HOME > 海外出張記 > トリノ・ミラノ篇

2006年04月28日

イタリア探訪最終回 チャオ イタリア!

1月からお届けしてきたイタリア探訪も、今回で最終回となりました。ミラノ、トリノと、イタリアでもローマなどとは一風変わった歴史を感じさせる古都の風景、お楽しみいただけたでしょうか?ちなみに、e-shopのイタリアンフェアはまだもう少し続きます。期間限定の商品ばかりですので、こちらもお見逃し無く。

さて、今回訪れた2つの都市の感想を少し。ミラノは古代ローマ時代にはすでに都市として栄えていた町だけあって、歴史の長さを感じさせる建物やエピソードに事欠かない場所だったと思います。一方で現在はイタリア第一の工業都市として、またファッションの発信地として、時代の最先端を走る都市という表情も併せ持っていて、不思議な魅力のある町でした。

centrale.jpg
ミラノのチェントラーレ駅。ムッソリーニが建てさせたという巨大な駅舎。

 

トリノは古代からあった都市ですが、古代や中世ではなく華やかな近世の香りがする町でした。イタリア有数の人口を誇る大都市で、しかも世界遺産に指定されているサヴォイア家の王宮の数々だけでも立派な観光地としてやっていけそうなのに、いまひとつマイナーな町、という印象が否めないのですが、トリノ五輪で知名度も上がり、これまでの自動車産業だけの町というイメージは変わっていくのかもしれません。

ger.jpg
トリノの街の風景。小雨が降っても絵になります
 
 
 
 
   

イタリアには魅力的な町がたくさんあります。きっと、イタリアが長い間ひとつの国としてではなく、1つ1つの町が国家として発達してきたからこそ、それぞれの町が、それぞれの魅力を育ててくることができたのでしょう。ミラノ、トリノにもそういう魅力をたくさん感じることができました。

そして、イタリアの人たちもすごく印象的でした。日本でのイタリア人観って、「明るく陽気で、いつも歌を歌っている」(もしくは全員ジローラモさん)っていう、ものすごく偏ったイメージがありますが、トリノの人たちはものすごくシャイで、でも実は親切で、なんだかホッとさせられるものがありました。聞くところによると、陽気な人が多いのはイタリア南部の方で、北部の人たちはどちらかというとおとなしいらしいですね。イタリア語には、英語で言う「please」に近い「prego(プレーゴ)」っていう言葉があります。この言葉には「どういたしまして」とか、「さあ、どうぞ」とかいった、いろんな意味がありまして、イタリアの人たちが頻繁に使うんですね。ロイズの一行がゾロゾロとお店やカフェに入っていくと、特にトリノではお店のおじさんやおばさんたちが「ヘンな東洋人が来ちゃった。言葉も通じないし、どうしよう」っていう困った表情をしていたんですが、「Grazie(グラツィエ=ありがとう)!」「Prego!」ってやりとりするとその緊張が一気にほぐれて、ニッコリ笑ってくれるのがとても嬉しかったです。

最後に余談ですが、実は工藤は学生時代に「イタリア語」の授業を履修したことがあります。残念ながら半年で挫折しちゃったんですが、そのときの先生がこんなことを言ってました。「僕の授業で習ったことは全部忘れてもいいですが、一つだけ、『お手洗いを使っていいですか?』っていうのだけは覚えておくといつか必ず役に立ちますから。Posso usare il bagno(ポッソ ウザーレ イル バーニョ)?っていうんですが、覚えられなかったら「Posso bagno」でも伝わりますから」。


先生、ありがとうございました!

ホントに役立ちましたよ!!

  
トリノのオリンピックグッズ屋さんで、これを知ってなかったらどうなっていたか・・・

 
 
 
来週からは、また新しいシリーズを始める予定です。また、ロイズのスタッフが見てきた珍しいものをご紹介していきますのでお楽しみに!

投稿者 royce : 09:00 | トラックバック

2006年04月21日

イタリア探訪第16回 元祖・ビチェリンのお店

以前、ブログでカフェ・トリノのビチェリンのお話をしましたが、ビチェリンと言えば忘れてはいけないのがここ、「カフェ・アル・ビチェリン」です。


albicerin.jpg
看板がまたいい雰囲気を漂わせてます


ビチェリン(Bicerin)というのはピエモンテ地方の方言で、小さなコップ(ビッキエーレ=bicchiere)という意味だそうです。このお店は1763年創業の、トリノでも老舗中の老舗。今から240年前ですよ?

