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2007年10月26日
フィレンツェ探訪 第11回 またフィレンツェに来られますように
フィレンツェ市街にある市場には、こんなイノシシの像があります。

ポルチェリーノ(子猪)と呼ばれているそうです。鼻のところだけ色が違いますが、これは、この像の鼻をなでて口にコインを入れて、舌を滑らせるように落として下にあいている穴(角度的に若干コインが入りづらくなっている)に入れば、またフィレンツェに戻ってこられる、と言われているからなのだとか。トリノの牡牛のレリーフみたいですね。

大勢の人になでられた鼻だけピカピカになってます
私も「フィレンツェに戻ってこられるように」と念じながらコインを落としました。チャリーン!(外れる音)「は、外れた・・・!もう一回!」チャリーン!「もう一回!」「もう一回!」・・・結局、5回目ぐらいでようやくコインは穴の中へ。多少、力づく感がありましたが、成功すればいいんです、成功すれば。

ちなみに、願いを込めたイタリアの1ユーロコインには「ダ・ヴィンチ・コード」でもおなじみ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」が描かれてます
フィレンツェには1週間近く滞在しましたが、昔の町並みがそっくりそのままといっていいレベルで残っていることに驚きました。道を走る自動車や歩いている人の服装などをのぞけば、ダンテやミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチが見た風景とそう大差ないような風景があちこちで見られるんですから。

もともとあった位置に復元された「ダンテの家」

観光客の姿が絶えることがありません

治安の悪いところさえ避ければ、夕方の散歩も楽しい町です。

夕食の後には、グラッパ(ブドウの搾りかすを発酵させてできたアルコールでつくった蒸留酒)やリモンチェッロ(レモンのリキュール)がまた美味い!
滞在中のあるとき、アルノ川を渡ろうとすると、虹が見えました。

フィレンツェの空にかかる虹は、北海道の大地で見るそれとはまた違った美しさで、私たちもしばらく見入っていました。
(完)
2007年10月22日
フィレンツェ探訪 第10回 トスカーナはワインのふるさと
イタリアにはさまざまな美味しいものがありますが、忘れてはいけないのがワイン。なんといってもイタリアは、ワイン生産量でフランスと世界1~2位を争うほどのワイン大国なのです。
イタリアは全土にわたって気候がよく、ワイン用のブドウ生産に適しているため、各地方に自慢のワイン銘柄があります。数多いイタリアワインの産地の中でも特に有名なのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方ではないでしょうか。温暖な気候を生かして、トスカーナではさまざまなワインがつくられています。
今回、その中でも特に有名な産地の一つ・キャンティ地方のとあるワイナリーにお邪魔してきました。フィレンツェから車で1時間ほど。広大なブドウ畑が広がる中に、ワイナリーの建物が見えてきました。

ワイナリーの所有する畑がはるか彼方まで続いていました
案内してくださった方によると、ここは非常に歴史のあるワイナリーで、570年以上もの伝統を誇っているそうです。キャンティ地方だけでなく、イタリア国内に別のブドウ畑を所有しており、気候の違いにより異なった味わいのワインをつくっているのだと教えてもらいました。
ブドウ畑を案内してもらったとき、ワイナリーの方が「向こうにシエナの町が見えます」と言いました。目を凝らすと、ブドウの葉の緑のはるか向こうに、町らしきものが見えました。

左上の方にうっすらと見える建物がシエナ市街だそうです
キャンティ地方のワインの中でも産地など厳しく定められた条件を満たした特別なものは「キャンティ・クラシコ」を名乗ることができます。このキャンティ・クラシコのシンボルとなっているのがガッロ・ネーロ(黒い雄鶏)。このマークの由来に深く関わっているのがこのワイナリーのある土地なのだそうです。
時は中世。イタリアの各都市がそれぞれ別々の国だった頃、隣国同士だったフィレンツェとシエナは領土を争っていました。あるとき、2つの町はこんな取り決めをします。「それぞれの町の騎士が一番鶏が鳴くと同時にスタートして相手の町を目指し、2人が出会ったところを領土の境界線とする」。そこでフィレンツェ側は一計を案じました。用意した黒い雄鶏にわざと餌を与えず、お腹をすかせるようにしておいたのです。果たしてフィレンツェの雄鶏は夜明け前に空腹に耐え切れず鳴き始めました。おかげでフィレンツェの騎士はシエナの騎士を大きくリードし、なんと2人が出会ったのは町並みが向こうに見えるほどシエナに近い、このワイナリーが立つ土地だったとか。このエピソードが元になり、キャンティ地方では現在、黒い雄鶏を最上級のワインのシンボルとして使っているわけです。

シエナとフィレンツェを結ぶ街道沿いにあります

ワイナリーの中には古代ローマ時代からあるという古い街道が走っていました。もしかしたら、シエナの騎士はこのへんの石畳の上で地団駄踏んで悔しがったかも・・・。
ワイナリーでは貯蔵庫も見学してきました。案内してくださった方いわく、「昔はとにかくたくさんつくることが重要だったが、今は量は少なくても品質の良いものをつくることにこだわっています」とのこと。それに合わせて使用している樽も大きさを変えたりしているそうです。500年以上続くところでも、時代に合わせてスタイルを変えているのだなあと感心。

見学用コースにあった樽
さて、いよいよ試飲です。イタリアには、サン・ジョヴェーゼなど長い歴史を持つイタリア独特の品種のブドウがたくさんあります。それだけでなくカベルネ・ソーヴィニョンとかメルローといった、フランスワインでおなじみの品種も栽培されており、さまざまな個性を持つワインが生み出されているそうです。私も、ワインに詳しい同僚の隣に座ってみようみまねでテイスティング。じっくり見て、香りを感じて、味わうと、同じワイナリーでつくられたと言ってもそれぞれのワインがとても個性的なものに感じられます。

個性豊かなワインのテイスティングは楽しいですね
長い伝統と新しい取り組み。イタリアワインは相反することを両立させて、まだ進化を続けているんだなあと感じた、ワイナリーでの時間でした。
ブドウといえば、ブドウの収穫の時期によくつくられる、こんなお菓子があります。


スキャッチャータ・コン・ウーヴァといいます。スキャッチャータというのはフォカッチャを潰したもの。ウーヴァはブドウのこと(コンは英語で言えばwithに当たります)。生地の中にブドウがたーっぷりつまったものなんです。

こんな感じのブドウでつくるそうです。
材料もパン生地に砂糖、ブドウ、オリーブオイルなどと、いたってシンプル。でも、しっとりとした食感とブドウのおいしさを存分に楽しめる伝統菓子です。ブドウの産地らしい、そして旬の味覚に恵まれたトスカーナらしいお菓子ですね。
2007年10月17日
フィレンツェ探訪 第9回 「百塔の町」サン・ジミニャーノ
ずっと前、たぶん学生時代だったと思いますが、夜中にテレビでやっていたイタリアの番組を見て感動したことが何度かありました。今でも鮮烈に覚えているのがシエナで行われる「パリオ」という競馬のお祭り。なにしろ、ほとんど“暴れ馬”に近い馬に猛者ぞろいの騎手が乗り、町の中の狭い広場を猛スピードで駆け抜けるという、すごい祭りだったからです。それからもう1つが町中にたくさんの塔がそびえるサン・ジミニャーノという町のこと。狭い中世の町並みの中に何本もの塔が建っている、不思議な景観の町なのです。今回、そのサン・ジミニャーノを訪れることができました。

サン・ジミニャーノの歴史地区はフィレンツェ中心部同様、世界遺産に登録されています。町は城壁で囲まれており、フィレンツェと違ってその城壁もしっかり残っています。街並みも建物の屋根にテレビアンテナがついていること以外はほとんど昔のままで、ある意味フィレンツェ以上に時間を超えて中世にやってきたような気分になるところでした。

イタリアの2ユーロに肖像が描かれているあのダンテも、サン・ジミニャーノにフィレンツェの大使としてやってきたことがあるそうです。
この町では13世紀、町の貴族たちは教皇派と皇帝派の2派に分かれて争っていました。その中で一番の権力を握ったものは高い高い塔を建てました。塔は権力の象徴とされており、彼らは競ってより高い塔を建てようとしたのです。最盛期には狭い町の中に70以上の塔があったと伝えられています。長い歴史の中で多くの塔は失われてしまいましたが、今現在も14の塔が残っています。

その中でも、市庁舎として使われていたポポロ宮殿にある塔は最も高い高さ54mを誇ります。観光客が立ち入ることができるのはこの塔だけなので、せっかくですから上まで上ってみました。

塔の中身はがらんどうに近くて、まるで巨大なサイロの中を上っているようです。部屋も何もなく、本当に「高くするだけのために作った塔」という感じでした。その中に、非常階段のように下がメッシュになった鉄製の階段が取り付けられています。足下を見ると何十メートル下が透けて見えるので、けっこう怖いです。屋上に出るところだけはハシゴになっています。長い階段を上ってきて疲れたのか、ドイツ語を話す年配の方のグループがはしごの近くで休んでいて、道を譲ってくれました。
屋上に出て感動しました。小さなサン・ジミニャーノの町の赤い屋根が、眼下に円形に広がっています。そしてその向こうには豊かなトスカーナの緑の大地がはるか彼方まで広がっているのです。そのコントラストが鮮やかで、言葉が出ませんでした。

反対側に回ると隣の塔がすぐそこに見えます。塔の屋根では鳥たちが羽を休ませていました。

赤い屋根の下にある街路も上から見るとわずかに蛇行していて、城壁に囲まれた石造りの建物が密集したこの町が、不思議と人工的なものに見えなかったのでした。

この町には、世界チャンピオンに輝いたジェラート屋さんがあります。イタリアでジェラートを食べると、どこへ行っても美味しいんですが、やっぱり世界チャンピオンの店のものも美味しかったです。しかも、親切なことにメニュー表は全部日本語訳付き。

カップやコーンを大きさ別に選ぶこともできます。私は2ユーロのカップに2種類のフレーバーを入れて食べたのですが、どちらも素晴らしい!あまりに気に入ったので、帰りがけにもう一度2ユーロのカップで別なフレーバーを試してみてしまったのでした。
2007年10月12日
フィレンツェ探訪 第8回 ヴェッキオ宮殿
フィレンツェ中心部のシニョーリア広場には、ヴェッキオ宮殿という建物があります。かつて、フィレンツェ市の庁舎として14世紀に建てられました。なんと、この建物は今でもフィレンツェの市庁舎として使われているのだそうです!ポンテ・ヴェッキオのところでお話した「ヴァザーリの回廊」は、このヴェッキオ宮殿から約1キロ先のピッティ宮殿までつながっています。

遠くからも見える高さ94mの塔が目印

宮殿があるのはフィレンツェの政治・社会の中心地・シニョーリア広場

大変重厚感のある建物です。
この建物には「五百人の広間」という大会議室があり、ヴァザーリの回廊を設計したジョルジョ・ヴァザーリの壁画が描かれているのですが、ここは当初の計画では一方の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチが、反対側の壁にミケランジェロが壁画を描く予定でした。結局、2人とも制作途中でフィレンツェからは離れなければならなくなり、未完に終わってしまったのですが、もし完成していたらどんな絵になっていたんでしょうね。
その代わりというわけでもないんでしょうが、ヴェッキオ宮殿の外壁にはミケランジェロ作と言われている落書きならぬ「落彫り」が残っています。

これがミケランジェロ作と言われる顔
ヴェッキオ宮殿の近くにいたミケランジェロが、広場を行く1人の男を見て創作意欲をかきたてられ、誰にも気づかれないよう後ろ手にヴェッキオ宮殿の壁に彫ったのがこの顔だという伝説があるそうです。フィレンツェでは立派な美術館に収められた作品だけでなく、観光客が絶えず往来するところにある、こんなところにも巨匠の面影が残ります。ルネサンスを代表する偉人が、まるでさっきまですぐそこにいたかのような錯覚さえ感じさせるところが、フィレンツェのすごいところですね。
ちなみに、社会科の教科書でもおなじみのミケランジェロ作「ダビデ像」は、フィレンツェのアカデミア博物館に収蔵されています。もともと、この像はヴェッキオ宮殿の入り口脇に置かれていたのですが、現在はもとあった位置にレプリカが置かれています。

1910年に置かれたレプリカのダビデ像
2007年10月09日
フィレンツェ探訪 第7回 サン・ロレンツォ中央市場
フィレンツェはイタリア中部・トスカーナ州の州都です。トスカーナ地方は豊かな農業地帯を抱え、食べ物の非常においしい地方としても知られています。
そんなフィレンツェの台所とでも呼ぶべき場所がサン・ロレンツォ中央市場。この建物は、ミラノのドゥオーモ広場とスカラ座の間を結ぶヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアで知られる建築家・ジュゼッペ・メンゴーニの手によるものです。

ものすごく大きな建物です
2階建ての大きな市場の1階部分には肉やチーズ、魚などを売るお店が並び、2階には野菜がたくさん並んでいます。まずは1階部分を探検してみました。
肉屋さんは豪快に商品を天井から吊るして販売。
「ペコリーノチーズ キロ12.9ユーロ」
魚もたくさんありました。この後、ウツボらしきものも見つけてびっくり
見ているだけでもとてもおいしそう!日本だと「100グラムあたり何円」ですが、ここでは「1キロあたり何ユーロ」で値段がつけられています。珍しいものを探してウロウロしていると、不意に「何かお探しですか?」と日本語で話し掛けられました。場所柄もあって観光客の姿がとても多いところなので、お店には日本人のスタッフの方がいらっしゃるところも珍しくありません。
2階には野菜がたくさんありました。イタリア料理でもお馴染みのナスやトマトのほか、リンゴ(「FUJI」もありました)などの果物も豊富。そしてイタリアでよく使われるキノコのポルチーニもたくさん売られていました。ポルチーニもトマトも、生のものだけでなく乾燥させたものがたくさんありましたよ。
立派なナスです
リンゴも種類が豊富
お客さんとお店の人の威勢のいい掛け合いが高い天井に響きます
ちょっとお腹が空いたので、市場の中にある「ネルボーネ」という食堂に行ってみました。ここはなんと創業1872年(!)という老舗。観光客の方も、地元の人も大勢集まってきます。
こちらがネルボーネ
メニューらしきものを見つけられず、右往左往していたら、隣にいたイタリア人の青年が自分の食べているパニーノを指差して「これが美味いぞ」と教えてくれました。「それ、なんていう名前ですか?」と聞くと、「パニーノ・ランプレドットだよ」とのこと。さっそく、お店のおじさんに「僕にもこれをください!」と注文してみました。
いわゆる牛のホルモンらしいことは分かったのですが、肝心のランプレドットというのが何なのか分からないまま、食べてみました。塩味ベースのシンプルな味付けなんですが、これが意外とあっさりしていて美味しかったです。後で調べたら、牛の4つある胃袋のうち4番目の胃に当たる部分で、焼肉店風にいうと「ギアラ」にあたるそうです。
ちなみに、市場の周りは土産物のTシャツやら革製品やら絵葉書などを売る屋台が立ち並び、ちょうど上野のアメ横を思い出させるような活気がありました。
お店の人たちもとても気さくでした
この屋台の中にも「ホルモン」のパニーノを出しているところがありまして、こっちもかなりの人気でしたよ!
こちらは屋台のパニーノ
2007年10月05日
フィレンツェ探訪 第6回 ミケランジェロ広場
ある日の夕方、市内を一望できるミケランジェロ広場を目指して、せっかくだから歩いて行ってみようということになりました。市内中心部からは小一時間ほどの距離です。
ミケランジェロ広場は町外れの小高い丘の上にあります。うっそうと茂る林の向こうから、次第にフィレンツェの街並みが見えてきました。

フィレンツェの町並み

ミケランジェロ広場から見たドゥオーモ
ドゥオーモはあまりに大きすぎて、近くからでは全体像が見えなかったのですが、ここからならクーポラ(ドーム)の雰囲気も、何もかもが見えてきます。そして、徐々に日が傾き、アルノ川に夕陽が映し出されはじめました。

夕方のミケランジェロ広場は、見下ろす町の色が刻一刻とうつり変わり、とてもきれいでした!
ところで、フィレンツェはその昔、外敵からの守りを固めるために町全体を城壁で囲んでいたのですが、現在はその城壁のほとんどが取り払われ、旧市街を一周する環状道路に姿を変えています。その城壁の数少ない名残の一つがこのミケランジェロ広場の下にあります。

サン・ニッコロ門と言って、1324年にフィレンツェの城壁の一部として築かれた門です。フィレンツェの城門の中では新しい方で、建造当初の高さを保っているのはこれだけだということで、近くに行くと見上げる高さです。この門は夕方になるとライトアップされ、とても風情のある姿を見せてくれました。


2007年09月28日
フィレンツェ探訪 第5回 ポンテ・ヴェッキオ
フィレンツェは中世に栄えた町ですから、意外とコンパクトにできています。道も狭いので、歩いて回るのにちょうどいい大きさだといえるでしょう。
町の中心部にはアルノ川という川が流れています。この川には何本もの橋がかかっているのですが、中でも最も有名なのがポンテ・ヴェッキオという橋。日本語にすると「古い橋」という意味になります。その名の通り、1345年に建造された、フィレンツェでも最も古い橋です。ポンテ・ヴェッキオ以外の橋は第2次世界大戦の時に破壊され、後に再建されたので、フィレンツェでも際立って古い橋ということになります。

ポンテ・ヴェッキオ
この橋、橋の上に建物が建っていることで有名です。建物はほとんどが貴金属店で、橋の上はショーウインドーを覗き込む市民や町を行き来する観光客らでごった返しています。

