1345年に建造された、フィレンツェでも最も古い橋です。ポンテ・ヴェッキオ以外の橋は第2次世界大戦の時に破壊され、後に再建されたので、フィレンツェでも際立って古い橋ということになります。



ポンテ・ヴェッキオ


この橋、橋の上に建物が建っていることで有名です。建物はほとんどが貴金属店で、橋の上はショーウインドーを覗き込む市民や町を行き来する観光客らでごった返しています。
 


昼も夜も無く大混雑
 
   

貴金属店がたくさん軒を並べています
  
 
建物の2階部分には「ヴァザーリの回廊」という通路があります。このシリーズの中でも何度か登場した16世紀の建築家・ジョルジョ・ヴァザーリがメディチ家から命じられて作った回廊です。メディチ家の人々は、暗殺を避けるために住まいのピッティ宮殿から川を挟んだフィレンツェ市の庁舎(現ウフィツィ美術館)まで歩いていける専用の通路を設けたのです。その、ヴァザーリの回廊の川を渡る部分がポンテ・ヴェッキオの上を通っているというわけです。
 
 

上にある廊下のようなものが「ヴァザーリの回廊」
  
 
ポンテ・ヴェッキオを後にして、アルノ川の岸辺を歩いてみました。観光客の方が本当に大勢歩いています。
  
 

アルノ川の岸でのんびりする人たち
 
 
 

夕陽を受け、金色に染まるアルノ川 

 

なぜかアルノ川の川原にたくさん集まっていたフェラーリ軍団

投稿者 royce : 09:31 | トラックバック

2007年09月21日

フィレンツェ探訪 第4回 天才たちのフィレンツェ(ウフィツィ美術館、サンタ・クローチェ教会)

フィレンツェの観光地としてもう一つ、忘れてはいけないのがウフィツィ美術館。フィレンツェの官庁の合同庁舎として建てられた建物が、現在は美術館として使われています。この美術館、何がすごいといえば収蔵されている美術品の数々!社会の教科書で有名なボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」をはじめ、次の展示室に歩いていくたびにミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなどなど、超有名な作品がこれでもかこれでもかと現れます。これはすごい!
 
 

ウフィッツィ美術館。一部改装中でした。 
 
 

レオナルド・ダ・ヴィンチはじめ、多くの偉人たちの像が見学者を迎えます
 
 
 
残念ながら内部は撮影禁止だったのですが、たとえばこんなところにもウフィツィ美術館の収蔵作品を見ることができます。

 

イタリアで発行されている10セント硬貨

ユーロ硬貨は加盟各国で裏面のデザインが違うのですが、イタリア版の10セント硬貨にはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が使われています。



このほかに、トスカーナ大公の邸宅だったピッティ宮殿にあるパラティーナ美術館というところにも、ラファエロの「小椅子の聖母」をはじめとする素晴らしい作品がところ狭しと展示されていましたし、町中が美術館という言い方が本当にぴったりでした。フィンレンツェは、本当に多くの才能を引き寄せる土地だったようです。
 
 

パラティーナ美術館のあるピッティ宮殿 



その名残がはっきり分かるのが、市内にあるサンタ・クローチェ教会。こちらはフランチェスコ修道会が建てた教会で、内部には教科書で見た記憶のある著名人の墓所や記念碑がたくさん並んでいます。
 
 

サンタ・クローチェ教会
 
 

天文学者・物理学者として有名なガリレオ・ガリレイの墓碑
 
 

「君主論」で知られるマキャヴェッリの墓碑
 
 

オペラ「セビリアの理髪師」などを作曲したロッシーニの墓碑
  
 

そしてミケランジェロの墓碑
 
 

本当に、フィレンツェという町の真のすごさを見せ付けられるような場所でした。

投稿者 royce : 09:25 | トラックバック

2007年09月14日

フィレンツェ探訪 第3回 フィレンツェのドゥオーモ<後>

フィレンツェのドゥオーモは、クーポラ(ドーム)の上にのぼることができます。以前、ミラノのドゥオーモの屋上まで上った際は階段かエレベーターかを選ぶことができたのですが(もちろんエレベーター)、フィレンツェのドゥオーモは階段のみ!頂上まで長い長い道のりです。