イタリアの初代首相・カブールは、ビチェリンが大好きで、このお店の常連だったそうで、このお店には「カブールがいつも座っていたテーブル」がそのまま残っているんです。


albicerin2.jpg
これが元祖ビチェリンです

エスプレッソとチョコレートが絶妙に調和しています。まさに、イタリアのチョコレートの都・トリノらしい味ですね。そしてまた、お店の雰囲気も最高にいいんですよ。この日もたくさんのお客さんで店内は満員でした。

元祖ビチェリンとは少し違った雰囲気になりますが、ロイズイタリアンフェアで販売しているロイズクレーマジャンドゥーヤをコーヒーに溶かすと、ビチェリン風な飲み物をつくることができます。ヘーゼルナッツとコーヒーの香りが溶け合って、とても美味しいですよ。イタリアンフェアが始まって以来、ロイズのスタッフの間でもブームになってます。

クレーマジャンドゥーヤ入りコーヒーを美味しくつくるポイントは、一気にクレーマジャンドゥーヤを入れるのではなく、何度かに分けて少量ずつ溶かしていくことと、できればコーヒーもエスプレッソを使うことですね。クリーム状のジャンドゥーヤは、日本で探すのがなかなか難しいので、この機会にぜひお試しください!

投稿者 royce : 10:16 | トラックバック

2006年04月14日

イタリア探訪第15回 スペルガ聖堂

トリノ中心部から10キロほど離れたところにあるスペルガ聖堂。トリノの街並みを一望できる丘の上に建てられたこの建物は、サヴォイア家の墓所でもあります。市内中心部からバスで約30分。そこから、先日ブログでもご紹介した登山電車に乗ってまた30分。ようやくスペルガ聖堂にたどり着きました。

スペルガ聖堂は1706年に完成した建物で、マダマ宮殿のファサード部分など、トリノのさまざまな歴史的建造物を建てた名建築家フィリッポ・ユヴァッラの作品です。ミラノやトリノでこれまで見てきた巨大な建造物と比べると小さく見えますが、青空を背景にひときわ華麗に見えました。

superga.jpg
きれいな油彩画のような風景でした

superga2.jpg
内装も外観に負けないぐらい素晴らしいのです

ここは、トリノの街も、市内を流れるポー川も、そしてはるか向こうのアルプスまでも見渡すことができる絶景の地でした。

superga3.jpg

このスペルガ聖堂はトリノ中心部からちょうど東の方向にあります。逆に中心部から西へ向かったところにあるリヴォリ城は、歴代王位継承者が生まれた場所でもあり、生と死が、トリノの街を挟んで一直線につながっているんだそうです。サヴォイア家の歴代君主は、死後もここからトリノの街を見守りつづけているのです。

投稿者 royce : 10:33 | トラックバック

2006年04月07日

イタリア探訪第14回 真っ赤なべスパ

ミラノのドゥオモの隣には、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のアーケードがあります。1867年に建設されたこのアーケードは、言ってみれば1つの商店街なんですが、歴史を感じさせる建物は風情たっぷりで、市民や観光客がひっきりなしに行き来していました。1867年といえば日本では明治になる直前の慶応3年。札幌の開拓が始まったころですから、ずいぶんと昔にすごいものを作ったものだと思います。

v.e.jpg

v.e2.jpg

この日も大勢の人でにぎわっていました。高級ブランド店や書店などもあって、ウインドーショッピングがほんとに楽しいんです。大手のファストフード店もありましたが、アーケードの風情を壊さないように、控えめなつくりになっていました。

さて、このアーケードは長さ約200メートルの通りが交差した十字型をしていますが、中心部にはこんなものがありました。

vespa.jpg

イタリア製のスクーター・ベスパの大きなモニュメントです。日本では、ドラマの「探偵物語」で松田優作が演じる主人公・工藤俊作が乗っていたことで有名です。別に同じ工藤だからというわけではないんですが、私・工藤もベスパが大好きなので、感激して写真を撮りまくってしまい、あやうく置いてけぼりにされそうになりました。(ちなみに、ベスパの足元のところには「ベスパに上らないでください」と書いた看板があったんですが、結構みなさん上って記念写真を撮ってました)


ベスパはクラシックなデザインが人気の元で、オーナーたちは、少々トラブルが多い旧式なものでも、大事に手入れをして乗っているそうです。以前、フィアットのお話をしましたが、自動車をはじめとしてイタリア製のものはとても味のあるものが多いような気がします。最先端の技術では日本など他の国に一歩譲るかもしれませんが、少し先端から遅れたところであってもしっかりと人々の心をつかんではなさないところはイタリアの工業製品の魅力ですね。