昼も夜も無く大混雑

貴金属店がたくさん軒を並べています
建物の2階部分には「ヴァザーリの回廊」という通路があります。このシリーズの中でも何度か登場した16世紀の建築家・ジョルジョ・ヴァザーリがメディチ家から命じられて作った回廊です。メディチ家の人々は、暗殺を避けるために住まいのピッティ宮殿から川を挟んだフィレンツェ市の庁舎(現ウフィツィ美術館)まで歩いていける専用の通路を設けたのです。その、ヴァザーリの回廊の川を渡る部分がポンテ・ヴェッキオの上を通っているというわけです。

上にある廊下のようなものが「ヴァザーリの回廊」
ポンテ・ヴェッキオを後にして、アルノ川の岸辺を歩いてみました。観光客の方が本当に大勢歩いています。

アルノ川の岸でのんびりする人たち

夕陽を受け、金色に染まるアルノ川

なぜかアルノ川の川原にたくさん集まっていたフェラーリ軍団
2007年09月21日
フィレンツェ探訪 第4回 天才たちのフィレンツェ(ウフィツィ美術館、サンタ・クローチェ教会)
フィレンツェの観光地としてもう一つ、忘れてはいけないのがウフィツィ美術館。フィレンツェの官庁の合同庁舎として建てられた建物が、現在は美術館として使われています。この美術館、何がすごいといえば収蔵されている美術品の数々!社会の教科書で有名なボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」をはじめ、次の展示室に歩いていくたびにミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなどなど、超有名な作品がこれでもかこれでもかと現れます。これはすごい!
ウフィッツィ美術館。一部改装中でした。
レオナルド・ダ・ヴィンチはじめ、多くの偉人たちの像が見学者を迎えます
残念ながら内部は撮影禁止だったのですが、たとえばこんなところにもウフィツィ美術館の収蔵作品を見ることができます。

イタリアで発行されている10セント硬貨
ユーロ硬貨は加盟各国で裏面のデザインが違うのですが、イタリア版の10セント硬貨にはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が使われています。
このほかに、トスカーナ大公の邸宅だったピッティ宮殿にあるパラティーナ美術館というところにも、ラファエロの「小椅子の聖母」をはじめとする素晴らしい作品がところ狭しと展示されていましたし、町中が美術館という言い方が本当にぴったりでした。フィンレンツェは、本当に多くの才能を引き寄せる土地だったようです。
パラティーナ美術館のあるピッティ宮殿
その名残がはっきり分かるのが、市内にあるサンタ・クローチェ教会。こちらはフランチェスコ修道会が建てた教会で、内部には教科書で見た記憶のある著名人の墓所や記念碑がたくさん並んでいます。
サンタ・クローチェ教会
天文学者・物理学者として有名なガリレオ・ガリレイの墓碑
「君主論」で知られるマキャヴェッリの墓碑
オペラ「セビリアの理髪師」などを作曲したロッシーニの墓碑
そしてミケランジェロの墓碑
本当に、フィレンツェという町の真のすごさを見せ付けられるような場所でした。
2007年09月14日
フィレンツェ探訪 第3回 フィレンツェのドゥオーモ<後>
フィレンツェのドゥオーモは、クーポラ(ドーム)の上にのぼることができます。以前、ミラノのドゥオーモの屋上まで上った際は階段かエレベーターかを選ぶことができたのですが(もちろんエレベーター)、フィレンツェのドゥオーモは階段のみ!頂上まで長い長い道のりです。
「463段 ― エレベーターはございません」
階段入り口
狭い階段は往復兼用。降りてくる人と道を譲り合いながら頂上を目指します。ところどころにある小さな窓から見えるフィレンツェの景色が、徐々に遠くまで見渡せるようになってきました。
途中まで上ると、クーポラの内側に出ました。天井の内側に描かれた絵がよく見えます。この絵はフィレンツェのウフィッツィ宮殿などの設計で知られるジョルジョ・ヴァザーリらによって描かれた「最後の審判」です。地上の高さから見たときと違って、細かいところまで良く見えますし、迫力もけた違い。
さて、また薄暗い通路に戻って、さらに上を目指します。急な階段がだんだん堪えるようになってきて、私や一緒に上った同僚は、だんだん無口になってきます。「ここ狭いから、空気、薄い気がしませんか?」と後ろに問いかけると「ホントですね」と、弱々しい返事が戻ってきました。そうこうしていると、向こうのほうに光が差し込んでくるのが見えました。いよいよ頂上です!
クーポラの曲面を上から見下ろしたところ
ドゥオーモの頂上からはフィレンツェの街並みが一望にできました。周りは山に囲まれていて、「フィレンツェは盆地なんだなあ」ということがよく分かります。足下には建物の赤い屋根がずーっと向こうまで広がっていて、絵に描いた町のようでした。高校のころ、世界史の先生が「フィレンツェに行ったら、ドゥオーモにはぜひ上ってみてほしい。あんなに素晴らしい景色は他では見られない」と話していたのを思い出します。上るのが大変だった分、上からの景色は最高でした。
ピッティ宮
ヴェッキオ宮殿
帰りは、ぐったりした表情で上ってくる人に道をゆずりながらゆっくりと地上を目指しました。すれ違う人たちの話す言葉も、イタリア語、日本語、スペイン語、英語とインターナショナル。すると、疲れてしゃがみこんでいたアメリカ人らしき男性に「もうすぐ頂上ですか?」と聞かれ「はい」と答えると、疲れた顔をしながらも立ち上がって、また上り始めていました。頑張れ!
地上に降りて、さきほど上ったばかりのクーポラの上をカメラの望遠レンズで見上げると、大勢の人がさっき私がしていたように地上を指差して何か話し合ったり、写真をとったりしているのが見えました。建造当初はきっと、こんなに高い建物はイタリア中を探したって珍しかったでしょう。建築に携わった人たちは、どんな気持ちでフィレンツェの町を見下ろしたんだろうなあと考えながら、ドゥオーモを後にしました。
2007年09月07日
フィレンツェ探訪 第2回 フィレンツェのドゥオーモ<前>
イタリアの町にはそれぞれの町にとっていちばん重要な教会があり、「ドゥオーモ」(duomo)と呼ばれます。フィレンツェは歴史ある町らしく、とてもたくさんの立派な教会があるのですが、その中でもやはりドゥオーモは町のシンボルとして日本でも有名です。
正式な名前は「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」といいます。日本語訳すると「花の聖母マリア大聖堂」。白い大理石でつくられた外壁と、大きなクーポラ(ドーム)が特徴です。
フィレンツェのドゥオーモは1296年に着工し、100年以上かけてつくられました。大聖堂の周りにはジョットの鐘楼と呼ばれる塔と、サン・ジョヴァンニ洗礼堂という建物があります。ジョットはルネサンスのさきがけとなった画家で、建築家としてもとても優れた人だったため、鐘楼の建築に携わったそうです。また、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉はギベルティという彫刻家によって作られましたが、あまりに素晴らしい出来栄えだったために、ミケランジェロが「天国の門」と呼んだことで知られています。
そしてドゥオーモの特徴である大きなクーポラは、そのギベルティと洗礼堂の扉の製作者を決めるコンクールで争い、惜しくも敗れたブルネレスキという人の作品。当時の技術力では高く、巨大なクーポラをかけるのは不可能とまで言われていたそうですが、ブルネレスキは独創的なアイデアを考え出し、同じくギベルティらと争ったクーポラの設計を勝ち取り、扉のコンクールの雪辱を果たしたのだそうです。彼らがしのぎを削ったコンクールは、ルネサンスの始まりを象徴する出来事として語られています。
さすがに、ドゥオーモ周辺は観光客でごった返していました。ちなみに、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の門」はレプリカです。ギベルティが作った本物の「天国の門」と、ドゥオーモから取り外された外壁の装飾などは、風雨による劣化を防ぐためにドゥオーモの裏手にある大聖堂付属博物館に収蔵されています。こちらも必見!
これが本物のギベルティの作品
ちなみに、大聖堂付属博物館には、ミケランジェロ作の「ピエタ」像のうちの一つも展示されています。
さて、ミラノを訪問したときにはドゥオーモの上に上ってきたのですが、フィレンツェのドゥオーモもクーポラの上まで上がることができます。もちろん、今回も上まで行ってきたのですが・・・。その様子はまた次回のお楽しみに。
2007年09月05日
フィレンツェ探訪 第1回 文化の花咲く町・フィレンツェ
先日、イタリア中部の町フィレンツェを訪問しましたので、その様子をご紹介していきたいと思います。
小学館「伊和中辞典」を引くと、フィレンツェは別名Citta del fiore、つまり「花の都」とも呼ばれるとあります。古代ローマ時代につくられたこの町は、ローマ神話の花の女神フローラの名前を取って「フロレンティア」と呼ばれました。これが現在の町の名前の由来となったということです。

どこを歩いても中世そのままの街並みが続くフィレンツェ中心部
フィレンツェは古代からの長い歴史を持つ町ですが、中でも最も華々しく輝く時代がルネサンスのころです。14世紀から16世紀にかけて、イタリアから全ヨーロッパに広がっていったルネサンスの中心地の一つがフィレンツェだったのです。ちょうどこのころフィレンツェの町にはメディチ家という銀行業で財を成した一族が実権を握り、彼らの下に多くの芸術家や建築家たちがやって来て、素晴らしい作品を残しました。

フィレンツェ市の市章は百合の紋章ですが、これはもともとメディチ家の紋章だったものです。財政難に陥ったフランス王家を助けたことで、フランス王室の紋章である百合の紋章を使うことを許されたのだといいます。上の写真は街路灯のメーター?のふたについていたもの。
さて、そのフィレンツェに生まれ、ルネサンスのさきがけとなったのが「神曲」で有名な詩人ダンテです。イタリアの公用語はもちろんイタリア語ですが、イタリアは大変方言の多い国で、各地方ごとに大きく異なる言葉を話す地域です。その中で、標準語として話されている言葉のベースになっているのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方の方言なのだそうです。なぜトスカーナ地方の方言が標準語となったかというと、ルネサンスの文学者たちが、特にダンテがトスカーナ方言で作品を残したからだと言われています。

また、メディチ家からフランス王家に嫁ぎ、大きな権勢を振るったカトリーヌ・ド・メディシスという人は、イタリアからフランスへ、さまざまなお菓子や料理、そしてフォークとナイフで食事をするというマナーを伝えたといわれています。まさにフィレンツェはヨーロッパ文化の最先端をいく町だったんですね。
世界遺産に指定されている市内中心部は「屋根の無い博物館」と言われるほどで、町を歩くだけでもルネサンスのころの熱い雰囲気を感じられそうです。このブログでは、フィレンツェや近郊の町の風情をお伝えしていきます。お楽しみに!
2007年07月13日
スウェーデン出張記 第9回 ノーベル賞
スウェーデンと言えば、ノーベル賞。ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルが提唱し、物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の5部門と、スウェーデン国立銀行が1968年に設立した経済学賞をあわせた6つの賞が一般に「ノーベル賞」と呼ばれています。
ノーベルはダイナマイトの発明者として知られており、また事業にも成功していたため巨額の財産を築きました。ノーベルはこの遺産を使って学術に大きく貢献した人を表彰するように遺言しました。1901年に表彰された最初の受賞者にはX線の発見で知られるレントゲン(物理学賞)、日本人の北里柴三郎と共に血清療法を開発したベーリング(生理学・医学賞)、赤十字を創設したアンリ・デュナン(平和賞)といった歴史的な人物たちがずらりと並んでいます。日本人も1949年に湯川秀樹(物理学賞)が初めて受賞して以来、各部門で受賞者を出しています。2002年にはニュートリノ研究の第一人者として知られる小柴昌俊博士(物理学賞)と、民間企業の研究者として研究を続ける中での受賞が大きな話題になった田中耕一さん(化学賞)が同時受賞しました。
選考の結果、ノーベル賞に選ばれた人は、平和賞を除く5部門がストックホルムのコンサートホールで表彰されます。平和賞だけはノルウェーのオスロで表彰式が行われます。

ストックホルムのコンサートホール
この後、受賞者たちは市庁舎で開催される受賞祝賀晩餐会にも出席します。

こちらが晩餐会の行われる市庁舎内のブルーホール。ホール内のずっと高いところにある窓から採光しているので、とても明るいですね。

こちらは同じく市庁舎内の「黄金の間」。なんと、壁面が金箔のモザイクで埋め尽くされています!受賞パーティーではここで舞踏会が催されるそうです。


と、いうわけで年末のスウェーデンには毎年、世界中の高名な科学者たちがやって来ます。スウェーデンは大学や研究施設も充実していますし、学問にゆかりの深いお国柄なんですね。
2007年07月06日
スウェーデン出張記 第8回 ストックホルムの町の風景
日本はもうすぐ暑い夏を迎えます。北海道は暑いといっても摂氏30度以上の真夏日になる日もそれほど多いわけではないのでまだ楽ですが、本州や南日本の暑い地方にお住まいの方にとっては、夏は大変な季節だと思います。
北欧・スウェーデンの人々にとっては、逆に夏の暑さや日差しが貴重なもののようす。ロイズのスタッフがスウェーデンを訪れたのはまさに夏至祭が行われていたころですから、6月の下旬だったのですが、スウェーデンでは短い夏の日差しをとにかくたくさん浴びようとでもいうように、涼しげな格好をしている人が多かったそうです。

また、スウェーデンの首都・ストックホルムは、たくさんの島を橋でつないでできているため「北欧のヴェネツィア」などとも呼ばれています。建物も北欧らしくシンプルで、それでいて洗練されたものが多くて、全体の風景もとてもスッキリしていてきれいでした。爽やかなストックホルムの風情をお楽しみください。





2007年06月26日
スウェーデン出張記 第7回 テオブロマ・カカオの名付け親
この連載の第2回でも触れましたが、スウェーデンはチョコレートの原料・カカオと切っても切れない関係にある偉人を出した国でもあります。
カカオの学名は「テオブロマ・カカオ」といいます。これはラテン語で、「神様の食べ物」といった意味になるそうです。この名付け親となったのがスウェーデンの科学者で、現在、広く使われている「学名」という考え方の基礎をつくったリンネ(1707-1778)という人物です。リンネは、当時知られていたさまざまな生き物を分類する試みをし、その分類の方法も確立したのです。
彼の業績は、現在でもスウェーデン国内はもちろん世界中から称えられています。特に、母国スウェーデンではあちこちで彼の名前を見かけます。スウェーデンの通貨は「クローナ」ですが、100クローナ紙幣にリンネの肖像を印刷されているほどです。

リンネ博物館のあるウプサラ市内にはこういうカフェもあります。
ウプサラにはリンネ博物館もあるのですが、ロイズのスタッフが訪れたときにはちょうど改修中で、公開していなかったそうです。残念!その代わり、18世紀にリンネが自らの考えに基づいてアレンジした時の状態に保たれている併設の植物園は開園中で、1,300種類もの植物が迎えてくれました。

植物園の様子
今年はちょうどリンネ生誕300年にあたることから、スウェーデンの国内外でさまざまな催しや式典が行われています。5月には前回ご紹介したウプサラ大聖堂で生誕を祝う式典が行われ、日本の天皇・皇后両陛下やスウェーデンのグスタフ国王らが、聖堂内にあるリンネの墓碑に献花をしました。
ウプサラ大聖堂にあるリンネの墓碑
世界の科学の発展の礎を築いたリンネの業績は、今でも色あせることなく語り継がれているのです。
2007年06月22日
スウェーデン出張記 第6回 ウプサラとグスタフ・ヴァーサ王
ストックホルムの少し北にあるウプサラという町は、北欧最大のキリスト教会であるウプサラ大聖堂や、北欧最古のウプサラ大学があることで知られている町です。人口は約13万人程度と、日本の感覚で言うとさほど大きくはありませんが、スウェーデンでは4番目に大きな町です。
静かなウプサラの町の風景
ウプサラ大聖堂は高さ118.7m。尖塔が特徴的なゴシック様式の教会です。13世紀後半に建設がはじまり、実に1世紀以上の時間を掛けて、1435年に完成しました。18世紀初頭には火災に遭い、改修を受けて現在にいたっています。
町中どこからでも見通せるほど大きなウプサラ大聖堂
ヨーロッパの町の中心にある教会は、大きな広場を伴って、建物自体も装飾がたくさんほどこされていて荘厳なものが多いですが、このウプサラ大聖堂は町の中心部の小さな丘に建っていて、なんだか身近なものに感じられるものだったそうです。
聖堂の内部
聖堂にはヴァーサ王朝を開いたグスタフ・ヴァーサ王らが埋葬されています。スウェーデンは1397年にデンマーク・ノルウェーの両国とカルマル同盟を結び、盟主デンマークの支配下に置かれていましたが、独立の機運が高まり、1520年、ついにグスタフ・ヴァーサ王らが蜂起して独立戦争が勃発しました。この戦争の結果、1523年に独立したスウェーデンは、17世紀にかけてバルト海に覇権を唱える大国へと成長していくのです。
この戦いに先立ち、ヴァーサ王はスウェーデン各地の人々に自立のために立ち上がることを呼びかけました。王が向かった先の1つが、屈強で意志の強い人々が住むことで知られ、先日ご紹介した当別町の姉妹都市・レクサンド市があるダーラナ地方。王は町の人々に協力を求めましたが、人々が答えを出す前にデンマーク勢の追っ手が迫り、王は町を離れざるを得なくなりました。
しかし数日後、町の人々はヴァーサ王に協力することを決意。町で一番スキーの上手い2人がヴァーサ王を追いかけることになりました。スキーを飛ばしに飛ばし、2人はついにヴァーサ王に追いつきました。スウェーデンの民衆は、こうして王と共に独立のために立ち上がったのです。
これを記念して1922年から、2人が駆け抜けたセーレンとムーラという2つの町の間を走るクロスカントリースキーの大会「ヴァーサ・ロペット」が開かれています。セーレンとムーラの間はなんと90kmもあるので、世界でも有数の長距離レースです。北欧ではノルディックスキーがさかんなので、この大会には1万人以上もの人が参加するそうですよ!日本でも、これにならって同じ名前を冠した大会が北海道でも毎年開かれています。
ウプサラといえば、ウプサラ大学の方も1477年に創立された歴史ある大学です。卒業生の名前を見ても、以前、ブログで紹介したリンネやセルシウスのほか、光の波長などを表す時に使われる単位「オングストローム」にその名を残す物理学者・アンデルス・オングストロームをはじめ、そうそうたる顔ぶれ。ノーベル賞受賞者も、なんと8人も輩出しているという超名門です。ウプサラを訪れたロイズのスタッフによると、学生街らしく市内にはあちこちに自転車がたくさん停められているのを見かけたそうです。
このウプサラの町には、リンネの業績を記念した様々なものがあるのですが、それはまた次回のお楽しみに。
2007年06月15日
スウェーデン出張記 第5回 スウェーデンのコーヒーブレイク
スウェーデンには「フィーカ」という習慣があります。フィーカとは身近な人同士でお菓子などをつまみながらコーヒーを飲むことで、スウェーデンの人々の大きな楽しみになっています。

フィーカはスウェーデンの人々にはとても大切な習慣で、コーヒーを囲みながら仲の良い人たちと一緒にゆっくり話す時間は、何物にも替えがたいものとなっているようです。おいしいコーヒーとお菓子があれば、みんなと楽しむおしゃべりの時間も、より楽しくなりそうですよね。ちなみに、スウェーデンの人々の、1人あたりの年間コーヒー消費量は世界でもトップクラスなんだそうです。
私たち日本人もたまには「フィーカ」を楽しんでみませんか?個人的に、これはとっても豊かな時間の使い方だと思います。「ちょっと疲れたなー」という時にコーヒーの香りでリラックスできたら、一日元気で過ごせそうですよね。
ロイズではバランスの取れた豊かな香りと味の「カフェロイズ オリジナルコーヒー」シリーズのほか、おいしい焼き菓子などもたくさんご用意しています。今なら、ちょうど開催中のスウェーデンフェアシリーズの中から「ロイズ クッコスボル」がオススメですよ!