「463段 ― エレベーターはございません」
  
 

階段入り口
 
 
狭い階段は往復兼用。降りてくる人と道を譲り合いながら頂上を目指します。ところどころにある小さな窓から見えるフィレンツェの景色が、徐々に遠くまで見渡せるようになってきました。
 
  

 
 
途中まで上ると、クーポラの内側に出ました。天井の内側に描かれた絵がよく見えます。この絵はフィレンツェのウフィッツィ宮殿などの設計で知られるジョルジョ・ヴァザーリらによって描かれた「最後の審判」です。地上の高さから見たときと違って、細かいところまで良く見えますし、迫力もけた違い。
 
  

  
  
さて、また薄暗い通路に戻って、さらに上を目指します。急な階段がだんだん堪えるようになってきて、私や一緒に上った同僚は、だんだん無口になってきます。「ここ狭いから、空気、薄い気がしませんか?」と後ろに問いかけると「ホントですね」と、弱々しい返事が戻ってきました。そうこうしていると、向こうのほうに光が差し込んでくるのが見えました。いよいよ頂上です!
 
 

 
 

クーポラの曲面を上から見下ろしたところ  

  
ドゥオーモの頂上からはフィレンツェの街並みが一望にできました。周りは山に囲まれていて、「フィレンツェは盆地なんだなあ」ということがよく分かります。足下には建物の赤い屋根がずーっと向こうまで広がっていて、絵に描いた町のようでした。高校のころ、世界史の先生が「フィレンツェに行ったら、ドゥオーモにはぜひ上ってみてほしい。あんなに素晴らしい景色は他では見られない」と話していたのを思い出します。上るのが大変だった分、上からの景色は最高でした。
 


 
 

 
 

ピッティ宮



ヴェッキオ宮殿 
  
 
帰りは、ぐったりした表情で上ってくる人に道をゆずりながらゆっくりと地上を目指しました。すれ違う人たちの話す言葉も、イタリア語、日本語、スペイン語、英語とインターナショナル。すると、疲れてしゃがみこんでいたアメリカ人らしき男性に「もうすぐ頂上ですか?」と聞かれ「はい」と答えると、疲れた顔をしながらも立ち上がって、また上り始めていました。頑張れ!
 
 

  
  
地上に降りて、さきほど上ったばかりのクーポラの上をカメラの望遠レンズで見上げると、大勢の人がさっき私がしていたように地上を指差して何か話し合ったり、写真をとったりしているのが見えました。建造当初はきっと、こんなに高い建物はイタリア中を探したって珍しかったでしょう。建築に携わった人たちは、どんな気持ちでフィレンツェの町を見下ろしたんだろうなあと考えながら、ドゥオーモを後にしました。
 
 

投稿者 royce : 08:57 | トラックバック

2007年09月07日

フィレンツェ探訪 第2回 フィレンツェのドゥオーモ<前>

イタリアの町にはそれぞれの町にとっていちばん重要な教会があり、「ドゥオーモ」(duomo)と呼ばれます。フィレンツェは歴史ある町らしく、とてもたくさんの立派な教会があるのですが、その中でもやはりドゥオーモは町のシンボルとして日本でも有名です。



正式な名前は「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」といいます。日本語訳すると「花の聖母マリア大聖堂」。白い大理石でつくられた外壁と、大きなクーポラ(ドーム)が特徴です。



フィレンツェのドゥオーモは1296年に着工し、100年以上かけてつくられました。大聖堂の周りにはジョットの鐘楼と呼ばれる塔と、サン・ジョヴァンニ洗礼堂という建物があります。ジョットはルネサンスのさきがけとなった画家で、建築家としてもとても優れた人だったため、鐘楼の建築に携わったそうです。また、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉はギベルティという彫刻家によって作られましたが、あまりに素晴らしい出来栄えだったために、ミケランジェロが「天国の門」と呼んだことで知られています。