投稿者 royce : 10:00 | トラックバック

2006年03月31日

イタリア探訪第13回 ジェラート

イタリアにはおいしい食べ物がたくさんありましたが、忘れてはいけないのがジェラートです。イタリアのジェラート、有名ですもんね。

しかし、なぜアイスクリームが、よりによってとても暖かそうなイメージのあるイタリアで盛んになったのかと気になったので調べてみました。もともと、アイスクリームのようなものが3000年以上前から中国で作られていたそうで、そのことを、中国を訪れたヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロが13世紀に伝えたそうです。その後、大量に水に溶かすと温度を吸収する性質を持つ硝石を使って冷却する方法がイタリアで開発され、ヨーロッパ中にアイスクリームづくりが広まっていったとか。チョコレートもそうでしたが、イタリアは歴史的に文化・流行の発信地なんですね。

今回、訪れたトリノやミラノでも、さまざまなジェラテリア(ジェラート屋さん)を見つけることができましたが、チョコレートのフレーバーが実に充実しているんです。そして、そのジェラートの舌触りがまた、実に滑らかなんですよ。

gelateria.jpg

上の写真はミラノのチョコレートショップ。さすがにチョコレート味のものがたくさんありました。チョコレートにオレンジやダークチェリーが入ったものや、ミルク風味のものなどなど。チョコレート好きなら1つに絞りきれません!


gelato.jpg

トリノはさすがにチョコレートづくりの盛んな街だけあって、チョコレート味のジェラートは質・量ともに豊富でした。トリノを訪れた時期はだいぶ肌寒くて、正直アイスという気分ではなかったんですが、それでも美味しいと思える味でした。

トリノのお店では、男性がやってきてはジェラートを買い求めていく姿が印象的でした。日本で男性が1人でアイスクリーム店に入ることはそれほど一般的ではないように思いますが、イタリアではおじさんたちがやって来て店員さんに注文した後、「ここのお店のは、おいしいよ!」と、よその国からやってきた我々におすすめしてくれたりしていました。イタリアの人は本当にジェラートが大好きなんですね。

参考・平凡社「世界大百科事典」、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」

投稿者 royce : 16:03 | トラックバック

2006年03月24日

イタリア探訪第12回 サンタンブロージョ教会

先日ご紹介したドゥオモのほかにも、ミラノには多くの歴史的な建物がありますが、その中の一つがこのサンタンブロージョ教会です。ミラノの守護聖人、聖アンブロージョによって建てられた教会で、ロマネスク様式の傑作と賞される建物には、ドゥオモとはまた違った美しさがありました。

santan1.jpg
サンタンブロージョ教会の全景


santan2.jpg
煉瓦づくりの壁が青空に映えます


聖アンブロージョは4世紀の人で、彼が生まれる直前に、ローマ皇帝が「ミラノ勅令」を出し、キリスト教を公認するという出来事がありました。それまでにローマ帝国の迫害によって多くのキリスト教徒が殉教しており、ミラノ司教であった聖アンブロージョが殉教者たちを弔うために建てたのがこの教会だということです。ちなみに、聖アンブロージョは「ミサ」という言葉を初めて使ったことでも有名だとか。


聖アンブロージョの死後、遺骸はこの教会に安置されました。現在もきらびやかな衣装に身を包んだ聖アンブロージョの遺骸が教会の一番奥の方で公開されています。我々が訪れた短い時間の間にも、何人もの人々が聖アンブロージョを前に、静かに祈りを捧げていました。

◇       ◇

さて、この教会のすぐ近くにはミラノカトリック大学があって、学生さんたちが大勢歩いていました。ミラノの人たちはとにかく美男美女が多いような気がします。女性はみんなモデルに見えるし、男性はミケランジェロか誰かが彫ったんじゃないかと思えるような精悍な顔をしていました。こういう学生さんたちが大勢歩いているとまた、ミラノの街並みがサマになるんですよ。

santan3.jpg

ふと、学生さんたちの手元を見ると、みなさんなにかピザのようなものが入った紙の包みを持って、歩きながら食べています。なかには自転車に乗りながら食べつづける猛者もいて、とても気になりました。ちょうどお腹もすいてきたころで、「絶対、あれを食べたい!」と、ウロウロ探し回ると、次第にその包みを持っている学生さんの密度が高くなっていきました。

santan4.jpg

ようやく見つけたお店の前には行列ができていました。座布団のように大きなピザを店員さんがハサミで切って袋に入れてくれます。何種類か買って、さっそく街中で食べてみました。こっ・・・これは・・・美味い!正直、かなりの大きさだったんですが、夢中で食べてしまいます。無言のまま、ひたすら食べつづけ、ちょっと食べ過ぎてお腹にもたれてしまったんですが、食べ盛りの学生さんたちには、かえってそういうヘビー級な食べ応えのほうがよろしいのかも。「カツ丼激盛り」を平気で注文していたあの頃のことを、少し思い出してしまいました。