ココナッツ、オートミール、ココアパウダーをミックスしたお菓子ですが、ロイズならではのアレンジとしてサクッとした食感に焼き上げています。ちょっとしたおやつの時間にちょうどいいお菓子なので、ぜひe-shopからお買い求めください!
<<第4回 ダーラヘスト(ダーラナホース) スウェーデン出張記
2007年06月08日
スウェーデン出張記 第4回 ダーラヘスト(ダーラナホース)
スウェーデンフェアの商品のパッケージを見ると、スウェーデン国旗の鮮やかなブルーとイエローの地に、かわいい馬の模様が描かれているのが分かると思います。

どの商品にもこういう馬が描かれています
この馬は、スウェーデンの伝統工芸品「ダーラヘスト」をイメージしたものです。英語読みだと「ダーラナホース」となります。ロイズふと美工場のある北海道当別町の姉妹都市・レクサンド市があるダーラナ地方でつくられることからこの名で呼ばれています。
実物はこのように、赤や黄色、白などの鮮やかな色に塗られています。

ダーラナ地方の人々にとって、馬は暮らしに欠かせない動物でした。今のようにトラックもない時代、馬は森で切り倒した木材を人里に運び出す大切な労働力でもあり、生活を共にする家族でもありました。人々は木材の切れ端を削って大切な友達である馬の形をつくり、おもちゃとして子どもたちに与えていたのでしょう。

こんなに大きなものも
やがて、ダーラナホースは工芸品としての価値を認められるようになりました。ダーラナホースはスウェーデン各地や国外でも珍重され、今ではダーラナ地方、あるいはスウェーデンという国全体の一つのシンボルとされるようになりました。
素朴でかわいらしいダーラナホースは、「幸運を運んでくれる」とされて日本でも人気があり、各地の雑貨店などで見かけることができます。今回のスウェーデンフェアでは全商品のパッケージにダーラナホースをデザインしているほか、「ロイズ ヴォドカプラリーネ」の表面にもダーラナホースをデザインしています。手作り感たっぷりで、どこかほっとするような姿のダーラナホースは、見た目は素朴だけれど、食べるほどにおいしさが広がるスウェーデンフェアのお菓子によく似合うと思います。
<<第3回 夏至祭 スウェーデン出張記 第5回 スウェーデンのコーヒーブレイク>>
2007年06月01日
スウェーデン出張記 第3回 夏至祭
スウェーデンの人々にとって、一番重要なお祭りは、毎年6月下旬に行われる「夏至祭」と呼ばれるものです。もともと北欧の各国や、ドイツをはじめとするゲルマン系の国々では、生命の源である太陽を崇める風習がありました。人々は1年で最も日の長い夏至を重要な日として祝い、最も日の短くなる冬至もまた生命の復活を願う日としていました。その風習が形を変えながら、現在も夏至祭として祝われているのです(冬至の方は、クリスマスと一体化していったようです)。
夏至祭では町の広場にみんなが集まって、「マイストング」と呼ばれる大きな白樺の柱を草や花で飾りつけて、広場に突き立てることでお祝いをします。柱が立ち上がるとみんなは輪になって踊り、お酒や食べ物を口にするなどして夏至の訪れを祝うのです。

これが「マイストング」。英語で言うとメイポールです。

夏至のころになるとようやく花が咲き、草が生い茂るスウェーデン。人々は緑の季節の訪れを喜ぶ心をマイストングの飾り付けを通して表現します。

マイストングは力自慢の男たちが人の手だけで立ち上げます。大きなマイストングがゆっくり立ち上がっていく様は圧巻。

最後はみんなでマイストングを中心にフォークダンスを踊ります。
ロイズのスタッフが夏至祭の時期のストックホルムを訪れると、祭りの会場には地元の人だけでなく観光客も集まり、大変なにぎわいだったそうです。その代わり、みんなが一斉に休暇を取って休んでしまうので、デパートなどもみんなお休み。町中から人がいなくなった様子を見たスタッフの一人は、「日本の盆休みのようだった」と話していました。
ロイズふと美工場のある北海道石狩郡当別町でも、毎年夏至祭を開いていますが、今年は姉妹都市提携20周年を記念して、例年以上に盛大な夏至祭を催すことになっています。町の人やレクサンドから招待された訪問団のみなさんが民族衣装を着て、マイストングを立ち上げてお祝いするそうです。民族衣装もスウェーデンでは村ごとに違ったデザインになっているそうで、当別ではレクサンド市のものと同じデザインのものを使う予定です。
当別町夏至祭は、6月17日に、当別町スウェーデン交流センターで開催される予定です。お近くの方や、北海道を訪れる予定の方は、ぜひ会場にいらっしゃって、スウェーデンの夏の雰囲気を楽しんでくださいね!
夏至祭会場の地図(左側の+-で拡大・縮小ができます)
<<第2回スウェーデンはどんな国? スウェーデン出張記 第4回ダーラヘスト(ダーラナホース)>>
2007年05月25日
シンガポール出張記 第7回 ドリアン大好き
みなさん、ドリアンはお好きですか?ドリアンは甘みが強く、「果物の王様」なんて呼ばれていますが、なにしろ独特な匂いがしますよね~。きっと、あれが良いと思えるようになるとドリアンの魅力にハマるんでしょうが、私はまだ修行が足りないようで、苦手な食べ物の一つです。日本では、「ドリアンがめちゃくちゃ好きだぁ!」という人にはなかなかお目にかかることができないですよね。
一方、シンガポールの人にとって、ドリアンはとても身近な食べ物なのだそうです。スーパーなどではドリアン1個まるごとだけでなく、食べやすい大きさにカットして白いトレーに載せたものがごく当たり前のように売られていて、街中にはドリアンの屋台が並ぶほどだとか。
ドリアンといえば、シンガポールにはこんな建物もあります。

「エスプラネード」といって、コンサート、オペラなどが上演される芸術施設なのですが、このトゲトゲがついた形はまさしくドリアンそのもの。と、思ったら、やっぱり愛称は「ドリアン」なのだそうです。シンガポール市民の、ドリアンに対する愛情の深さがひしひしと伝わってくるようではありませんか。
ところで、シンガポールといえばごみのポイ捨てなどに非常に厳しく、高額な罰金を科されるということをお聞きになったことがあるかもしれません。シンガポールの地下鉄構内には、禁止事項を書いた掲示がたくさんあります。

列車内や駅構内でタバコを吸ったら罰金1000シンガポールドル(約8万円)。飲食したら500ドル(約4万円)。可燃物を持ち込んだら5000ドル(約40万円!)。噂どおり、厳しいですね~、と写真を眺めていると、掲示の右下に気になる文字が。

No durians(ドリアン禁止)
ええー!ドリアンも禁止?!まあ、たしかに密閉された地下鉄の車内にカットしたドリアンを持ち込まれたら、あのニオイが、もとい、香りが苦手な人はひとたまりもないでしょう。なんか、「禁ドリアンマーク」がかわいいですよね。
それにしても、ドリアンだけ罰金の金額が書いてないのが気になりますね~。
2007年05月24日
スウェーデン出張記 第2回 スウェーデンはどんな国?
スウェーデンといえば、どんなことを思い出しますか?私は最初、「社会科で習った『フィヨルド』ってスウェーデンだったかなあ」と思っていたんですが、調べてみたら、どちらかというとフィヨルドで有名なのはお隣のノルウェー(そもそもフィヨルドはノルウェー語だそうです)でした。

スウェーデンは北欧・スカンジナビア半島の東側、バルト海に面した国です。正式にはスウェーデン王国といいます。日本と同じく立憲君主制をとっていて、現在はカール16世グスタフ国王が王位についています。
首都はストックホルム。湖に浮かぶいくつもの島の上に築かれた町で、まるで水の上に町が建っているように見えるので「北欧のヴェネツィア」とも呼ばれています。
ストックホルムの街並み
スウェーデンといえば、まず思い出されるのがノーベル賞。ノーベル賞は、スウェーデン出身で、ダイナマイトを発明して巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルが、自分の遺産を使って科学や平和に貢献した人を表彰するようにとの遺言をのこしたことがきっかけで創設されました。今もノーベル賞はスウェーデン科学アカデミーなどが選考し、平和賞以外の5部門の授与式はストックホルムで行われます(平和賞はノルウェーのオスロ)。
こうしたこともあって、スウェーデンは多くの優れた人材を生み出している国でもあります。生物学者カール・リンネもその一人。リンネは「分類学の父」とも呼ばれている人で、生物の学名を「属名+種小名」とする「二名法」を考え出した人です(人間はホモ・サピエンス)。また、リンネはカカオの学名である「テオブロマ・カカオ」を考え出した人でもあります。
日本では摂氏温度が使われていますが、これはスウェーデンの天文学者・アンデルス・セルシウスが考案したもの。摂氏という文字も、セルシウスの中国語表記に由来しています。
スウェーデンは産業でも有名です。SAAB(サーブ)やVOLVO(ボルボ)はいずれもスウェーデンで設立されたメーカー。また、日本ではソニーと一緒に設立した「ソニーエリクソン」ブランドで有名なエリクソンや、家具店のIKEA(イケア)もスウェーデン生まれのブランドです。
また、よく言われるように社会保障制度がとてもよく整った国でもあります。高齢者、障がい者福祉や男女平等、環境保全、育児への支援など、スウェーデンでは世界に先駆けてさまざまな施策がとられています。
こうしてみてみると、一見、遠い国だったようなスウェーデンにも、日本との接点がいろいろあるものですね。次回からは、スウェーデンの暮らしや、当別町でも行われているスウェーデン最大のお祭り「夏至祭」にも触れていきたいと思います。
<<第1回 スウェーデン・レクサンド市と当別町は姉妹都市 スウェーデン出張記 第3回 夏至祭>>
2007年05月18日
シンガポール出張記 第6回 シンガポールの夜景
シンガポールは夜景の綺麗な町です。夕方になると市内中心部の近代的な高層ビルの窓や、歴史のある建物のライトアップが一斉に輝きだし、この町を色とりどりに飾り立てます。

これは「オーチャード・ロード」の風景。このあたりはデパートやレストランなども多く、観光客の姿が絶えないエリアです。
ちなみに、オーチャード・ロードにある髙島屋ショッピングセンター内には「ロイズ 髙島屋シンガポール店」もありますので、シンガポールにいらっしゃいましたら、ぜひお立ちよりください!
シンガポール河畔にあるナイトスポットとして有名なクラークキーは、さすがに夜になると華やかです。川面に映る街灯りもきれい!
以前ご紹介したラッフルズプレイス周辺も夜景のきれいなところです。高層ビルが立ち並ぶ方を見ると、こんな感じ。
一方、後ろを振り返ってみると、こちらにも街並の輪郭が闇の中に浮かび上がって見えます。
ちなみに、マーライオンも夜にはライトアップされています。
華やかな街の灯を見つめる後姿に哀愁を漂わせる夜のマーライオン。シンガポールに行ったスタッフは「そんなマーライオンも、朝になったらちゃんと仕事する顔に戻ってますから」と言ってました。うーん、マーライオンって、なんだかサラリーマンみたいですね。
仕事する顔のマーライオン
2007年05月17日
スウェーデン出張記 第1回 スウェーデン・レクサンド市と当別町は姉妹都市
ロイズのふと美工場がある北海道石狩郡当別町は、札幌市のお隣。札幌市北区あいの里地区から石狩川を渡ったところが当別町の太美と呼ばれる地域です。JRの石狩太美駅から車で10分ほどのところには「スウェーデンヒルズ」という住宅地がありまして、スウェーデンの様式で建てられたきれいな住宅がたくさん立ち並んでいます。なぜスウェーデンなのかといいますと、当別町とスウェーデン中部にある人口1万9600人の町・レクサンド市が姉妹都市提携を結んでいるからなのです。
北海道のテレビ局がつくり、大泉洋さんらが出演して北海道外でも人気が出た某テレビ番組の企画に、北海道内の全市町村のカントリーサインが描かれたカードを引いて、どんなに遠くてもそこまで行かなければならないというルールの「カントリーサインの旅」というものがありました。カントリーサインというのは市町村の境界付近の道路に立てられている、自治体名とその自治体を代表するもののイラストが描かれた標識のことで、北海道では全市町村が独自のカントリーサインを持っています。たとえば札幌市なら札幌時計台の絵が、小樽のものには小樽運河、夕張のものにはメロンが描かれているのですが、当別町のカントリーサインはこれ!

スウェーデン風の家
なぜ当別と遠く離れたスウェーデンの町が姉妹都市になったのかを調べてみましたら、当別町の公式サイトに説明が書いてありました。
今から30年近く前、日本の元スウェーデン大使を務められた方が当別にいらっしゃったとき、当別の風景がスウェーデンの首都・ストックホルムに似ているという印象をお持ちになったそうです。その方はスウェーデン国王から「日本とスウェーデンの友好関係を深める足がかりがほしい」と依頼されていたこともあり、当別をスウェーデンに紹介。交流が始まりました。
姉妹都市提携を結んでから、今年はちょうど20周年という節目の年にあたります。ロイズではこれを記念してスウェーデンフェアを開催することになりました。スウェーデンで人気があったり、スウェーデンでよく使われている素材を生かしたお菓子をたくさんご用意しています。ぜひスウェーデンのお菓子を食べて、北欧の風情を感じてみてください!
スウェーデン出張記 第2回 スウェーデンはどんな国?>>
2007年05月11日
シンガポール出張記 第5回 元祖シンガポール・スリング
シンガポールといえば、カクテルに「シンガポール・スリング」というものがありますよね。ジンベースで、チェリーブランデーやレモンジュースなどを使ったきれいなピンク色のカクテルです。あれはきっとシンガポールが発祥の地だからつけられた名前なのに違いない!と考えた私は、社内のシンガポールへ出張するスタッフに「ぜひ元祖シンガポール・スリングを飲んできてほしい」と頼んでおきました。
そしてついにその元祖シンガポール・スリングの写真を入手しました。これが正真正銘、発祥の地・ラッフルズホテルのシンガポール・スリングです!