そしてドゥオーモの特徴である大きなクーポラは、そのギベルティと洗礼堂の扉の製作者を決めるコンクールで争い、惜しくも敗れたブルネレスキという人の作品。当時の技術力では高く、巨大なクーポラをかけるのは不可能とまで言われていたそうですが、ブルネレスキは独創的なアイデアを考え出し、同じくギベルティらと争ったクーポラの設計を勝ち取り、扉のコンクールの雪辱を果たしたのだそうです。彼らがしのぎを削ったコンクールは、ルネサンスの始まりを象徴する出来事として語られています。

さすがに、ドゥオーモ周辺は観光客でごった返していました。ちなみに、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の門」はレプリカです。ギベルティが作った本物の「天国の門」と、ドゥオーモから取り外された外壁の装飾などは、風雨による劣化を防ぐためにドゥオーモの裏手にある大聖堂付属博物館に収蔵されています。こちらも必見!



これが本物のギベルティの作品




ちなみに、大聖堂付属博物館には、ミケランジェロ作の「ピエタ」像のうちの一つも展示されています。



さて、ミラノを訪問したときにはドゥオーモの上に上ってきたのですが、フィレンツェのドゥオーモもクーポラの上まで上がることができます。もちろん、今回も上まで行ってきたのですが・・・。その様子はまた次回のお楽しみに。

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2007年09月05日

フィレンツェ探訪 第1回 文化の花咲く町・フィレンツェ

先日、イタリア中部の町フィレンツェを訪問しましたので、その様子をご紹介していきたいと思います。

小学館「伊和中辞典」を引くと、フィレンツェは別名Citta del fiore、つまり「花の都」とも呼ばれるとあります。古代ローマ時代につくられたこの町は、ローマ神話の花の女神フローラの名前を取って「フロレンティア」と呼ばれました。これが現在の町の名前の由来となったということです。



どこを歩いても中世そのままの街並みが続くフィレンツェ中心部


フィレンツェは古代からの長い歴史を持つ町ですが、中でも最も華々しく輝く時代がルネサンスのころです。14世紀から16世紀にかけて、イタリアから全ヨーロッパに広がっていったルネサンスの中心地の一つがフィレンツェだったのです。ちょうどこのころフィレンツェの町にはメディチ家という銀行業で財を成した一族が実権を握り、彼らの下に多くの芸術家や建築家たちがやって来て、素晴らしい作品を残しました。
 


 
  
フィレンツェ市の市章は百合の紋章ですが、これはもともとメディチ家の紋章だったものです。財政難に陥ったフランス王家を助けたことで、フランス王室の紋章である百合の紋章を使うことを許されたのだといいます。上の写真は街路灯のメーター?のふたについていたもの。


さて、そのフィレンツェに生まれ、ルネサンスのさきがけとなったのが「神曲」で有名な詩人ダンテです。イタリアの公用語はもちろんイタリア語ですが、イタリアは大変方言の多い国で、各地方ごとに大きく異なる言葉を話す地域です。その中で、標準語として話されている言葉のベースになっているのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方の方言なのだそうです。なぜトスカーナ地方の方言が標準語となったかというと、ルネサンスの文学者たちが、特にダンテがトスカーナ方言で作品を残したからだと言われています。
 


 
 
また、メディチ家からフランス王家に嫁ぎ、大きな権勢を振るったカトリーヌ・ド・メディシスという人は、イタリアからフランスへ、さまざまなお菓子や料理、そしてフォークとナイフで食事をするというマナーを伝えたといわれています。まさにフィレンツェはヨーロッパ文化の最先端をいく町だったんですね。

世界遺産に指定されている市内中心部は「屋根の無い博物館」と言われるほどで、町を歩くだけでもルネサンスのころの熱い雰囲気を感じられそうです。このブログでは、フィレンツェや近郊の町の風情をお伝えしていきます。お楽しみに!

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