投稿者 royce : 17:57 | トラックバック

2006年03月17日

イタリア探訪第11回 フィアットの街

トリノといえば、自動車メーカーのフィアットの本拠地としても有名です。フィアットはイタリアでも最大の自動車メーカーで、スポーツカーで有名なフェラーリやアルファロメオ、マセラティ、かつてラリーで活躍したランチアなどイタリアの主要な自動車メーカーのほとんどを傘下に収めている、イタリアを代表する大企業です。トリノの空港にはこういうものが飾られていました。


punto.jpg
フィアット製の乗用車


市内中心部は王宮を中心に栄えた古都、という印象なんですが、一歩そこから出ると、イタリアを代表する工業都市としての表情が見えてきます。それを代表するようなものが、ミラノからトリノに到着して最初に見たこの風景でした。


fiat.jpg

トリノ五輪のプレスセンターにもなった、旧フィアットリンゴット工場です。今から90年ほど前に建てられたこの工場、1982年で工場としての役割は終わったんですがその後改装が施され、ショッピングセンターやホテルなどを備えた大型複合施設として生まれ変わりました。

ここは工場としても少し変わった建物で、1階部分から自動車の組み立てを始めて、組みあがるに従って徐々に上の階に上がっていき、最後は完成した自動車を屋上にあるテストコースで実際に走らせてテストしていたんだそうです。トリノ市街にある広くはない敷地に自動車工場をつくるための工夫だったんですね。ちなみに、現在もそのテストコースはそのまま残っていて、ホテルの宿泊客はジョギングを楽しむことができるそうです。イタリア車好きな工藤としては、いつか屋上を走り回ってみたいものです。

 
 
フィアット・グループのお膝元だからなのか、トリノの街にはこんなものも売られていました。


ferrari.jpg
フェラーリのソリ

ほしい!もちろん、息子用じゃなくて自分用に。と、思って値段を見たら日本円にして約3万円也。ちなみに近所のホームセンターで購入した我が家のソリが60台は買えるお値段ですよ!ソリとは言っても、やはりフェラーリはフェラーリでした。

投稿者 royce : 08:57 | トラックバック

2006年03月10日

イタリア探訪第10回 ミラノのドゥオモ②

ドゥオモの屋上へはエレベーターか階段で上がります。我々はもちろん階段を利用・・・するはずもなく、エレベーターのチケットを買いました(ちなみに、階段も有料)。繁華街の雑居ビルについていそうな、4人程度しか乗れない古いエレベーターから出ると、そこにはミラノ中を一望できる素晴らしい風景が広がっていました。


duomor1.jpg


そして、よく見るとドゥオモの壁面には無数の彫刻が施されていました。まさに彫刻でできているような建物です。


duomor2.jpg

壁面にも、



duomor3.jpg

尖塔にも。



duomor4.jpg

拡大するとこういう感じで、1つ1つが実に見事な出来栄えです。



135本ある尖塔の先端には、それぞれ別々の聖人たちの像が立っています。

duomor5.jpg



 
一番高い尖塔からは、黄金の聖母、マドンニーナ像がミラノの街を見守っています。ちなみに地上からマドンニーナ像までの高さは108.5メートルにもなるんだそうです。

duomor6.jpg


 
 
下の写真は屋上で一番高い所です。日本からの観光客が大勢訪れていました。

duomor7.jpg


今回訪れたほかの教会もそうなんですが、観光客だけではなく、ドゥオモ内部では熱心に祈りをささげるイタリアの人々が何人もいました。ミラノのドゥオモは圧倒的なスケールや細部まで凝ったつくりを持つだけではなく、現代もミラネーゼたちの心のよりどころとなっているという点でも、ミラノの象徴であり続けているということが、強く心に残りました。

投稿者 royce : 17:18 | トラックバック

2006年03月03日

イタリア探訪第9回 ミラノのドゥオモ①

ミラノ、というと現代のファッションの最先端というイメージがあります。ミラノコレクションが開催され、数々の流行を世界に発信。日本の雑誌の特集でも「ミラノのスタイル」なんていうキーワードがよく見出しになってますよね。

milanoview.jpg

ミラノの風景


さて、世界の流行をリードするミラノは、一方で非常に歴史の古い街でもあります。「平凡社 世界大百科事典」によると、ミラノはもともと紀元前に建設された街で、かつては「Mediolanum(平野の中の町)」と呼ばれており、それが現在の名前の元になったそうです。世界史を勉強された方なら「ミラノ勅令」という言葉を聴いたことがあるかもしれません。それまでキリスト教を迫害していたローマ帝国が、一転して信仰の自由を認めた出来事ですが、これは西暦313年、ミラノで布告されたものです。