1杯20シンガポールドル(約1600円)
そもそもシンガポール・スリングは1915年、シンガポールでも最高級の名門・ラッフルズホテル内にある「ロングバー」で誕生したものです。鮮やかなピンク色は、同ホテルを愛用していた文豪・サマセット・モームも絶賛したシンガポール湾の夕景を表現したものだそうです。
ちなみに、テーブルの上にある豆のようなものはサービスの落花生。落花生のカラを床に捨てながらお酒を嗜むのが、この店での作法です。なのでロングバーの店内は、落花生のカーペットを敷き詰めたようにカラがたくさん落ちてるんですって。
しかし、やっぱり元祖シンガポール・スリングは美しいですねー。実際に味わってきたスタッフに感想を聞くと、「日本で飲むものより甘いんですが、後味がとてもさっぱりしてました」と言ってました。

ちなみにこれがラッフルズホテル。世界的にも有名な高級ホテルだけあって威風堂々とした構えです

そしてここがロングバーの入り口
ラッフルズ・ホテルのすぐ近くにあるサンテックシティーモールには、「ロイズ サンテックシティーモール店」があります。お近くにお越しの際には是非お立ちよりください!
2007年05月03日
シンガポール出張記 第4回 マーライオン
シンガポールと言えば有名なのがマーライオン。ライオンの頭と魚のような体を持ち、波の上に乗ったなんとも不思議な生き物の姿をしているマーライオンが口から大量に水を噴き出している様子は、シンガポールという国を想像するとき、真っ先に思い出されるものではないでしょうか。
このマーライオンは高さが約8m。背後にはシンガポールの中心街の景色が広がっており、絶好の記念撮影スポットでもあります。
思ったより水の勢いが強い!
マーライオンができたのは1964年。シンガポール政府観光局の象徴としてつくられたものなのだそうです。どうしてこんな不思議な形になったのかと思いまして、シンガポール政府観光局のサイトを見てみましたら、このような説明がありました。
バン・クリーフ水族館の館長を務めていたFrauser Brunner氏がデザインしたライオンの頭は、「マレー年代記」に記録されているように、11世紀Sang Nila Utama王子がシンガポールを発見したときに出会ったライオンを表現しています。マーライオンの尾ひれは古代都市タマセク(ジャワ語で“海”の意味)を象徴しています。このためシンガポールという名前は、王子がこの町をサンスクリット語で「シンガプラ」(シンガは「ライオン」、プラは「都市」を意味します。)と名付ける前に知られていました。そして漁村として始まったシンガポールの謙虚さを表現しています。(以上、シンガポール政府観光局のサイトより)
ちなみに、Sang Nila Utama王子とはスマトラの王子の名前で、シンガポールのもととなった村・シンガプラをつくった人の名前。タマセクは、シンガポール建設のずっと昔、この近くで栄えた町の名前なのだそうです。王子が出会い、町の名前のもとになったライオンと、この地に栄えたいにしえの海の町。マーライオンはシンガポール発祥の伝説を表現した像だったわけですね。
ところで、日本でもおなじみのマーライオンがいるのはシンガポール川の河口近くにあるマーライオン公園というところですが、マーライオンはこの像1体だけじゃないってご存知ですか?水を吐き出しているマーライオンの背後には、とてもかわいい小さなマーライオン像が立っています。
左奥に写ってるのがさっきのマーライオンで、右がミニマーライオン。ちゃんと水も出てます。
また、シンガポール本島からケーブルカーやバスなどで渡れるセントーサ島には、高さ37mの巨大マーライオンが立っています。このマーライオンはなんと展望台になっていて、階段やエレベーターで上ることもできるそうです。
これは大きい!
車と比べると大きさがよく分かります
セントーサ島のマーライオンは、ウワサでは夜になると目からビームを発射するそうです。素晴らしい。
2007年04月27日
シンガポール出張記 第3回 フランベするコーヒー
シンガポールでロイズのスタッフが食事をしたときのこと。お店のお姉さんが「ウチの店のスペシャルなコーヒーがあるんですが、試してみませんか」と声をかけてきました。珍しいものが大好きなロイズ一行は、“スペシャルな”ものと聞いたら黙っていられません。一も二もなく注文してみることになりました。
スペシャルなコーヒーは、お客さんの目の前でお店のお兄さんがつくってくれるもののようです。材料はコーヒーのほかにオレンジとライムのピール、コアントロー、コニャック、グランマルニエ。お酒はロイズのお菓子に風味付けで使ってるものも多かったので盛り上がります。

お兄さんはお酒と果実のピールを器に入れると・・・

おもむろに火をつけました!ちょっと写真だと分かりづらいのですが、結構火の勢いが強いのでびっくり。

お兄さんがお酒やピールをすくいあげてアルコールを飛ばします。もちろん火がついたままなので、炎が立ち上り、迫力があります。

カメラを向けるとポーズをとってくれたり

最後にコーヒーを注いで火を消しておしまい。これが完成したところ
飲んでみると、ちょうどアルコールがいい具合に抜けていて、フルーツのピールや洋酒の香りがたっぷり残っていて、とてもおいしいコーヒーだったそうです。洋酒を使ってコーヒーを飲む方法は世界にいろいろあるそうですが、ここまで豪快なものはなかなかないんじゃないでしょうか。
余談ですが、このお店と同じビルには日本でおなじみの有名焼肉チェーン店や、メイドカフェまであるそうです。さすがは国際都市シンガポール!
2007年04月20日
シンガポール出張記 第2回 トーマス・ラッフルズ
シンガポールの基礎を作り上げたのは、イギリス人のトーマス・ラッフルズという人物です。イギリス東インド会社の植民地経営を行っていたラッフルズは1819年、当時まだ小さな港町にすぎなかったシンガポールが地理的にとても重要な場所にあると考え、この地に近代的な港を開きました。ラッフルズの思い描いた通り、その後シンガポールは貿易によって繁栄し、アジア経済の一大中心地となっているのはご存知のとおりです。
現在、シンガポールの金融の中心地となっているシンガポール川河口付近の一帯には「ラッフルズプレイス」という名前が付けられており、国会議事堂や博物館、コンサート・ホールなどがあるほか、シンガポールで最高の高さ280mを誇る3つのビルが並んでいます。まさにシンガポール繁栄の中心と呼ぶべき眺めです!今でもラッフルズは今日のシンガポールの礎を築いた人として尊敬を受けており、ラッフルズの功績を称えてラッフルズプレイスの一角にある、彼が初めて上陸した地点の近くには全身像が立てられています。
シンガポール繁栄の中心地に立つラッフルズ像
ちなみにラッフルズは植民地経営だけでなく学術研究にも強い関心を持っていた人物で、インドネシアのジャングルの中に眠っていたボロブドゥール寺院遺跡の再発見や、世界でも最大級の花を咲かせることで有名なラフレシアなど、新種の生物の発見でも有名です(ラフレシアの学名Rafflesia arnoldii R.Br.はラッフルズと、彼に同行した植物学者アーノルドの名前に由来しているそうです)。
ところでロイズのスタッフがシンガポールに何の用があったのかといいますと、シンガポールにはロイズのお店が2店あるからなんです。だから、シンガポールでも生チョコレートをはじめ、ロイズの商品をお買い求めいただけるんですよ。お店の様子などもいずれご紹介できればと思います。
参考文献
『世界大百科事典』平凡社
2007年04月13日
シンガポール出張記 第1回 シンガポールはどんな国?
先日、ロイズのスタッフがシンガポールを訪れました。普段、涼しい北海道に暮らす私たちにとって、熱帯に位置するシンガポールはまるで別世界です。また、アジア経済の中心地として独自の発展を遂げているシンガポールはとても活気があり、中国系住民を中心にさまざまな人々が集まっていることによる独自の文化をもつ国としての一面もあります。

東南アジアのマレー半島の先端近くに浮かぶシンガポール島を領土とする、面積わずか693km²の都市。それがシンガポールです。この面積は東京23区より少し広い程度で、滋賀県の琵琶湖の面積と同じぐらいしかありません。もともとシンガポールは、シュリーヴィジャヤ王国の港町として発達。19世紀になるとイギリスの植民地となり、その後太平洋戦争で日本の占領下に置かれました。戦後、独立したマレーシアの一都市として再出発したシンガポールでしたが、1965年にマレーシアから独立し、一都市だけで国家となる道を選びました。
古くから海運が盛んだったことに加え、現在ではチャンギ国際空港が発達しており、航空の一大拠点にもなっています。日本からもたくさんの路線が出ていますので、日本からの直行便がない地域でも、シンガポールで乗り換えれば行くことができるのです。また、マレー語だけでなく英語や中国語を話せる人が大勢住んでいるので世界中から多くの企業が進出してきており、経済も発達しています。
次回から、ロイズのスタッフが見たシンガポールの様子をご紹介していきますので、お楽しみに!
2007年02月23日
ドミニカ共和国出張記 第4回・ドミニカ共和国の暮らし
谷口が滞在していたのは11月でしたが、ドミニカ共和国の気温は日中が30~35℃ぐらい。じっとしていても汗がふき出してくるような暑さでした。赤道直下なので、お昼になると足元を見ても影がほとんどできないほど太陽が頭のまっすぐ上までのぼっていきます。ジリジリと太陽が照り付けてくるので、戸外に立っていられないほどです。「暑いの好きだから、意外と平気でしたね」という谷口は、冬にさしかかった札幌にいると浮いてしまうぐらい真っ黒になって帰ってきました。そういえば、谷口が撮ってきた写真に写っているドミニカ共和国の人々は、半そでの人が多かったです。

街中の様子。涼しそうな格好が目立ちます
谷口が滞在したのは小さな町で、その町の真ん中には広場があるんですが、そこに出店が立っていました。聞いたところによるとドミニカ共和国の町にある広場には、クリスマスが近くなると出店がたくさん立つのだそうです。売られているのは栗とかぶどう、リンゴなどのフルーツ類。クリスマスには少し贅沢な食事をしようということで、みんなフルーツを買っていくのだそうです。

フルーツがたくさん!
出店と言えば、この町にはほとんどお店らしいお店がなかったのですが、町の人たちが日用品をどのようにして手に入れているかというと

こういうトラックにほうきやタワシを満載して売りに来るのだそうです。あまりに豪快な積みかたに、谷口もビックリ。
谷口は今回の滞在を振り返って「本当にみんな良い人ばかりで、町も穏やかで平和なところだったですよ。ひとつ残念だったのは、言葉が分からなかったので、せっかく仲良くなった人とたくさん話すことができなかったこと。スペイン語を勉強してまた行きたいですね」と話していました。
2007年02月09日
ドミニカ共和国出張記 第3回・ドミニカ共和国の食べもの
ドミニカ共和国で広く食べられているのは「yuca(ユカ)」と呼ばれる芋の一種。キャッサバともいい、タピオカの原料になるものです。お店に行くと山盛りで売られていて、一山が日本円にして50円ぐらいと、とても安いのです。実際に食べてみたロイズ開発担当の谷口によると、長芋のような味で、でも長芋とは違う独特な歯ざわりがあります。細かく切って、ゆでたり炒めたりして食べるもののようです。

これがyucaです
それからご飯。ご飯自体は日本で食べるものよりも細長いもので、豆をたくさん入れて食べます。料理によっても異なりますが、パラッとした状態で食べたり、ソースをかけてたべたりします。このソースにも豆がよく使われています。ドミニカ共和国の料理にはこのように豆がたくさん使われているそうです。谷口は海外に出かけて食べた食事の写真をよく撮っているんですが、確かに今回はどの写真を見ても豆を使ったものばかりでした。

豆たっぷりなご飯
主食以外は、普通の肉や野菜を食べました。牛肉は脂身が無いのにとてもやわらかくて、おいしいものでした。ただ、レストランなどで食事を注文すると、日本のレストランで言えば2~3人前ぐらいの量が出てくるそうです。「いくらなんでも、こんなに食べられるはずが・・・」とあたりを見回した谷口の目には、あっさり全部食べてしまうドミニカの人々の姿が飛び込んできたそうです。

宿泊先の近くのスーパーの様子

スーパーではその場でキャベツを千切りにしてくれるそうです
ロイズには単一の国のカカオでつくり、特徴を際立たせたチョコレート4種類を詰合せた「ロイズオリジンチョコレート」があります。4カ国の中にはドミニカ共和国のものもあるんですが、とっても特徴的な味で私も気に入っています。ぜひ、お試しください!
2007年01月19日
ドミニカ共和国出張記 第2回・ドミニカ共和国の人々
ロイズのスタッフ・谷口が訪問したのは首都サント・ドミンゴからずっと離れた、とある町。サント・ドミンゴは予想以上の大都会でしたが、谷口が訪れた町はホテルも2軒しかない小さな田舎町でした。
町の人々は、初めのうち「見知らぬ日本人がやって来た」と、谷口のことを警戒している様子でしたが、しばらく滞在しているうちに徐々に慣れてきて、「¡Hola!(オーラ:やあ!)」と笑顔であいさつしてくれるようになりました。田舎なので人々もみんな純粋で親切な人が多く、みんな常に笑顔で接してくれました。一緒に行動している人たちの中には「タニグチ!」と名前を覚えて話しかけてくれる人も増えて、谷口の中から言葉も分からず不安な気持ちがだんだん消えていきました。

谷口と仲良くなったドミニカ共和国の人
ドミニカの人たちのあいさつは、日本と違って毎朝一人一人と握手したり、ハグしたりして、言葉を交わします。毎朝、一緒に仕事をしている人たち全員とこういう丁寧なあいさつをするので初めのうちは少し戸惑った谷口も、すぐに慣れたそうです。毎日、みんなと心を通わせるドミニカ流のあいさつ、いいですよね。
ロイズのe-shopには、ドミニカ共和国産コーヒー豆を使ってつくった「コーヒーチョコレート」などがありますので、ぜひご覧になってください!
2006年12月27日
ドミニカ共和国出張記 第1回・ドミニカ共和国はどんな国?
先日、ロイズの開発担当スタッフ・谷口が中央アメリカのドミニカ共和国に出張してきました。このブログでは、谷口が見て、聞いて、食べてきたものをご紹介していこうと思います。

ドミニカ共和国の町の様子
まず、ドミニカ共和国ってそもそもどういう国なのかをご紹介していきましょう。ドミニカ共和国はカリブ海の西インド諸島にあるイスパニョーラ島の東半分を占める島国で、サント・ドミンゴを首都としています。ちなみにドミニカ共和国は旧スペイン領、イスパニョーラ島の西半分は旧フランス領のハイチになっています。ドミニカ“共和国”と呼ばれるのは、同じく西インド諸島のドミニカ島にあるドミニカ国と区別するためです。

日本国外務省のウェブサイトを見ると、ドミニカ共和国の面積はほぼ九州と高知県をあわせたぐらいの広さ。人口は2004年の調査で約886万人です。主要な産業はコーヒー、砂糖などの農業や鉱業(ニッケル)となっています。
ドミニカ共和国といえば著名な野球選手を数多く輩出していることでも有名。サミー・ソーサ選手やペドロ・マルティネス選手、松坂選手が入団するレッドソックスの主砲マニー・ラミレス選手とデイヴィッド・オルティズ選手、2006年の日米野球最終戦でサヨナラホームランを放ったホセ・レイエス選手など、まさにメジャーリーグを代表するようなビッグネームがずらりと並びます。日本のプロ野球では広島カープからメジャーに移籍して活躍しているアルフォンソ・ソリアーノ選手、東北楽天ゴールデンイーグルスの主砲で、2006年のベストナインにも輝いたホセ・フェルナンデス選手や、ヘクター・アルモンテ選手(元巨人)とエリック・アルモンテ選手(元日本ハム)の兄弟らが同国出身です。
ロイズの商品では、ドミニカ共和国で産出された高品質なコーヒー豆を自家焙煎した「カフェロイズ オリジナルコーヒー ドミニカ・バラオーナ豆」があります。ドミニカ共和国のコーヒーは、同じカリブ海のジャマイカ産コーヒーのブランド「ブルーマウンテン」のようには知られていませんが、そのおいしさはブルーマウンテンに勝るとも劣らないまさに一級品。コーヒー好きの方にはぜひ試していただきたい一品です!
2006年11月17日
トリノ再び
先日、ロイズのスタッフがイタリア・トリノを訪問しました。昨年私が訪問した時は地下鉄の建設や広場の改修工事が急ピッチで行われ、町中穴ぼこだらけ。それを眺めながら「もうすぐオリンピックだもんなあ。きっと、オリンピックのころにはきれいになってるんだろうなあ」と思ったものです。あれから1年。トリノ五輪も無事に終わり、平穏が戻ったトリノの現在の様子です。

フィリベルト・エマヌエーレ公の銅像があるサンカルロ広場。昨年は広場全体が改修中で、中に入れなかったのです。広場の周りはアーケードになっており、お店が広場をぐるりと1周しているのですが、向かいに見えるお店に行くのにもとても遠回りをしなければならなかったんですよ。今は広場を横切ることができるのでとても便利だったそうです。
もっとも、街中ではいまだにあちこちで工事が行われていたそうですが。聞いたところによると、トリノ五輪を目指して建設したはずの地下鉄も、市内中心部と競技場周辺の間の区間は五輪に間に合わなかったそうで、今でも工事中だとか・・・。まあ、それでもしょうがないか、と思わせてしまうのがイタリアなのかもしれません。
さて、トリノには世界遺産になっているサヴォイア家の宮殿群をはじめ、数多くの有名な建物がありますが、実はいちばん有名なのはこれかもしれません。

モーレ・アントネッリアーナ
ユダヤ教の礼拝堂として1863年につくられたこの建物、高さは約167m。近世の面影がそのまま残るトリノ中心街ではひときわ高いので、ちょっと視界が開けたところならば町中のいろんなところから見ることができます。現在は映画博物館になっていて、かつては今で言うハリウッドのような存在だった「映画の都・トリノ」の趣を現在に伝えています。

町歩きの目印にもなります
そういえば、ヨーロッパの共通通貨・ユーロには8種類の硬貨がありますが、片面のデザインは加盟国それぞれでデザインが違っています。イタリア版2セント(1ユーロは100セント)硬貨はこのモーレ・アントネッリアーナがデザインされているんですよ。

ちなみに、ほとんどの国は3種類ぐらいのデザインを8種の硬貨に振り分けているんですが、イタリアはさすが歴史と文化の国と言うべきか、イタリアの歴史的建造物や芸術家の作品を並べて8種類全部違うデザインにしています。モーレ・アントネッリアーナ以外のデザインもそうそうたるものばかり。主なものを挙げると、5セント:ローマのコロッセオ、10セント:ボッティチェリの「ビーナスの誕生」、1ユーロ:レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトゥルウィウス的人体図」(ダ・ヴィンチ・コードでも有名)などなど。いわば「イタリアを代表する8つの図案」の一つに選ばれるなんて、やっぱりすごい建物なんですね。
2006年09月01日
スイス出張記 第4回氷河の中の宮殿
ユングフラウヨッホにはさまざまな見どころがありますが、さすがアルプスと思ったのが「アイスパレス」。なんと、氷河を掘ってつくったトンネルです。
このトンネルの中には動物などをかたどった、氷の彫刻が並んでいます。さっぽろ雪まつりでも氷の彫刻が展示されますが、さすがに札幌は冬が終わると。一方こちらは、万年雪に覆われたアルプスの山の上にあるため、一年中、こうして展示することが出来るわけですね。
雪や氷は冬が終わると溶けてしまうものだと思っている我々からしたら、氷をくりぬいてつくったものが、建物のように通年で使われていることが不思議な気分なのですが。なんだか北欧や北米にある、雪で出来た宿泊施設「アイスホテル」みたいですね。
それにしても、全部氷でできてるとなると床もツルツルで、安心して歩いていられないように思ったんですが、アイスパレスを訪ねたスタッフは「不思議とここの氷は全然滑らなかったですよ」と話していました。
見本を隣に置くと似てるような
2006年08月25日
スイス出張記 第3回標高3000m級の駅
スイスは国土の半分以上が山になっているそうで、スイスを訪問したスタッフからもらった写真を見ると、とにかく山、山、山。「さすがスイスだなあ」と思っていたんですが、それにしても、かなり高い山で撮影されたと思われるような写真が混ざってるんです。
「あのー、夏なのに冬山登山でもしてきたんですか?」と聞くと、「いやいや、その写真を撮った所まで登山列車が走ってるんですよ」という返事。登山列車?冗談でしょ?だって、こんな景色↓なんですよ。
雪、積もってますし。
ここはアルプス山脈の中でも名高い観光地のひとつ、ユングフラウヨッホ。ここには本当に鉄道が走っているんです。ちなみに、ユングフラウヨッホ駅はスイスアルプスの名峰・ユングフラウ(標高4158m)山頂を臨む場所にあり、標高3450m以上の高地に位置しています(ヨッホとは「山の肩」の意)。この高さは文句なしでヨーロッパ最高地点の駅。富士山で言ったら8合目と9合目の間ぐらいまで列車で行けるということですよね。アルプスの山にトンネルを掘り抜いて、こんなに高いところまで列車を走らせるなんてすごい話です。ちなみに、このユングフラウと周辺の氷河などは、世界自然遺産に登録されています。
景色は冬山なんですが、現地に行ったスタッフによると思ったより寒いわけでもなく、「観光客の中には半そでの人もいましたよ」ということです。


アルプスの山並みをグイグイ登って行く列車
写真を見ていたら、以前ユングフラウヨッホに行ったことがある上司が「普通に列車に乗っていて、降りてみたらいきなりすごい風景が広がっていたので、本当に感動した」と言っていました。そうでしょう、そうでしょうとも。列車から降りて、少し歩いたらいきなり↓これですから。

初登頂記念・・・ではなくてプラトー・テラスという展望台
ふもとの町から登山列車に乗って、「アルプスの長いトンネルを抜けると万年雪であった」・・・感動しますよね。
2006年08月18日
スイス出張記第2回 ルツェルンの古い橋
スイス中央部に位置するルツェルンは、ルツェルン湖がロイス川に流れ出す場所に築かれた町です。大きな街道沿いにあったため、古くから交易地として栄えてきたところで、周辺の美しい自然と、中世の面影を残す美しい街並みが見事に調和した町でもあります。
ルツェルンといえば大変有名なのが、このカペル橋。1333年につくられたヨーロッパ最古の木造橋で、もともとは湖に向けてつくられた、城壁の一部として建てられたものなのだそうです。長さ200mぐらいある屋根つきの橋の真ん中には、当時の名残の見張り塔がそびえています。今はもちろん、湖から侵略してくる相手もいないので、橋には花が飾られ、町の顔として親しまれる存在になっています。
この橋、残念なことに1993年に火災に遭ってしまい、大部分を焼失してしまいました。今は焼け残った北側の一部を除き、火災の後に復元されたものなんだそうです。火災の原因は、橋付近にいたボートで使っていた火が燃え移ったとか、観光客の捨てたタバコの火だとか諸説あるようですが、いずれにしても残念なお話です。
ルツェルンにはあの作曲家ワーグナーが一時期暮らしていたそうで、町の中には直筆楽譜などを展示しているワーグナー博物館があります。こうした背景もあって、毎年8~9月には世界的に有名なルツェルン音楽祭が開催され、世界の一流演奏家が集まってきます。風光明媚なだけでなく、文化の香る土地だからこそ、この町は世界中の人々を魅了しているのでしょうね。
2006年08月11日
スイス出張記第1回 スイスはどんな国?
先日、ロイズのスタッフがスイスを訪問してきました。

ロイズのスタッフが撮ってきた「いかにもスイスらしい風景」
さて皆様、スイスといったらどんなイメージをお持ちでしょうか。工藤もいろいろ思いつくものを考えてみました。「アルプスの少女ハイジ」・・・・・・
・・・・・以上。 いやいや、それだけじゃないんです。
実は、スイスという国はチョコレートと大変ゆかりの深い国なんです。
チョコレートの歴史を辿ると、もともとはカカオ豆をすり潰してできたドロドロの苦い飲み物だったものが、今日、私たちが食べているような形のチョコレートになるまでにはさまざまな改良が行われてきたのですが、その中でも劇的にチョコレートが進化した4つの発明を、「チョコレートの四大技術革命」と呼んでいます。
長い間飲み物として親しまれていたチョコレートを固形にする技術が開発され「食べるチョコレート」がつくられるようになって間もない1876年。スイス人のダニエル・ピーターという人がチョコレートにミルクを混ぜる技術を開発して、「ミルクチョコレート」が誕生しました。ミルクを混ぜたチョコレートは味がマイルドになり、とても食べやすいものになったんです。今、私たちがミルクチョコレート特有のやわらかくて濃厚な味を楽しめるのもスイスのおかげです。ありがとう!スイス!(このあたりのチョコレートの歴史に着いてはこちらのページの「ショコライブラリー」→「チョコレートの歴史」に詳しく書いてあります)
現在もスイスはチョコレートづくりが大変盛んな国で、生産量を国民1人あたりに換算すると世界でもトップクラスになるんだそうです。もちろん、輸出向けのチョコレートもつくられているでしょうから一概には言えませんが、世界でも最もチョコレートをたくさん食べる国の一つと言えるかもしれません。
次回から、スタッフのスイス出張記をお届けします。アルプスの雄大な風景やきれいな街並みの写真をたくさん撮ってきてもらったので、順次ご紹介していきます。お楽しみに!
2006年08月04日
台湾出張記 <下>台北市内を縦横無尽
台北の人々の交通手段で特徴的なのはスクーター。車で大混雑した町をスクーターがスイスイとすり抜けていきます。しかも乗ってる人数が日本と比べて若干、多め。2人、3人が1台のスクーターに乗って走っていきます。今回、見た中で一番多かったのは大人2人、子供2人の4人乗り。スクーターって、こんなにたくさん乗れるんだ!とビックリするような光景でした。
一方で、公共交通機関も発達しています。MRTと呼ばれる新交通システムがかなり整備されていて、いつ乗っても人でいっぱいでした。地下鉄形式の部分と高架になっている部分とがあり、台北市内を縦横に走っています。終点からもう一方の終点まで乗っても60元(約210円)と運賃もリーズナブルです。
台湾ではいろんなものを食べましたが、中でもショッピング・グルメの街・永康街(ヨンカンチエ)にはいろんな店が並んでいました。台北はやはり中華料理が多いですが、タイ、ベトナム料理のお店も目立ちます。基本的に薄味がお好みの方が多いらしく、スーパーに行っても日本と同じ野菜や味噌、しょうゆ、豆腐など、日本と同じような食材が並んでいるのを見かけます。でも、油断しているとたまに超激辛なものが混ざっていてビックリします。
ちなみに、この写真は永康街で入った小龍包で有名なお店・群香品。小龍包を頼んだら、「えっ?それだけ??」と思ったらしい店員さん(流暢な日本語を話してました)にいぶかしげな顔をされたんですが、台湾の人はけっこうたくさん食べられるのでしょうか。肉汁たっぷりの小龍包はまさに絶品!やけどに注意しながら、おいしくいただきました。
中国語が話せないので、同僚たちに「ちゃんと帰ってきてくださいよ」とからかわれたんですが、意外と日本語が通じたので良かったです。台湾の人は「中国語プラス英語」か「中国語プラス日本語」のいずれかを話せる人が多く、お店などでは少なくとも1人は多少でも日本語を話せる人がいるような感じでした。聞くところによると台湾の大学では英語か日本語を学ぶことになっているようで、どちらかというと若い人は英語を、年配の方ほど日本語を話す人の割合が多いように思います。
台湾には大人しくて人が良さそうな方が多く、言葉もある程度通じたので、困ることはほとんどありませんでした。男性も女性も、みなさんいい笑顔をしていたのがとても印象的でした。とにかく日本人にとても親切な人が多くて、困ったことがあっても思い切って日本語で話しかければ、たいていのことならどうにかなったように思います。おかげで本当にいい出張になりました。
そういえば初日にこんなことがありました。午後8時ごろに宿に着いて、夕食を求めてガイドブック片手に夜の台湾へ繰り出しました。なかなか見つけられず苦労しながら、ようやく目指していた「牛肉麺」のお店にたどり着き、メニューを指差しながら店のお兄さんに注文しました。・・・なぜか困った表情で首をひねるお兄さん。挙句の果てに奥へ引っ込んでしまいます。なんで?メニューを見せてたんだから言葉が通じないのも関係ないはずなのに・・・。お腹も空いて、絶望的な気分になりました。
と、その時、女性の店員さんが奥から現れて日本語で「いらっしゃいませ」。お兄さんは日本語のできる店員さんを呼んできてくれたのです。女性は日本語がペラペラです。・・・天使に見えました(泣)。女性の店員さんによると、自分が指差したメニューは麺のないスープだったとのこと。教えてもらって、ようやく牛肉麺を頼むことができました。だしが効いてあっさりしたスープに柔らかくジューシーな牛肉が乗った、とびきり豪勢なうどんのような牛肉麺は、いろいろな苦難を乗り越えたせいか、忘れられないようなおいしさになりました。言葉が通じるって、素晴らしいことですね。
いかがでしたか?台湾出張記。出張したスタッフが撮って来た写真を見たら、台北はどこへ行ってもすごく近代的な街並みで、しかも古くからあるいろんな文化も息づいていて、素晴らしいところだと思いました。それに、やっぱり食べものも実においしそうですねえ。家内の実家がある名古屋で食べて以来ハマっている大の小龍包好きの工藤としては、ぜひ台湾の小龍包を食べてみたいものです。
ちなみに、「ちゃんと帰ってきてくださいよ」と言っていたうちの一人は工藤です。
2006年07月28日
台湾出張記 <上>亜熱帯の暑い夜
最近、台湾から大勢の方が北海道を訪れていまして、札幌市内を歩いているとよく台湾からの旅行者のみなさんの姿をお見かけします。暑い台湾の方からすると、夏も涼しくて、冬は一面の雪に覆われる北海道は人気の観光地の一つになっているようです。・・・と、いうことは、我々北海道民からすると、台湾は北海道にはない珍しいものや面白いものがたくさんあるのでは?先日、ロイズのスタッフが台湾を出張で訪れた際にいろいろ見てまいりましたので、感想を聞いてみました。
新千歳空港から飛行機で約4時間半。台湾最大の都市・台北が窓の下に見えてきました。街並みの周りにたくさんの工場、ゴルフ場・・・。なんだか日本の町の雰囲気に近いものを感じます。台湾の最も北に位置する台北市は人口263万人の大都市で、1980年代ごろから急速に近代化している街です。
飛行機を降りると、蒸し暑い空気が出迎えてくれました。夏でも30度を超える日が少なく、夜になると寒いほど涼しい札幌と違い、7月下旬の台北は連日30度超。夜になっても25度を超える、いわゆる“熱帯夜”が続きました。さすが亜熱帯の夏。
そんなに暑いのに、それほど薄着ではない台湾の人の服装(特に男性)を不思議に思っていたら、ホテルやお店などの建物の中ではエアコンがガンガン効いていました。北海道の人は、冬にはストーブをガンガンに焚いてアイスを食べるのが好きなんですが、ちょうどそれの逆バージョン。上の写真は台北市内で寄った本屋さんですが、ここのエアコンも強烈で、正直、寒いぐらいでした。聞いたところでは、台湾ではお客様をおもてなしする上で部屋を涼しくするのが大変重要なことなのだそうです。
これだけ暑い国なので、シャーベット・アイス類が大人気。写真は・冰館(ビンクワン)というマンゴーシャーベットで有名なお店です。あまりに暑いので、シャーベットを食べようと思って行ってみたら、ものすごい行列。こんな列に並んで待ってたら暑さにやられてしまいそうなのであきらめました。残念!
2006年07月21日
ワシントンDC出張記・最終回アメリカは大きかった
4月からワシントンDCの様子をご紹介してきましたが、いかがでしたか?DC道産子会のみなさんもおっしゃっていましたが、日本ではアメリカ経済の中心地であるニューヨークのほうがテレビなどのメディアで取り上げられる頻度も圧倒的に多く、DCの話題に触れる機会というのは案外少ないものです。

ワシントンDCの夜景
だから、今回DCを訪れてみて、意外と緑の多い癒されるような風景の街だったことや、政治だけでなくアメリカの文化の一大中心地であることなどを知り、「ホワイトハウスと国会とペンタゴンがある町」という事前のイメージが、実はDCという町のほんの一部を表していたにすぎないことを実感することが出来ました。

ワシントンDC・ダレス国際空港の朝

空港ターミナルビルに朝焼けが写ってきれいでした
それから、工藤はアメリカ初上陸だったので、アメリカという国の大きさにもびっくりしました。サンフランシスコを経由して帰国したんですが、旅程によるとDCからサンフランシスコまで、2時間半ぐらいで着くことになっているので、「意外と近いもんだなあ」なんて思っていたんです。でも、よく考えてみたらワシントンDC(東部時間)とサンフランシスコ(太平洋時間)では3時間も時差があるんですね。つまり、2.5+3の5時間半ぐらいかかるということだったんです(ちなみに成田空港から5時間半ってどれぐらいかと思って調べたら、ベトナムぐらいまでいけるらしいです)。

サンフランシスコの空港にて
さくらまつりの展示のために持っていったロイズのチョコレートをアメリカのみなさんが喜んで食べていたのも印象的でした。しかも、アメリカの方ってリアクションが実に大きい!「おいしい!おいしいよっ!」って、ものすごく喜んでくれましたし、カメラを向けるとさらに大きなリアクションをとったり、写真を撮る側からしたら実に“おいしい”表情をしてくれたので、持っていってよかったなあと感激しましたよ。
とにかく見るべきところが多かったワシントンDC。いつの日か、プライベートで1ヶ月ぐらい掛けて行くことができたら、スミソニアンの全部の博物館をゆっくり見て回ってみたいなあと思いながら帰国の途につきました。
余談ですが、チョコレートを食べたDCのみなさんが体中で「おいしい」を表現してくれたのを見て、中学生の頃、通ってた塾のアメリカ人の先生が僕の被ってた学帽を見て「すごい!これかっこいい!ほしい!」って大騒ぎしていたのをなんとなく思い出しました(次の週、先生が得意げな表情で自前の学帽をかぶって現れたのにはビックリ)。
2006年07月14日
ワシントンDC出張記 第8回・ジョン・F・ケネディ芸術センター
アメリカ合衆国の首都としてつくられたワシントンDCには、昔から特に目立った産業が無かったので、「DCの主要産業は官公庁と博物館だ」と冗談めかして言われることもあるそうです。一国の首都ですからDCにはさまざまな政府の施設があるのですが、それに負けないぐらい文化関連の施設もたくさんありました。たとえば、以前ご紹介したスミソニアン協会の博物館などは、「主要産業」という言葉が言いすぎでないように感じるほどの規模がありました。
さて、DCが誇る文化施設の1つがジョン・F・ケネディ芸術センター。なんと、5つもの劇場を備えた巨大な施設なのです。ここでは連日、オペラやコンサートが上演されていて、多くの人が訪れています。先が見えないほど長いロビーの端では、無料で見ることが出来る催しも行われていて、ちょうど我々が訪ねたときには、さくらまつりにちなんで日本からやって来た学生さんたちが和太鼓を披露していました。

このロビーの端にステージが設けられていました
アメリカの若者たちにとっても和太鼓は刺激的だったようで、工藤のすぐ近くに座っていた学生風の女性は、体全体でリズムを取りながら太鼓に聴き入っていました。ステージの前にはざっと見ただけでも1000人近い人が詰め掛け、1曲終わるたびにものすごい拍手が起きていました。

すごい人数の聴衆!
ジョン・F・ケネディの名を冠した施設だけに、ケネディ元大統領の巨大な頭像が飾られていました。

㊧この像、台座部分を除いても2メーターぐらいはあります㊨センターの壁面には、ケネディ大統領の言葉が刻まれています。
ちなみに、このケネディセンターの隣には、ニクソン大統領を辞任に追い込んだ政治スキャンダル・ウォーターゲート事件の舞台となったウォーターゲートビルという建物があります。当時入居していた民主党全国委員会のオフィスに対する不法侵入・盗聴が行われたこのビルには、現在ホテルやショップなどが入っているそうです。「ウォーターゲート」という名前は、ここに昔、ポトマック川の水門があったことに由来しているんだそうですよ。

ウォーターゲートビル
2006年07月07日
ワシントンDC出張記第7回 ジョージタウン
現代の世界を代表する大国・アメリカ合衆国の首都だということに対しての事前のイメージとは裏腹に、ワシントンDCはビルが林立する近代都市という雰囲気ではありませんでした。意外なほど古くからの風景が残っていて、緑の木々や穏やかに流れる川の風景に親しむような、風情のある街です。
そのワシントンDCの中でも、個人的にとても好きだったのがこのジョージタウンです。

小さな商店が道の両脇に並んでいて、人通りが絶えません。お店は有名ブランドのお店やレストラン、食材屋さん、自転車屋さんなどなどバラエティーに富んでいて、しかも一軒一軒に良い雰囲気があって。そぞろ歩きをするのがとても楽しいんです。この街では大人も子供もみんなリラックスした格好でゆっくりと歩いているのがとても印象的でした。


この街はDCの中でも古くから栄えていた地域で、明治初期、欧米に派遣された岩倉使節団の1人としてアメリカに留学し、後に津田塾大学の前身を創設した津田梅子先生も、アメリカ滞在中はこちらにお住まいになっていたそうです。
近くにジョージタウン大学があることもあって若い地元の人の姿も多いんですが、それと同じぐらい観光客風の人も大勢歩いています。