もともと、北イタリアの交通の要衝だったミラノは、古代ローマ帝国時代から商業が盛んな街でした。そして、現在もイタリアの商業の中心地として繁栄しているわけです。

現在、ミラノにはキリスト教に関連した数々の貴重な建築物がありますが、中でも有名なのは「ミラノのドゥオモ(大聖堂)」でしょう。1386年、時のミラノ領主の命によって着工し、完成するまでに500年もの歳月を要したという巨大な聖堂です。今回、ミラノを訪れるにあたってとても楽しみにしていた建物だったので、地下鉄の駅(駅名もそのまま「ドゥオモ駅」)から喜び勇んで地上に出たところ、







 
 
 
 



duomo.JPG

工事中ですかッ

残念です。よりによってファサード(正面)が工事中とは・・・。聞くところによると、建物の4面のうち、常にどこかが工事中-というぐらい頻繁に工事をしているとか。

気を取り直して中に入って見ました。日本人観光客が多く来るからでしょうか、入り口で持ち物チェックをしていた警備のおじさんたちはニコニコしながら「カバンノ中、見セテクダサーイ」と話しかけてきました。持ち物チェックを終えると「アリガトサーン」。やけにこなれた日本語ですが、誰が教えたんでしょう。

duomo2.jpg

ドゥオモ内部

ものすごい高さの天井、そしてものすごい広さです。これでは確かに、500年ぐらいかけないと到底作れそうにありません。しかも、クレーンも何もない時代に、よくこれだけの建物を建てられたものですよね。

一番奥のステンドグラスもまた見事です。古いものは15世紀ごろにつくられたものだとか。

duomo3.jpg duomo4.jpg

聖書の内容を分かりやすく、絵にして表現しているんですね。ちょうど差し込んできた太陽の光を受けたステンドグラスは、薄暗いドゥオモの中で、いっそう神々しく見えました。

実は、ドゥオモは屋上に上ることができるんです。屋上でもいろいろすごいものを見ることができたのですが・・・。その様子はまた次回お伝えします。

投稿者 royce : 15:26 | トラックバック

2006年02月24日

イタリア探訪第8回 トリノの歴史

トリノは実に歴史の深い街です。ネット上で検索できるフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」によると、この地域にはもともとタウリニー人と呼ばれる人々が住んでいたのですが、領有したローマ帝国がカストラ・タウリノールム(のちにアウグスタ・タウリノールムと改名)という街を建設しました。トリノという名前もこれに由来しているそうです。

ローマ帝国の滅亡後、トリノの帰属は揺れ動くことになります。「平凡社 世界大百科事典」によると、6世紀にはランゴバルド公領、8世紀にはフランク伯領となり、9世紀以降はその領有をめぐって争いが続きました。長い争いの末、トリノを領有するようになったのがサヴォイア家でした。16世紀には一時、フランスに占領されましたが、1563年、サヴォイア家のエマヌエーレ・フィリベルトが奪回してからサヴォイア公国の首都となり、今も残るバロック様式の美しい街並みがかたちづくられたのです。

そんな歴史あるトリノを象徴するような建物がこちら。

palazzomadama1.jpg

市内中心部、カステッロ広場に面したマダマ宮殿(palazzo madama)です。現在のトリノ市内の風景と調和したバロック様式の壮麗な建物。実に見事です。最初見たときは、同じ広場に面している王宮ではなく、こちらを王宮かと勘違いしたほどです。ところが、後ろに回りこんでみると・・・

palazzomadama2.jpg
写真左手がカステッロ広場に面した、上の写真のファサード(建物正面)にあたる

あれ?あれあれー??表と裏とでは、まるで別の建物。ぐるっと回転するとアイドル歌手のいるステージが出てくる「8時だよ全員集合」のセットを思い出してしまいました。正面は白い綺麗な建物で、裏は対照的に重々しい、もっと時代が古そうな建物になっているんです。

実はこの建物、もともとローマ帝国初代皇帝・アウグストゥス(在位・紀元前27年 - 紀元14年)の時代に建てられた門の跡に、中世になって城が築かれ、さらに18世紀、建築家のフィリッポ・ユヴァッラがファサードを増築したものなんだそうです。つまり、白い部分は18世紀、茶色い部分は中世の建物なんですね。

そんなエピソードも、古代からの歴史を誇るトリノならでは。古代、中世、近世と、時の移り変わりを見守りつづけてきたマダマ宮殿は、まさにトリノの歴史そのものと言っても過言ではないでしょう。

投稿者 royce : 19:16 | トラックバック

2006年02月17日

イタリア探訪第7回 路面電車と登山電車

路面電車は自家用車の普及と共にどんどん姿を消しており、札幌でも先ごろ、路面電車(札幌では一般に“市電”と呼びます)を廃止しようかという議論がありました。結局、札幌では存続することに決まりましたが、路面電車は環境に優しいとして近年、見直されてきているようですね。

ミラノにはとても充実した路面電車の路線網が張り巡らされています。スピードだけなら地下鉄のほうが有利ですが、歴史と最先端の流行が融和したミラノの街並みを、ゆっくり走る路面電車に乗って眺めるのは、実に楽しいものです。


tram.jpg

スカラ座の前を走る路面電車。オレンジの車体が石壁の街並みに良く映えます
 
 
そして、トリノもまたイタリア有数の路面電車網を持つ街です。五輪に合わせて地下鉄も建設されましたが、やっぱり歴史のある街には路面電車の風情が似合います。車道の上に張られた路面電車の架線は、ともすれば景観を損ねる悪者扱いされがちですが、改めて見ると、なかなか情緒のあるものですね。

トリノで情緒と言えば、もう一つ忘れてはいけないのが、郊外のスペルガ丘陵に向かう登山電車。昔、市内を走っていた路面電車の車両を改造したものと聞きましたが、これがまた素晴らしい年代物なのです。


sperga.jpg 

sperga2.jpg

ふもとの駅にいた電車(上)と、歴史を感じる運転席(下)


sperga4.jpg sperga6.jpg

磨きこまれた木の内装(左)つり革は本当に革製(右)

山頂駅までは自転車ぐらいのスピードで上り、30分ぐらいかかります。途中にいくつか駅がありますが、通過してしまうので「この電車、今は山頂の観光客専用で、途中の駅は使っていないんだな」と早合点していたら、次の駅にご婦人が1人、立っていました。どうやら乗る人がいれば止まる仕組みになっているようです。ご婦人は街に出かける途中だったようで、買い物袋を持っていて、慣れた様子で運転手と言葉を交わして乗り込んできました。古いものをただ大切にするだけでなく、生活の中で生かしているところは、さすが長い歴史のあるイタリアですね。

投稿者 royce : 09:09 | トラックバック

2006年02月10日

イタリア探訪第6回 光のアート

夕闇のトリノを歩いていたら、こんな風景を見つけました。

palazzomadama.jpg
市内中心部のマダマ宮殿裏手で、映画の
スタッフロールのように光の文字がスクロール


「なんだ、あれ?」と思っていたら、街角ではそのほかにもこんな風景を見つけました。

viaroma.jpg viagaribaldi.jpg
こちらは、テレビなどでもよく見かける風景なので、ご覧になったことがある方も多いかもしれません。左はローマ通り、右はガリバルディ通りの夜の風景。

トリノでは1998年から毎年クリスマスの時期に、トリノゆかりのアーティストたちによる光の展覧会「Luci d’Artista(ルーチ・ダルティスタ:芸術家の光)」が開催されているんです。ひと口に光と言っても大きさ、表現の仕方はさまざま。しかも頭上だったり、足元だったり、街のいたるところに展示されていて、見る人を飽きさせません。

トリノの街自体は建物の色も抑え気味ですし、街並みが整然としているせいか、全体に落ち着いた雰囲気なのですが、夜になって作品が点灯されると一気に華やかになります。たくさんのトリノ市民が、何人かのグループになって光の星座の下を歩いている様子は、いかにも楽しそうでしたよ。

この展覧会は毎回、クリスマスシーズンに開催されていますが、オリンピックやパラリンピックが開かれる今年は、特別に2月、3月にも点灯する予定だということです。

投稿者 royce : 16:29 | トラックバック

2006年02月03日

イタリア探訪第5回 カフェ・トリノ

トリノでは、いろんなカフェに入ってみたのですが、どのお店も大変歴史が深いんです。ただ単にずーっと昔から営業している、っていうだけじゃなくて、「ニーチェがよく来ていた」「イタリアの初代首相・カブールがいつもこの席に座っていた」とかいうストーリーにも事欠かないんです。まさに歴史の舞台。トリノのカフェには、世界史の主役たちの足跡が今も残っています。

cafetorino.jpg

最初に訪れたカフェ・トリノは、サン・カルロ広場に面しており、1903年創業のカフェです。文化財のように古い建物と、骨董クラスの調度品。そしてそこで、トリノの人々が毎日そうするように1杯のエスプレッソを楽しむ。歴史と日常がこんなに親しい関係になり得るものなんだと感心しながら頼んだのがこれ。

cafetorino2.jpg

トリノ名物・ビチェリンです。コーヒーとチョコレートを混ぜ、上にクリームを載せたホットドリンクなんです。チョコレートの甘さとコーヒーのビターさ・香りのバランスが絶妙にとれていて、特に肌寒いトリノの冬にはたまりませんよ、これは。