上の写真は、ジョージタウンにある「オールドストーンハウス」。この建物は1765年に建てられたものだそうです。と、いうことはアメリカ合衆国ができる前ですよ!もちろん、DCの中でも最も古い建物だということです。それほど近代的な建物ばかりというわけでもないワシントンDCですが、さすがにこれだけ古いと周りとは違って見えます。
昼もいい街ですが、日が落ちた後はまた違った、いい雰囲気の街に変わります。世界を動かす政治の街とは思えないほど、ゆったりとした時間が流れていました。

2006年06月30日
ワシントンDC出張記・第6回 いろんな人が暮らす国
アメリカの人々はとにかく多彩です。人種や祖先の国籍、話す言葉、宗教。これほどいろんな人が一緒に住んでいる国は、世界中を探してもきっとアメリカしかないでしょう。

あるショッピングモールで撮った写真です。1枚の写真の中にヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系。イスラム教徒と思われる人もいます。本当に、世界中の人々が集まって来ているといった印象です。
今回、DCを訪ねて実感したことの一つが、ラティノと呼ばれるラテンアメリカ出身の人たちがアメリカには本当に大勢住んでいるということ。ラテンアメリカにはスペイン語を話す国が多いので、公共施設でもスペイン語の説明書きが目立ちます。上の写真はDC市内の新聞販売機ですが、ワシントン・ポストなど英語の新聞のほかに、スペイン語の新聞(一番右と右から2番目)も販売されていました。街角の看板や、空港の案内表示などでもかなりスペイン語の表示を見かけます。
言葉や文化の違う人々が一緒に暮らしていくのは大変なことだと思いますが、いろんな考え方をする人が集まれば、いろんな可能性が生まれるとも思います。工藤はいろんな人が集まってくる大きな空港に行くと、なんだか楽しくてワクワクしてくるんですが、同じような気持ちをショッピングセンターや宿泊先のホテル、観光地などいろんなところで感じることができました。
2006年06月23日
ワシントンDC出張記・第5回 アメリカ合衆国議会議事堂
アメリカの政治関連のニュースで、キャスターやレポーターの後ろに映っている景色と言えば、ホワイトハウス。そしてこのアメリカ合衆国議会議事堂(連邦議会議事堂)が多いようです。

白いドームが印象的です
1回目の記事でご紹介したとおり、ワシントンDCは京都や札幌のように碁盤目状になっており、北西、北東、南西、南東の4地区に分けられていますが、その中心に当たるのが、この議会議事堂なんです。議事堂のあるあたりは「キャピトルヒル」と呼ばれる小高い丘になっているので、遠くからでも議事堂の建物がよく見えます。

こんなに近寄れます
ホワイトハウスでもそうでしたが、一般の観光客も議事堂の建物にかなり近寄ることができます。階段の上のほうで何人もの警察官がこちらを見てはいるものの、あの白いドームを間近から見上げられるのにはちょっとびっくりです。
日本の国会議事堂もそうですが、アメリカの議事堂もやはり観光スポット。我々が訪れた日も、全米各地からやって来た観光客が記念撮影をしていました。中にはどこかの高校のフットボールチームのユニホームを着た団体さんがいて、みんなで円陣を組んでエールを叫んでいました。こちらは永田町ではなかなかお目にかかれなさそうな光景。

アメリカ国内、世界各国からの観光客が大勢
議事堂のドームのてっぺんにはブロンズ製の「自由の女神像」が立っています。自由の女神というと、ニューヨークのあの像が思い出されますが、英語でいうとあちらの像は「Statue of Liberty」。そしてDCの議事堂に立っているほうは「Statue of Freedom」といいます。日本語に訳すとどちらも「自由の女神」なんですね。

正面入り口がある東側を向いているので、西側から見たら後姿でした
この自由の女神像、傷みが激しくなってきたので、ヘリコプターで吊り上げ、地上に下ろして修復を行ったことがあるそうです。高さ5メートル以上、重さはなんと7トン近くある像を議事堂のドームの上から下ろすのは大変な作業だったようで、DC在住の方に伺ったところによると、その様子がテレビ中継までされるほどの一大イベントだったとか。誕生以来約130年ぶりだったという清掃のおかげもあって、ドームの頂上に立つ女神像は太陽の光を受けてピカピカに光って見えました。
2006年06月16日
ワシントンDC出張記・第4回 スミソニアン博物館
ワシントンDCのダレス国際空港に到着して、税関の審査を受けていたときのこと。「1週間滞在する予定だ」と告げると、スタン・ハンセン似の高圧的な係官が「滞在中、どこへ行くんだ?」としつこく聞いてきました。「いろんな所に行くけど、英語なんか話せないし説明しきれないぞ」と思ってとりあえず元気良く「スミソニアン!」と答えると、係官は「1週間もスミソニアンを見るだって?!」とあきれた顔をしながらパスポートを返してきました。

国会議事堂から見たワシントンD.C.中心部「モール」の東半分。写真奥に見えるワシントン記念塔のあたりまで、両脇にある建物はほとんどスミソニアン関連のもの
スミソニアンとはワシントンDCが誇る巨大な博物館群です。1軒の博物館の名前ではなくて、美術、科学、歴史など、テーマごとに建てられた博物館の集まりなんですが、その規模といったらワシントンDCとニューヨークに合わせて約20もの博物館を有する大変なものです。1つ1つがものすごく大きい博物館の建物を見て思いました。あの係官はあんなことを言っていたけれど、本気で見ようと思ったら1ヶ月あったって足りません。
スミソニアンの博物館は、イギリス人のジェームズ・スミソンという学者が「知識の向上と普及に役立ててほしい」とアメリカ合衆国政府に財産を全て寄付したことをきっかけに誕生した「スミソニアン協会」が運営しています。博物館はホワイトハウス近くの「モール」と呼ばれるDC中心部に多くが立地していて、政府からの予算や個人・団体の寄付などで経費がまかなわれています。そのおかげでなんと、見学は無料!誰でも自由に貴重な展示品を見ることができます。なんとうらやましい・・・。
スミソニアンの収蔵品で有名なのは、数ある博物館の中でも人気ナンバー1を誇る、航空宇宙博物館にある月の石です。アポロ宇宙船が月から持ち帰ってきた本物なんです。残念ながら見に行くことはできなかったんですが、月の石に触ることもできるんだそうですよ!
モールにはスミソニアンの博物館のほかにナショナルギャラリーという美術館があり、こちらもレオナルド・ダ・ヴィンチとかピカソなど、世界有数のコレクションを所蔵しています。工藤は現代美術を展示している東館を少しだけ見てきましたが、建築を専攻していた同僚に後で聞くと、東館の建物自体も非常に有名で素晴らしいものだったんだそうです。

東館ではアレクサンダー・カルダーのモビールがお出迎え
このあたりの道を歩いてみると、道路に立っている案内標識の行く先が地下鉄の駅以外、全部スミソニアン関連の建物の名前だったのでびっくりしました。博物館が立ち並ぶモールの東側はまさに、博物館の町でした。

この看板に書かれているのは、ハーシュホーン美術館、芸術産業館、キャッスル(スミソニアン協会本部)、国立航空宇宙博物館など
2006年06月09日
ワシントンDC出張記・第3回 アメリカの食べ物のサイズ
以前、アメリカの家庭にホームステイした経験のある友人から「とにかく食べ物のサイズが大きくてびっくりした」という話を聞いたことがあります。工藤は一見、食が細そうに見えますが、実は学生時代には近所の定食屋の名物で、卵8個と米3合を使った「カツ丼激盛り(通称カツ激)」を平気で平らげていたほどの「隠れ大食漢」だったので「大きいって言ったって、1人前は1人前でしょ、食べ切れなかったなんて、お前も少食だな。ハッハッハーッ」と、一笑に付した記憶があります。
さて、今回はじめてアメリカという国に行った工藤の前に、こんな“刺客”が現れました。

ステーキです。厚みも3センチぐらいありました。おそらく500gはあったと思います。1人に1皿ずつ運ばれてきたので、たぶん1人前・・・だと思うんですが。ちなみに左上の青い円の中にあるのは日本の100円硬貨なので、大きさが分かっていただけるのでは(食べてみるとやわらかくて、ものすごく美味しい肉でした)。
ほかのお店でも、何を頼んでもすごいボリュームで出てくるんです。「カツ激」がお子様ランチ程度だったように思えるほどです。あんまりびっくりしたので、今回いろいろとお世話になったアメリカの方に「アメリカの方は、みなさん全部召し上がるんですか??」と聞いてみました。すると「普通の人は全部食べられませんから、残った分はお店で包んでもらって持ち帰るんですよ」とのこと。そう・・・ですよねえ。食べられないですよねえ。ちょっと安心。
そんなアメリカでは最近、健康志向の高まりとともにヘルシーな日本食が大流行しているそうです。今回の訪問先でもたくさんの日本料理店を見つけましたし、DCの高級食材店では醤油、チューブ入りわさびや柿、日本の梨などなど、日本の食材もたくさん売られていました。日本料理の良さがアメリカの人々にも受け入れられていることは、日本人として素直に嬉しいことだと思いました。
2006年06月02日
カカオの産地を訪ねて 第5回 バナナと一緒
以前、ブログでカカオには日よけが必要なのでバナナなどを一緒に植えるというお話をしましたが、エクアドルでも農園にバナナを植えているところがたくさんありました。

大きなバナナの間にカカオの苗木を植えています
生育期のカカオは、熱帯の強烈な日差しが大の苦手です。そこで葉っぱの大きなバナナなどをカカオの苗の近くに植えて、日よけにしてあげるわけですね。このように日陰をつくる役割の木のことをシェードツリーといいます。バナナは根が横に広がりにくく、カカオの生育をじゃましないこともシェードツリーに適しているのだそうです。日本では甘くてフルーツとして食べられるバナナが主流ですが、エクアドルでは調理して食べる品種の栽培も盛んです。谷口によると、調理したバナナはイモのような食感で、ポテトチップのようにバナナを揚げたスナック菓子もたくさん売られているそうです。
バナナにはもう一つ、この用途に適した理由があります。日本では「桃栗三年柿八年」といいますが、カカオもまた、収穫するまでに2~3年かかる植物です。その間、農家の方にとってはカカオが収入源にならないので、植えてから1年たたないぐらいで収穫できるようになるバナナの実が貴重な農産物となるわけです。余談ですが、バナナを「広辞苑」で引いてみると、「バショウ科の多年草」と書いてありました。バナナって、ホントは木じゃなくて草だったんですねえ。
カカオが大きくなって日よけがなくても生きていけるようになると、バナナはそこでお役御免。伐採されてしまいます。こうしてバナナに守られながら、カカオは収穫のときを迎えるのです。
2006年06月01日
ワシントンDC出張記 第2回・ホワイトハウス
ワシントンDCでいちばん有名な建物は、なんと言ってもホワイトハウスだと思います。歴代アメリカ合衆国大統領が住んでいるこの建物は、四角形をしたワシントンDCのほぼ中央付近に位置しています。
ひと目見たときの感想:わーっ、テレビで見たのと同じだー!
よく、ニュース番組でこの風景をバックにレポーターが話しているので、我々日本人にとっても馴染み深い絵ですよね。でも、実はこちら側がホワイトハウスの裏側にあたるんだそうです。ちなみに、表側はこんなふうになってます。

マスメディアの伝えない(笑)ホワイトハウスの表側
表側なんて、正面の歩道から100メーターぐらいしか離れていないんですよ。ホワイトハウスのすぐ近くで観光客が記念撮影をしているのを見て、ちょっと驚きました。大統領が住んでいる建物なのに、こんなに近くまで人が近づけるんだなあ、日本じゃありえないよなあと思っていたんですが、よく見るとそこら中に警察官がいるわいるわ。しかも、敷地を囲む塀にもいたるところにセンサーかカメラのようなものが仕掛けられていて、たぶん猫1匹でさえ侵入するのは難しいのではないかと思うほどです。噂によると、屋上でもシークレットサービスの方がライフルを手に24時間周辺を監視しているとか。大統領の住まいだけあって警備も厳重ですが、見た目にはものものしくないのはさすがといったところです。
このホワイトハウスは1792年に着工。第2代大統領のジョン・アダムスから現在の第43代ジョージ・ブッシュまで42人の歴代大統領がここに住み、ここで公務を執り行ってきました。誕生から200年以上経った今、世界の行方を左右する決断が昼夜を問わず行われている建物は、周りに大きなビルがたくさん建ち並んでいるからなのか、想像していたよりも小さく見えました。
そういえば、DCのとあるお店でこんなものを見つけてしまい、思わず買って来てしまいました。

ホワイトチョコレート製のホワイトハウス
普通のチョコレートのものもあったんですが、やっぱりホワイトハウスはホワイトチョコレートだろうということで、こちらを選択。手にとって見ると意外な事実が・・・。

ちゃんと裏側がついてる!
けっこう芸が細かいです。
2006年05月26日
カカオの産地を訪ねて第4回 エクアドルのカカオ
今回、谷口が訪れた国の1つがエクアドルです。カカオの産地は中南米、アフリカ、東南アジアなど世界中の、赤道に近い高温多湿な地域に分散していますが、コーヒーと同じで産地によって、カカオの味・香りには大きな違いが生まれます。その中でもエクアドルは気候、土壌、また発酵させる方法といった条件がもとで、独特な花のような香りのカカオを生み出しています。

収穫されたカカオポッドは、手作業で中身を取り出されます。中身を取ったカカオポッドもそのまま捨ててしまうのではなく、有機肥料として再利用するのだそうです。こうしてまた、おいしいカカオ豆が収穫できるんですね。

木の根元に落ちている黒っぽいものが、肥料になったカカオポッド
ロイズには、チョコレートの産地別の味比べをできる商品があるんです。「ロイズアロマチョコレートコレクション」がそれ。ガーナとエクアドルのカカオをブレンドしたビターなタイプから、北海道産ミルクをたくさん使ったホワイトチョコレートまで、産地別の風味を出した8種類のチョコレートが入っています。ぜひそれぞれの味の違いを確かめてみてください。
2006年05月25日
ワシントンDC出張記 第1回・ワシントンDCはどんな街?
先日、ワシントンDCのさくらまつりに行ってきたというお話を書きましたが、その時にDCのいろいろな場所を見てきましたので、ブログでもご紹介していこうと思います。
ワシントンD.C.は、アメリカ合衆国が誕生した頃、連邦政府の所在地としてつくられた都市です。以前から「DCって、どういう意味なんだろう??」と思っていたんですが、辞書で調べてみると「District of Columbia」という言葉を略したものだそうです。訳すとワシントン、コロンビア特別区。ワシントンはもちろん初代大統領のワシントン、コロンビアはアメリカ大陸にヨーロッパ人としてはじめてやって来たコロンブスのことなんだそうで、アメリカにとって非常に重要な人物2人の名前が首都につけられたのですね。

ワシントンDC市内にあるワシントン像
ちなみに、ワシントンDCは北西部にあるワシントン州と区別するため、一般にはワシントンDC、あるいはDCと呼ばれています。このブログでもそれにならっていきたいと思います。
さて、そういう成り立ちの町なので、DCにはいろいろ変わった特徴があります。まず、アメリカ合衆国の50州どこにも属していないということ。日本で言ったら千代田区が東京都に入ってなくて、「千代田特別区」になっているっていう感じなんでしょうか。形も非常に特殊です。1辺が10マイル(約16km)の、東西南北に頂点がある四角形をしているのです。大きなアメリカ合衆国の首都なのに、意外なほどDCの範囲は狭いんですね。そして、街並みは札幌と同じく碁盤の目のようになっていて、南北を貫く通りには「1番通り、2番通り・・・」と数字の、東西にわたる通りには「A通り、B通り・・・」とアルファベットの名前が付けられています。
こういうわけで、ワシントンDCに通勤できる近隣の町を合わせると首都圏全体で600万人ぐらいの人が暮らしているそうですが、DC自体には60万人ぐらいしか住んでいないのだそうです。大きなアメリカの首都の人口が札幌の3分の1ぐらいだなんて、なんだか不思議な気分でした。
2006年05月19日
カカオの産地を訪ねて 第3回・カカオはどうやって実るの?
さて、突然ですが問題です。カカオの実、カカオポッドはどのように木に実っているんでしょうか?3択です。次の3つの絵から選んでください。
A

B

C

いざ、言われてみると「ええっ?どれだったっけ??」って感じだと思いますが、これは実物を見ていただくのが一番早いと思いますので、谷口が撮ってきた写真を見ていただきましょう。正解はこちら!