そして、カフェ・トリノの前の歩道にはこういうものが埋め込まれていました。

cafetorino3.jpg

トリノの象徴・牡牛のレリーフです。この牡牛を踏むと、トリノにまた来ることができると信じられているそうです。このことをガイドブックで読んで知っていた我々一行は「これでもかッ」とばかりにぎゅぅ~っと踏みつけてきました。トリノを愛するたくさんの人に踏まれて磨り減り、ピカピカに輝く牡牛は、なんだかとてもご利益がありそうに見えましたよ。

投稿者 royce : 17:26 | トラックバック

2006年01月27日

イタリア探訪 第4回・チョコレートの都・トリノ後編

前回お話したとおり、スペインが中央アメリカから持ち帰ったチョコレートは、イタリアの王侯貴族たちの間に広まっていきましたが、さらに大きな出来事が1678年、トリノでありました。ピエモンテを支配しているサヴォイア家がアントニオ・アッリという商人に対して「これから6年間、チョコレートを一般に販売する」ことを許可する免許を発行したのです。

それまでチョコレートは、ほぼ王様をはじめとするごくごく一部の人しか口にする(当時は“飲む”)ことができなかったものですから、これは大変なことでした。サヴォイアの都・トリノにはチョコレートを求める人々や、チョコレートづくりの修行を志す大勢の人々が集まってきました。王宮の近くにはたくさんのチョコレート店が立ち並び、それはそれはにぎわったそうです。まさに、トリノは“チョコレートの都”と呼ぶにふさわしい歴史を持つ街なんですね。

IMG_5330.JPG
王宮から伸びるガリバルディ通りにも
数多くのチョコレート店があったそうです

以前、トリノはイタリアの首都だったとお話しましたが、それは、トリノを都とするサヴォイア家がその後、イタリア統一を目指す運動の中心となり、統一を達成したイタリアの国王となったから。トリノはチョコレートにとっても、イタリアにとっても歴史的にとても重要な役割を果たしてきた街なんですよ。

さて、トリノではその後もさまざまなチョコレート文化が花開いていくのですが・・・。それは街の様子のご紹介の中で、改めてお話しましょう。

投稿者 royce : 08:28 | トラックバック

2006年01月20日

イタリア探訪 第3回・チョコレートの都トリノ 前編

海外のチョコレート、といえばどこを思い出しますか?ベルギー、スイス、フランス、アメリカあたりが真っ先に思い出されそうですが、実はイタリア、中でもトリノはチョコレートの世界でもたいへん歴史の深い地域なんですよ。

IMG_5418.JPG
トリノの中心部・カステッロ広場と王宮。
トリノ五輪の表彰式もここで行われます。

チョコレートの原料・カカオは中米原産です。今から4000年ぐらい前には中米に住んでいた人々が、カカオをすり潰してつくった液体を飲んでいたと言われています。今のチョコレートやココアと違って甘くもなく、ドロドロして飲みにくいものだったようですが、健康に良い薬のようなものとして大切にされ、王様などごく一部の限られた人々が愛飲していました。

さて、大航海時代になるとヨーロッパの人々がアメリカ大陸を目指すようになりました。1528年には、今のメキシコにあったアステカ帝国を征服したスペイン人・コルテスが、アステカの人々が珍重していたカカオをヨーロッパに持ち帰りました。

世にも珍しいカカオで作った飲み物・チョコレートは、長い間スペインの王様や貴族に独占されていたんですが、そんなにいいものをずっと独り占めできるはずもありません。そうしてスペインから最初にチョコレートが伝わったのがイタリアだったんです。その間の経緯には諸説ありますが、チョコレートがイタリアへ伝わるきっかけとなった人物の1人として、当時トリノを中心とするピエモンテ地方を治めていたサヴォイア公・エマヌエーレ・フィリベルトの名が挙げられています。

IMG_5297.JPG
トリノのサン・カルロ広場にあるエマヌエーレ・フィリベルト像

エマヌエーレ・フィリベルトは当時、スペイン陸軍の将軍を務めていたのでスペイン王宮との間に深いつながりがありました。そしてそのスペインで、新大陸から伝来したばかりの新しい飲み物・チョコレートと出会いました。今でも食べ物が美味しいことで有名なピエモンテの領主ですから、そんなにいいものをピエモンテへと持ち帰らないはずがありません。やがてその息子・カルロ・エマヌエーレ1世とスペイン王女カテリーナが結婚したのをきっかけに、チョコレートはピエモンテの貴族の間へと、瞬く間に広まっていったのです。
後編に続く)