木の幹や枝に直接実る、つまりBが正解でした!しかし、祖父が農家で、子どものころ果樹の収穫を手伝わせてもらっていた工藤には、これが不思議に見えてしょうがないんです。リンゴやミカンの果実は木の枝に生るもので、幹にゴロゴロと実をつけたりしないですから。あまりに不思議なので、なんだか「チャーリーとチョコレート工場」に出てきたお菓子の生る木を思い出してしまいました。
2006年05月12日
カカオの産地を訪ねて第2回 カカオの果実はなんの味?
そもそも、チョコレートの原材料になるカカオって、どういうものなんでしょうか?前回、ご紹介したとおりカカオは熱帯地方でしか栽培することのできない植物ですが、チョコレートの原料になる「カカオ豆」は、カカオの木になる果実の、種の部分なんです。

カカオ豆は、カカオの果実「カカオポッド」の中に入っています。上の写真のように、パルプと呼ばれる白くて粘りのある果肉に包まれて、だいたい1つのカカオポッドに20~60粒程度入っているんです。果肉はチョコレートの材料にはなりませんが、カカオ豆を取り出す邪魔になるので、収穫した後すぐ取り除かれます。

そんなわけでこのカカオの果肉、日本ではなかなか手に入りにくいものなんですが、今回、谷口は現地の農園で果肉を食べてみたそうです。「ずっと前からカカオポッドからパルプを取りだして食べてみたかったんですよね」と、興奮気味に話す谷口。どんな味なのか、大変気になるところですが、谷口いわく「甘くて、酸味があって、やわらかくて、なんだかヨーグルトみたいでした」ということでしたよ。たしかにカカオ豆を収穫する上では必要ないものなんですが、考えてみたら果物の種だけ取り出して、果肉を捨てるなんてある意味贅沢な話かも?
2006年05月05日
カカオの産地を訪ねて第1回 カカオの故郷はどんなところ?
チョコレートの主原料として欠かすことのできないものといえば・・・。そうです、カカオですね。日本でも、ほとんどその名前を知らない人はいないのではないかというぐらい有名なカカオですが、本物のカカオを見たことがある、という方はそれほど多くないかもしれません。

チョコレートの主原料となるカカオ豆
日本国内では温室などの設備を整えない限り、カカオを育てることはできません。カカオを栽培するのに適している土地は赤道を挟んだ北緯・南緯20度以内の高温で雨の多い地域。実際にはその多くが赤道近くで栽培されています。お近くに世界地図があったら見てみてください。赤道が中南米やアフリカ、東南アジアあたりを通っているのが分かると思いますが、カカオの産地もそれらの地域にほとんどが集中しています。
中南米やアフリカって、気軽に行ってこられる場所ではありませんよね。チョコレート工場に勤務している工藤だって「熱帯植物園」のような所でカカオの木を見たことはありますが、カカオを本当に栽培しているところは見たことがありません。
前置きが長くなりましたが、先日ロイズ商品開発室の谷口がカカオの産地を訪ねてを旅して来たんです。カカオの農園に入り、熱帯の日差しで真っ黒に日焼けして帰ってきた谷口が取材・撮影してきたカカオ生産の様子を、次回からブログの中でご紹介していきたいと思います。お楽しみに!
2006年04月28日
イタリア探訪最終回 チャオ イタリア!
1月からお届けしてきたイタリア探訪も、今回で最終回となりました。ミラノ、トリノと、イタリアでもローマなどとは一風変わった歴史を感じさせる古都の風景、お楽しみいただけたでしょうか?ちなみに、e-shopのイタリアンフェアはまだもう少し続きます。期間限定の商品ばかりですので、こちらもお見逃し無く。
さて、今回訪れた2つの都市の感想を少し。ミラノは古代ローマ時代にはすでに都市として栄えていた町だけあって、歴史の長さを感じさせる建物やエピソードに事欠かない場所だったと思います。一方で現在はイタリア第一の工業都市として、またファッションの発信地として、時代の最先端を走る都市という表情も併せ持っていて、不思議な魅力のある町でした。

ミラノのチェントラーレ駅。ムッソリーニが建てさせたという巨大な駅舎。
トリノは古代からあった都市ですが、古代や中世ではなく華やかな近世の香りがする町でした。イタリア有数の人口を誇る大都市で、しかも世界遺産に指定されているサヴォイア家の王宮の数々だけでも立派な観光地としてやっていけそうなのに、いまひとつマイナーな町、という印象が否めないのですが、トリノ五輪で知名度も上がり、これまでの自動車産業だけの町というイメージは変わっていくのかもしれません。

トリノの街の風景。小雨が降っても絵になります
イタリアには魅力的な町がたくさんあります。きっと、イタリアが長い間ひとつの国としてではなく、1つ1つの町が国家として発達してきたからこそ、それぞれの町が、それぞれの魅力を育ててくることができたのでしょう。ミラノ、トリノにもそういう魅力をたくさん感じることができました。
そして、イタリアの人たちもすごく印象的でした。日本でのイタリア人観って、「明るく陽気で、いつも歌を歌っている」(もしくは全員ジローラモさん)っていう、ものすごく偏ったイメージがありますが、トリノの人たちはものすごくシャイで、でも実は親切で、なんだかホッとさせられるものがありました。聞くところによると、陽気な人が多いのはイタリア南部の方で、北部の人たちはどちらかというとおとなしいらしいですね。イタリア語には、英語で言う「please」に近い「prego(プレーゴ)」っていう言葉があります。この言葉には「どういたしまして」とか、「さあ、どうぞ」とかいった、いろんな意味がありまして、イタリアの人たちが頻繁に使うんですね。ロイズの一行がゾロゾロとお店やカフェに入っていくと、特にトリノではお店のおじさんやおばさんたちが「ヘンな東洋人が来ちゃった。言葉も通じないし、どうしよう」っていう困った表情をしていたんですが、「Grazie(グラツィエ=ありがとう)!」「Prego!」ってやりとりするとその緊張が一気にほぐれて、ニッコリ笑ってくれるのがとても嬉しかったです。
最後に余談ですが、実は工藤は学生時代に「イタリア語」の授業を履修したことがあります。残念ながら半年で挫折しちゃったんですが、そのときの先生がこんなことを言ってました。「僕の授業で習ったことは全部忘れてもいいですが、一つだけ、『お手洗いを使っていいですか?』っていうのだけは覚えておくといつか必ず役に立ちますから。Posso usare il bagno(ポッソ ウザーレ イル バーニョ)?っていうんですが、覚えられなかったら「Posso bagno」でも伝わりますから」。
トリノのオリンピックグッズ屋さんで、これを知ってなかったらどうなっていたか・・・
来週からは、また新しいシリーズを始める予定です。また、ロイズのスタッフが見てきた珍しいものをご紹介していきますのでお楽しみに!
2006年04月21日
イタリア探訪第16回 元祖・ビチェリンのお店
以前、ブログでカフェ・トリノのビチェリンのお話をしましたが、ビチェリンと言えば忘れてはいけないのがここ、「カフェ・アル・ビチェリン」です。

看板がまたいい雰囲気を漂わせてます
ビチェリン(Bicerin)というのはピエモンテ地方の方言で、小さなコップ(ビッキエーレ=bicchiere)という意味だそうです。このお店は1763年創業の、トリノでも老舗中の老舗。今から240年前ですよ?
イタリアの初代首相・カブールは、ビチェリンが大好きで、このお店の常連だったそうで、このお店には「カブールがいつも座っていたテーブル」がそのまま残っているんです。

これが元祖ビチェリンです
エスプレッソとチョコレートが絶妙に調和しています。まさに、イタリアのチョコレートの都・トリノらしい味ですね。そしてまた、お店の雰囲気も最高にいいんですよ。この日もたくさんのお客さんで店内は満員でした。
元祖ビチェリンとは少し違った雰囲気になりますが、ロイズイタリアンフェアで販売しているロイズクレーマジャンドゥーヤをコーヒーに溶かすと、ビチェリン風な飲み物をつくることができます。ヘーゼルナッツとコーヒーの香りが溶け合って、とても美味しいですよ。イタリアンフェアが始まって以来、ロイズのスタッフの間でもブームになってます。
クレーマジャンドゥーヤ入りコーヒーを美味しくつくるポイントは、一気にクレーマジャンドゥーヤを入れるのではなく、何度かに分けて少量ずつ溶かしていくことと、できればコーヒーもエスプレッソを使うことですね。クリーム状のジャンドゥーヤは、日本で探すのがなかなか難しいので、この機会にぜひお試しください!
2006年04月14日
イタリア探訪第15回 スペルガ聖堂
トリノ中心部から10キロほど離れたところにあるスペルガ聖堂。トリノの街並みを一望できる丘の上に建てられたこの建物は、サヴォイア家の墓所でもあります。市内中心部からバスで約30分。そこから、先日ブログでもご紹介した登山電車に乗ってまた30分。ようやくスペルガ聖堂にたどり着きました。
スペルガ聖堂は1706年に完成した建物で、マダマ宮殿のファサード部分など、トリノのさまざまな歴史的建造物を建てた名建築家フィリッポ・ユヴァッラの作品です。ミラノやトリノでこれまで見てきた巨大な建造物と比べると小さく見えますが、青空を背景にひときわ華麗に見えました。

きれいな油彩画のような風景でした

内装も外観に負けないぐらい素晴らしいのです
ここは、トリノの街も、市内を流れるポー川も、そしてはるか向こうのアルプスまでも見渡すことができる絶景の地でした。

このスペルガ聖堂はトリノ中心部からちょうど東の方向にあります。逆に中心部から西へ向かったところにあるリヴォリ城は、歴代王位継承者が生まれた場所でもあり、生と死が、トリノの街を挟んで一直線につながっているんだそうです。サヴォイア家の歴代君主は、死後もここからトリノの街を見守りつづけているのです。
2006年04月07日
イタリア探訪第14回 真っ赤なべスパ
ミラノのドゥオモの隣には、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のアーケードがあります。1867年に建設されたこのアーケードは、言ってみれば1つの商店街なんですが、歴史を感じさせる建物は風情たっぷりで、市民や観光客がひっきりなしに行き来していました。1867年といえば日本では明治になる直前の慶応3年。札幌の開拓が始まったころですから、ずいぶんと昔にすごいものを作ったものだと思います。


この日も大勢の人でにぎわっていました。高級ブランド店や書店などもあって、ウインドーショッピングがほんとに楽しいんです。大手のファストフード店もありましたが、アーケードの風情を壊さないように、控えめなつくりになっていました。
さて、このアーケードは長さ約200メートルの通りが交差した十字型をしていますが、中心部にはこんなものがありました。

イタリア製のスクーター・ベスパの大きなモニュメントです。日本では、ドラマの「探偵物語」で松田優作が演じる主人公・工藤俊作が乗っていたことで有名です。別に同じ工藤だからというわけではないんですが、私・工藤もベスパが大好きなので、感激して写真を撮りまくってしまい、あやうく置いてけぼりにされそうになりました。(ちなみに、ベスパの足元のところには「ベスパに上らないでください」と書いた看板があったんですが、結構みなさん上って記念写真を撮ってました)
ベスパはクラシックなデザインが人気の元で、オーナーたちは、少々トラブルが多い旧式なものでも、大事に手入れをして乗っているそうです。以前、フィアットのお話をしましたが、自動車をはじめとしてイタリア製のものはとても味のあるものが多いような気がします。最先端の技術では日本など他の国に一歩譲るかもしれませんが、少し先端から遅れたところであってもしっかりと人々の心をつかんではなさないところはイタリアの工業製品の魅力ですね。
2006年03月31日
イタリア探訪第13回 ジェラート
イタリアにはおいしい食べ物がたくさんありましたが、忘れてはいけないのがジェラートです。イタリアのジェラート、有名ですもんね。
しかし、なぜアイスクリームが、よりによってとても暖かそうなイメージのあるイタリアで盛んになったのかと気になったので調べてみました。もともと、アイスクリームのようなものが3000年以上前から中国で作られていたそうで、そのことを、中国を訪れたヴェネツィアの商人、マルコ・ポーロが13世紀に伝えたそうです。その後、大量に水に溶かすと温度を吸収する性質を持つ硝石を使って冷却する方法がイタリアで開発され、ヨーロッパ中にアイスクリームづくりが広まっていったとか。チョコレートもそうでしたが、イタリアは歴史的に文化・流行の発信地なんですね。
今回、訪れたトリノやミラノでも、さまざまなジェラテリア(ジェラート屋さん)を見つけることができましたが、チョコレートのフレーバーが実に充実しているんです。そして、そのジェラートの舌触りがまた、実に滑らかなんですよ。

上の写真はミラノのチョコレートショップ。さすがにチョコレート味のものがたくさんありました。チョコレートにオレンジやダークチェリーが入ったものや、ミルク風味のものなどなど。チョコレート好きなら1つに絞りきれません!

トリノはさすがにチョコレートづくりの盛んな街だけあって、チョコレート味のジェラートは質・量ともに豊富でした。トリノを訪れた時期はだいぶ肌寒くて、正直アイスという気分ではなかったんですが、それでも美味しいと思える味でした。
トリノのお店では、男性がやってきてはジェラートを買い求めていく姿が印象的でした。日本で男性が1人でアイスクリーム店に入ることはそれほど一般的ではないように思いますが、イタリアではおじさんたちがやって来て店員さんに注文した後、「ここのお店のは、おいしいよ!」と、よその国からやってきた我々におすすめしてくれたりしていました。イタリアの人は本当にジェラートが大好きなんですね。
参考・平凡社「世界大百科事典」、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」
2006年03月24日
イタリア探訪第12回 サンタンブロージョ教会
先日ご紹介したドゥオモのほかにも、ミラノには多くの歴史的な建物がありますが、その中の一つがこのサンタンブロージョ教会です。ミラノの守護聖人、聖アンブロージョによって建てられた教会で、ロマネスク様式の傑作と賞される建物には、ドゥオモとはまた違った美しさがありました。

サンタンブロージョ教会の全景

煉瓦づくりの壁が青空に映えます
聖アンブロージョは4世紀の人で、彼が生まれる直前に、ローマ皇帝が「ミラノ勅令」を出し、キリスト教を公認するという出来事がありました。それまでにローマ帝国の迫害によって多くのキリスト教徒が殉教しており、ミラノ司教であった聖アンブロージョが殉教者たちを弔うために建てたのがこの教会だということです。ちなみに、聖アンブロージョは「ミサ」という言葉を初めて使ったことでも有名だとか。
聖アンブロージョの死後、遺骸はこの教会に安置されました。現在もきらびやかな衣装に身を包んだ聖アンブロージョの遺骸が教会の一番奥の方で公開されています。我々が訪れた短い時間の間にも、何人もの人々が聖アンブロージョを前に、静かに祈りを捧げていました。
さて、この教会のすぐ近くにはミラノカトリック大学があって、学生さんたちが大勢歩いていました。ミラノの人たちはとにかく美男美女が多いような気がします。女性はみんなモデルに見えるし、男性はミケランジェロか誰かが彫ったんじゃないかと思えるような精悍な顔をしていました。こういう学生さんたちが大勢歩いているとまた、ミラノの街並みがサマになるんですよ。

ふと、学生さんたちの手元を見ると、みなさんなにかピザのようなものが入った紙の包みを持って、歩きながら食べています。なかには自転車に乗りながら食べつづける猛者もいて、とても気になりました。ちょうどお腹もすいてきたころで、「絶対、あれを食べたい!」と、ウロウロ探し回ると、次第にその包みを持っている学生さんの密度が高くなっていきました。

ようやく見つけたお店の前には行列ができていました。座布団のように大きなピザを店員さんがハサミで切って袋に入れてくれます。何種類か買って、さっそく街中で食べてみました。こっ・・・これは・・・美味い!正直、かなりの大きさだったんですが、夢中で食べてしまいます。無言のまま、ひたすら食べつづけ、ちょっと食べ過ぎてお腹にもたれてしまったんですが、食べ盛りの学生さんたちには、かえってそういうヘビー級な食べ応えのほうがよろしいのかも。「カツ丼激盛り」を平気で注文していたあの頃のことを、少し思い出してしまいました。
2006年03月17日
イタリア探訪第11回 フィアットの街
トリノといえば、自動車メーカーのフィアットの本拠地としても有名です。フィアットはイタリアでも最大の自動車メーカーで、スポーツカーで有名なフェラーリやアルファロメオ、マセラティ、かつてラリーで活躍したランチアなどイタリアの主要な自動車メーカーのほとんどを傘下に収めている、イタリアを代表する大企業です。トリノの空港にはこういうものが飾られていました。

フィアット製の乗用車
市内中心部は王宮を中心に栄えた古都、という印象なんですが、一歩そこから出ると、イタリアを代表する工業都市としての表情が見えてきます。それを代表するようなものが、ミラノからトリノに到着して最初に見たこの風景でした。

トリノ五輪のプレスセンターにもなった、旧フィアットリンゴット工場です。今から90年ほど前に建てられたこの工場、1982年で工場としての役割は終わったんですがその後改装が施され、ショッピングセンターやホテルなどを備えた大型複合施設として生まれ変わりました。
ここは工場としても少し変わった建物で、1階部分から自動車の組み立てを始めて、組みあがるに従って徐々に上の階に上がっていき、最後は完成した自動車を屋上にあるテストコースで実際に走らせてテストしていたんだそうです。トリノ市街にある広くはない敷地に自動車工場をつくるための工夫だったんですね。ちなみに、現在もそのテストコースはそのまま残っていて、ホテルの宿泊客はジョギングを楽しむことができるそうです。イタリア車好きな工藤としては、いつか屋上を走り回ってみたいものです。
フィアット・グループのお膝元だからなのか、トリノの街にはこんなものも売られていました。

フェラーリのソリ
ほしい!もちろん、息子用じゃなくて自分用に。と、思って値段を見たら日本円にして約3万円也。ちなみに近所のホームセンターで購入した我が家のソリが60台は買えるお値段ですよ!ソリとは言っても、やはりフェラーリはフェラーリでした。
2006年03月10日
イタリア探訪第10回 ミラノのドゥオモ②
ドゥオモの屋上へはエレベーターか階段で上がります。我々はもちろん階段を利用・・・するはずもなく、エレベーターのチケットを買いました(ちなみに、階段も有料)。繁華街の雑居ビルについていそうな、4人程度しか乗れない古いエレベーターから出ると、そこにはミラノ中を一望できる素晴らしい風景が広がっていました。

そして、よく見るとドゥオモの壁面には無数の彫刻が施されていました。まさに彫刻でできているような建物です。

壁面にも、

尖塔にも。

拡大するとこういう感じで、1つ1つが実に見事な出来栄えです。
135本ある尖塔の先端には、それぞれ別々の聖人たちの像が立っています。

一番高い尖塔からは、黄金の聖母、マドンニーナ像がミラノの街を見守っています。ちなみに地上からマドンニーナ像までの高さは108.5メートルにもなるんだそうです。

下の写真は屋上で一番高い所です。日本からの観光客が大勢訪れていました。

今回訪れたほかの教会もそうなんですが、観光客だけではなく、ドゥオモ内部では熱心に祈りをささげるイタリアの人々が何人もいました。ミラノのドゥオモは圧倒的なスケールや細部まで凝ったつくりを持つだけではなく、現代もミラネーゼたちの心のよりどころとなっているという点でも、ミラノの象徴であり続けているということが、強く心に残りました。
2006年03月03日
イタリア探訪第9回 ミラノのドゥオモ①
ミラノ、というと現代のファッションの最先端というイメージがあります。ミラノコレクションが開催され、数々の流行を世界に発信。日本の雑誌の特集でも「ミラノのスタイル」なんていうキーワードがよく見出しになってますよね。