投稿者 royce : 14:18 | トラックバック

2006年01月13日

イタリア探訪 第2回・イタリアの首都だったトリノ

トリノって、どんな街なんでしょう。人口約90万人。主要産業は自動車。日本だったら少し大きめの工業都市といったところでしょうか。ここにはイタリア最大の自動車メーカー・フィアットの本拠地があります。町外れには巨大な工場がありましたし、市街地にはむかしフィアットの工場だった建物を改造した豪華なホテルがあるんです。なんでも自動車を組みあげながら下の階から上へ上へと上げていき、最後は屋上のテストコースで試走してから出荷したとか。工場がホテルに変わった今は、テストコースが宿泊客用のジョギングコースになってるそうです。

サッカー好きな方なら、セリエAの名門・ユヴェントスのホームグラウンドがあることでトリノをご存知かもしれません。今、セリエAは1位ユヴェントス、2位ACミラン、3位インテルと、今回訪ねたトリノとミラノの強豪が上位独占してるんですよね。今回は試合を見ることはできなかったんですが、街中を歩いていて、こんなものを見つけました。

juventus.jpg
トリノ市内で見つけたユヴェントスのショップ。トリノの
空港にもショップがありました。

トリノはイタリアでも北西の端の方にあり、すぐ西にはアルプス山脈がそびえています。イタリアと言えば太陽がまぶしい暑い国というイメージがありますが、冬季五輪が開かれるだけあって、とても涼しい気候の街です。
tuttatorino.jpg
郊外の丘陵からトリノ市街を望む。背後にはアルプス山脈

イタリアは長い間、ヴェネツィア、フィレンツェなどといった有力な都市を中心にした小さな国が林立する状態が続き、「イタリア」という一つの国になったのはなんと1861年(日本では幕末の頃)になってから。そのとき、「イタリア王国」(第二次大戦後は共和国)の最初の首都となったのがトリノなんです。(1865年には首都がフィレンツェに移りました)

一方、トリノはイタリアの映画産業発祥の地とされ、映画の街としての顔も持っています。トリノ市内を見下ろすモーレ・アントネリアーナには、ヨーロッパ有数の規模を誇る国立映画博物館が設置されています。かつてのトリノは、いわばハリウッドのような街で、市内のカフェには銀幕のスターたちが集まったそうです。今回、街を歩き回っていくつものカフェに入りましたが、そのまんま映画のロケに使えそうな雰囲気のあるところばかりでした。街角のカフェで映画スターがエスプレッソを飲んでいたら、さぞかしサマになっていたんでしょうねえ。

投稿者 royce : 08:43 | トラックバック

2006年01月06日

イタリア探訪 第1回・イタリアに行ってきました

最近、テレビや新聞でトリノという名前を目にすることが多くなってきました。でも、工藤は最近までトリノのことをほとんど知らなかったんですよ。イタリアって言ったら、ローマ、ヴェネツィア、ミラノ、ナポリ、フィレンツェ・・・と、もっとメジャーな街が多いじゃないですか。だから、トリノが古くからの歴史ある街だとか、イタリア第4の大都市だとか、実は昔はイタリアの首都だったっていうことも知らなかったんです。

そんな工藤ですが、先日、トリノに出張する機会がありまして、いろいろ見て参りました。そして、実はトリノが単に古い歴史を持つ街であるだけでなく、まさに「チョコレートの都」というべき場所だったということを目の当たりにしてきたんです。と、いうわけで今回から週に1回ずつ、トリノ(と途中で寄ったミラノ)で見てきたことをご紹介したいと思います。

milano.jpg
イタリア・ミラノの街角

ところで、今月からロイズのe-shopと直営店でイタリアンフェアを実施しています。その第一弾として、「ロイズアマレッティ」を販売中です!アマレッティはアーモンドの良い香りと味がする北イタリア発祥のお菓子で、フランスのマカロンの原型になったともされています。見た目は非常に素朴なんですが、食べてみると外側がカリッとしていているのに中身がしっとりしていて、不思議な食感のお菓子です。

今回、ミラノでも“本場”のアマレッティを買って食べてみたんですが、正直、ロイズのアマレッティの味の方が断然!良かったと思います。ぜひお試しください!また、今後もイタリアにまつわるお菓子が次々と登場しますので、お見逃しなく!

投稿者 royce : 09:34 | トラックバック