ミラノの風景
さて、世界の流行をリードするミラノは、一方で非常に歴史の古い街でもあります。「平凡社 世界大百科事典」によると、ミラノはもともと紀元前に建設された街で、かつては「Mediolanum(平野の中の町)」と呼ばれており、それが現在の名前の元になったそうです。世界史を勉強された方なら「ミラノ勅令」という言葉を聴いたことがあるかもしれません。それまでキリスト教を迫害していたローマ帝国が、一転して信仰の自由を認めた出来事ですが、これは西暦313年、ミラノで布告されたものです。
もともと、北イタリアの交通の要衝だったミラノは、古代ローマ帝国時代から商業が盛んな街でした。そして、現在もイタリアの商業の中心地として繁栄しているわけです。
現在、ミラノにはキリスト教に関連した数々の貴重な建築物がありますが、中でも有名なのは「ミラノのドゥオモ(大聖堂)」でしょう。1386年、時のミラノ領主の命によって着工し、完成するまでに500年もの歳月を要したという巨大な聖堂です。今回、ミラノを訪れるにあたってとても楽しみにしていた建物だったので、地下鉄の駅(駅名もそのまま「ドゥオモ駅」)から喜び勇んで地上に出たところ、
工事中ですかッ
残念です。よりによってファサード(正面)が工事中とは・・・。聞くところによると、建物の4面のうち、常にどこかが工事中-というぐらい頻繁に工事をしているとか。
気を取り直して中に入って見ました。日本人観光客が多く来るからでしょうか、入り口で持ち物チェックをしていた警備のおじさんたちはニコニコしながら「カバンノ中、見セテクダサーイ」と話しかけてきました。持ち物チェックを終えると「アリガトサーン」。やけにこなれた日本語ですが、誰が教えたんでしょう。

ドゥオモ内部
ものすごい高さの天井、そしてものすごい広さです。これでは確かに、500年ぐらいかけないと到底作れそうにありません。しかも、クレーンも何もない時代に、よくこれだけの建物を建てられたものですよね。
一番奥のステンドグラスもまた見事です。古いものは15世紀ごろにつくられたものだとか。

聖書の内容を分かりやすく、絵にして表現しているんですね。ちょうど差し込んできた太陽の光を受けたステンドグラスは、薄暗いドゥオモの中で、いっそう神々しく見えました。
実は、ドゥオモは屋上に上ることができるんです。屋上でもいろいろすごいものを見ることができたのですが・・・。その様子はまた次回お伝えします。
2006年02月24日
イタリア探訪第8回 トリノの歴史
トリノは実に歴史の深い街です。ネット上で検索できるフリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」によると、この地域にはもともとタウリニー人と呼ばれる人々が住んでいたのですが、領有したローマ帝国がカストラ・タウリノールム(のちにアウグスタ・タウリノールムと改名)という街を建設しました。トリノという名前もこれに由来しているそうです。
ローマ帝国の滅亡後、トリノの帰属は揺れ動くことになります。「平凡社 世界大百科事典」によると、6世紀にはランゴバルド公領、8世紀にはフランク伯領となり、9世紀以降はその領有をめぐって争いが続きました。長い争いの末、トリノを領有するようになったのがサヴォイア家でした。16世紀には一時、フランスに占領されましたが、1563年、サヴォイア家のエマヌエーレ・フィリベルトが奪回してからサヴォイア公国の首都となり、今も残るバロック様式の美しい街並みがかたちづくられたのです。
そんな歴史あるトリノを象徴するような建物がこちら。

市内中心部、カステッロ広場に面したマダマ宮殿(palazzo madama)です。現在のトリノ市内の風景と調和したバロック様式の壮麗な建物。実に見事です。最初見たときは、同じ広場に面している王宮ではなく、こちらを王宮かと勘違いしたほどです。ところが、後ろに回りこんでみると・・・

写真左手がカステッロ広場に面した、上の写真のファサード(建物正面)にあたる
あれ?あれあれー??表と裏とでは、まるで別の建物。ぐるっと回転するとアイドル歌手のいるステージが出てくる「8時だよ全員集合」のセットを思い出してしまいました。正面は白い綺麗な建物で、裏は対照的に重々しい、もっと時代が古そうな建物になっているんです。
実はこの建物、もともとローマ帝国初代皇帝・アウグストゥス(在位・紀元前27年 - 紀元14年)の時代に建てられた門の跡に、中世になって城が築かれ、さらに18世紀、建築家のフィリッポ・ユヴァッラがファサードを増築したものなんだそうです。つまり、白い部分は18世紀、茶色い部分は中世の建物なんですね。
そんなエピソードも、古代からの歴史を誇るトリノならでは。古代、中世、近世と、時の移り変わりを見守りつづけてきたマダマ宮殿は、まさにトリノの歴史そのものと言っても過言ではないでしょう。
2006年02月17日
イタリア探訪第7回 路面電車と登山電車
路面電車は自家用車の普及と共にどんどん姿を消しており、札幌でも先ごろ、路面電車(札幌では一般に“市電”と呼びます)を廃止しようかという議論がありました。結局、札幌では存続することに決まりましたが、路面電車は環境に優しいとして近年、見直されてきているようですね。
ミラノにはとても充実した路面電車の路線網が張り巡らされています。スピードだけなら地下鉄のほうが有利ですが、歴史と最先端の流行が融和したミラノの街並みを、ゆっくり走る路面電車に乗って眺めるのは、実に楽しいものです。

スカラ座の前を走る路面電車。オレンジの車体が石壁の街並みに良く映えます
そして、トリノもまたイタリア有数の路面電車網を持つ街です。五輪に合わせて地下鉄も建設されましたが、やっぱり歴史のある街には路面電車の風情が似合います。車道の上に張られた路面電車の架線は、ともすれば景観を損ねる悪者扱いされがちですが、改めて見ると、なかなか情緒のあるものですね。
トリノで情緒と言えば、もう一つ忘れてはいけないのが、郊外のスペルガ丘陵に向かう登山電車。昔、市内を走っていた路面電車の車両を改造したものと聞きましたが、これがまた素晴らしい年代物なのです。

ふもとの駅にいた電車(上)と、歴史を感じる運転席(下)

磨きこまれた木の内装(左)つり革は本当に革製(右)
山頂駅までは自転車ぐらいのスピードで上り、30分ぐらいかかります。途中にいくつか駅がありますが、通過してしまうので「この電車、今は山頂の観光客専用で、途中の駅は使っていないんだな」と早合点していたら、次の駅にご婦人が1人、立っていました。どうやら乗る人がいれば止まる仕組みになっているようです。ご婦人は街に出かける途中だったようで、買い物袋を持っていて、慣れた様子で運転手と言葉を交わして乗り込んできました。古いものをただ大切にするだけでなく、生活の中で生かしているところは、さすが長い歴史のあるイタリアですね。
2006年02月10日
イタリア探訪第6回 光のアート
夕闇のトリノを歩いていたら、こんな風景を見つけました。

市内中心部のマダマ宮殿裏手で、映画の
スタッフロールのように光の文字がスクロール
「なんだ、あれ?」と思っていたら、街角ではそのほかにもこんな風景を見つけました。

こちらは、テレビなどでもよく見かける風景なので、ご覧になったことがある方も多いかもしれません。左はローマ通り、右はガリバルディ通りの夜の風景。
トリノでは1998年から毎年クリスマスの時期に、トリノゆかりのアーティストたちによる光の展覧会「Luci d’Artista(ルーチ・ダルティスタ:芸術家の光)」が開催されているんです。ひと口に光と言っても大きさ、表現の仕方はさまざま。しかも頭上だったり、足元だったり、街のいたるところに展示されていて、見る人を飽きさせません。
トリノの街自体は建物の色も抑え気味ですし、街並みが整然としているせいか、全体に落ち着いた雰囲気なのですが、夜になって作品が点灯されると一気に華やかになります。たくさんのトリノ市民が、何人かのグループになって光の星座の下を歩いている様子は、いかにも楽しそうでしたよ。
この展覧会は毎回、クリスマスシーズンに開催されていますが、オリンピックやパラリンピックが開かれる今年は、特別に2月、3月にも点灯する予定だということです。
2006年02月03日
イタリア探訪第5回 カフェ・トリノ
トリノでは、いろんなカフェに入ってみたのですが、どのお店も大変歴史が深いんです。ただ単にずーっと昔から営業している、っていうだけじゃなくて、「ニーチェがよく来ていた」「イタリアの初代首相・カブールがいつもこの席に座っていた」とかいうストーリーにも事欠かないんです。まさに歴史の舞台。トリノのカフェには、世界史の主役たちの足跡が今も残っています。

最初に訪れたカフェ・トリノは、サン・カルロ広場に面しており、1903年創業のカフェです。文化財のように古い建物と、骨董クラスの調度品。そしてそこで、トリノの人々が毎日そうするように1杯のエスプレッソを楽しむ。歴史と日常がこんなに親しい関係になり得るものなんだと感心しながら頼んだのがこれ。

トリノ名物・ビチェリンです。コーヒーとチョコレートを混ぜ、上にクリームを載せたホットドリンクなんです。チョコレートの甘さとコーヒーのビターさ・香りのバランスが絶妙にとれていて、特に肌寒いトリノの冬にはたまりませんよ、これは。
そして、カフェ・トリノの前の歩道にはこういうものが埋め込まれていました。

トリノの象徴・牡牛のレリーフです。この牡牛を踏むと、トリノにまた来ることができると信じられているそうです。このことをガイドブックで読んで知っていた我々一行は「これでもかッ」とばかりにぎゅぅ~っと踏みつけてきました。トリノを愛するたくさんの人に踏まれて磨り減り、ピカピカに輝く牡牛は、なんだかとてもご利益がありそうに見えましたよ。
2006年01月27日
イタリア探訪 第4回・チョコレートの都・トリノ後編
前回お話したとおり、スペインが中央アメリカから持ち帰ったチョコレートは、イタリアの王侯貴族たちの間に広まっていきましたが、さらに大きな出来事が1678年、トリノでありました。ピエモンテを支配しているサヴォイア家がアントニオ・アッリという商人に対して「これから6年間、チョコレートを一般に販売する」ことを許可する免許を発行したのです。
それまでチョコレートは、ほぼ王様をはじめとするごくごく一部の人しか口にする(当時は“飲む”)ことができなかったものですから、これは大変なことでした。サヴォイアの都・トリノにはチョコレートを求める人々や、チョコレートづくりの修行を志す大勢の人々が集まってきました。王宮の近くにはたくさんのチョコレート店が立ち並び、それはそれはにぎわったそうです。まさに、トリノは“チョコレートの都”と呼ぶにふさわしい歴史を持つ街なんですね。
王宮から伸びるガリバルディ通りにも
数多くのチョコレート店があったそうです
以前、トリノはイタリアの首都だったとお話しましたが、それは、トリノを都とするサヴォイア家がその後、イタリア統一を目指す運動の中心となり、統一を達成したイタリアの国王となったから。トリノはチョコレートにとっても、イタリアにとっても歴史的にとても重要な役割を果たしてきた街なんですよ。
さて、トリノではその後もさまざまなチョコレート文化が花開いていくのですが・・・。それは街の様子のご紹介の中で、改めてお話しましょう。
2006年01月20日
イタリア探訪 第3回・チョコレートの都トリノ 前編
海外のチョコレート、といえばどこを思い出しますか?ベルギー、スイス、フランス、アメリカあたりが真っ先に思い出されそうですが、実はイタリア、中でもトリノはチョコレートの世界でもたいへん歴史の深い地域なんですよ。
トリノの中心部・カステッロ広場と王宮。
トリノ五輪の表彰式もここで行われます。
チョコレートの原料・カカオは中米原産です。今から4000年ぐらい前には中米に住んでいた人々が、カカオをすり潰してつくった液体を飲んでいたと言われています。今のチョコレートやココアと違って甘くもなく、ドロドロして飲みにくいものだったようですが、健康に良い薬のようなものとして大切にされ、王様などごく一部の限られた人々が愛飲していました。
さて、大航海時代になるとヨーロッパの人々がアメリカ大陸を目指すようになりました。1528年には、今のメキシコにあったアステカ帝国を征服したスペイン人・コルテスが、アステカの人々が珍重していたカカオをヨーロッパに持ち帰りました。
世にも珍しいカカオで作った飲み物・チョコレートは、長い間スペインの王様や貴族に独占されていたんですが、そんなにいいものをずっと独り占めできるはずもありません。そうしてスペインから最初にチョコレートが伝わったのがイタリアだったんです。その間の経緯には諸説ありますが、チョコレートがイタリアへ伝わるきっかけとなった人物の1人として、当時トリノを中心とするピエモンテ地方を治めていたサヴォイア公・エマヌエーレ・フィリベルトの名が挙げられています。
トリノのサン・カルロ広場にあるエマヌエーレ・フィリベルト像
エマヌエーレ・フィリベルトは当時、スペイン陸軍の将軍を務めていたのでスペイン王宮との間に深いつながりがありました。そしてそのスペインで、新大陸から伝来したばかりの新しい飲み物・チョコレートと出会いました。今でも食べ物が美味しいことで有名なピエモンテの領主ですから、そんなにいいものをピエモンテへと持ち帰らないはずがありません。やがてその息子・カルロ・エマヌエーレ1世とスペイン王女カテリーナが結婚したのをきっかけに、チョコレートはピエモンテの貴族の間へと、瞬く間に広まっていったのです。
(後編に続く)
2006年01月13日
イタリア探訪 第2回・イタリアの首都だったトリノ
トリノって、どんな街なんでしょう。人口約90万人。主要産業は自動車。日本だったら少し大きめの工業都市といったところでしょうか。ここにはイタリア最大の自動車メーカー・フィアットの本拠地があります。町外れには巨大な工場がありましたし、市街地にはむかしフィアットの工場だった建物を改造した豪華なホテルがあるんです。なんでも自動車を組みあげながら下の階から上へ上へと上げていき、最後は屋上のテストコースで試走してから出荷したとか。工場がホテルに変わった今は、テストコースが宿泊客用のジョギングコースになってるそうです。
サッカー好きな方なら、セリエAの名門・ユヴェントスのホームグラウンドがあることでトリノをご存知かもしれません。今、セリエAは1位ユヴェントス、2位ACミラン、3位インテルと、今回訪ねたトリノとミラノの強豪が上位独占してるんですよね。今回は試合を見ることはできなかったんですが、街中を歩いていて、こんなものを見つけました。

トリノ市内で見つけたユヴェントスのショップ。トリノの
空港にもショップがありました。
トリノはイタリアでも北西の端の方にあり、すぐ西にはアルプス山脈がそびえています。イタリアと言えば太陽がまぶしい暑い国というイメージがありますが、冬季五輪が開かれるだけあって、とても涼しい気候の街です。

郊外の丘陵からトリノ市街を望む。背後にはアルプス山脈
イタリアは長い間、ヴェネツィア、フィレンツェなどといった有力な都市を中心にした小さな国が林立する状態が続き、「イタリア」という一つの国になったのはなんと1861年(日本では幕末の頃)になってから。そのとき、「イタリア王国」(第二次大戦後は共和国)の最初の首都となったのがトリノなんです。(1865年には首都がフィレンツェに移りました)
一方、トリノはイタリアの映画産業発祥の地とされ、映画の街としての顔も持っています。トリノ市内を見下ろすモーレ・アントネリアーナには、ヨーロッパ有数の規模を誇る国立映画博物館が設置されています。かつてのトリノは、いわばハリウッドのような街で、市内のカフェには銀幕のスターたちが集まったそうです。今回、街を歩き回っていくつものカフェに入りましたが、そのまんま映画のロケに使えそうな雰囲気のあるところばかりでした。街角のカフェで映画スターがエスプレッソを飲んでいたら、さぞかしサマになっていたんでしょうねえ。
2006年01月06日
イタリア探訪 第1回・イタリアに行ってきました
最近、テレビや新聞でトリノという名前を目にすることが多くなってきました。でも、工藤は最近までトリノのことをほとんど知らなかったんですよ。イタリアって言ったら、ローマ、ヴェネツィア、ミラノ、ナポリ、フィレンツェ・・・と、もっとメジャーな街が多いじゃないですか。だから、トリノが古くからの歴史ある街だとか、イタリア第4の大都市だとか、実は昔はイタリアの首都だったっていうことも知らなかったんです。
そんな工藤ですが、先日、トリノに出張する機会がありまして、いろいろ見て参りました。そして、実はトリノが単に古い歴史を持つ街であるだけでなく、まさに「チョコレートの都」というべき場所だったということを目の当たりにしてきたんです。と、いうわけで今回から週に1回ずつ、トリノ(と途中で寄ったミラノ)で見てきたことをご紹介したいと思います。

イタリア・ミラノの街角
ところで、今月からロイズのe-shopと直営店でイタリアンフェアを実施しています。その第一弾として、「ロイズアマレッティ」を販売中です!アマレッティはアーモンドの良い香りと味がする北イタリア発祥のお菓子で、フランスのマカロンの原型になったともされています。見た目は非常に素朴なんですが、食べてみると外側がカリッとしていているのに中身がしっとりしていて、不思議な食感のお菓子です。
今回、ミラノでも“本場”のアマレッティを買って食べてみたんですが、正直、ロイズのアマレッティの味の方が断然!良かったと思います。ぜひお試しください!また、今後もイタリアにまつわるお菓子が次々と登場しますので、お見逃しなく!
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