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2007年10月26日
フィレンツェ探訪 第11回 またフィレンツェに来られますように
フィレンツェ市街にある市場には、こんなイノシシの像があります。

ポルチェリーノ(子猪)と呼ばれているそうです。鼻のところだけ色が違いますが、これは、この像の鼻をなでて口にコインを入れて、舌を滑らせるように落として下にあいている穴(角度的に若干コインが入りづらくなっている)に入れば、またフィレンツェに戻ってこられる、と言われているからなのだとか。トリノの牡牛のレリーフみたいですね。

大勢の人になでられた鼻だけピカピカになってます
私も「フィレンツェに戻ってこられるように」と念じながらコインを落としました。チャリーン!(外れる音)「は、外れた・・・!もう一回!」チャリーン!「もう一回!」「もう一回!」・・・結局、5回目ぐらいでようやくコインは穴の中へ。多少、力づく感がありましたが、成功すればいいんです、成功すれば。

ちなみに、願いを込めたイタリアの1ユーロコインには「ダ・ヴィンチ・コード」でもおなじみ、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ウィトルウィウス的人体図」が描かれてます
フィレンツェには1週間近く滞在しましたが、昔の町並みがそっくりそのままといっていいレベルで残っていることに驚きました。道を走る自動車や歩いている人の服装などをのぞけば、ダンテやミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチが見た風景とそう大差ないような風景があちこちで見られるんですから。

もともとあった位置に復元された「ダンテの家」

観光客の姿が絶えることがありません

治安の悪いところさえ避ければ、夕方の散歩も楽しい町です。

夕食の後には、グラッパ(ブドウの搾りかすを発酵させてできたアルコールでつくった蒸留酒)やリモンチェッロ(レモンのリキュール)がまた美味い!
滞在中のあるとき、アルノ川を渡ろうとすると、虹が見えました。

フィレンツェの空にかかる虹は、北海道の大地で見るそれとはまた違った美しさで、私たちもしばらく見入っていました。
(完)
2007年10月22日
フィレンツェ探訪 第10回 トスカーナはワインのふるさと
イタリアにはさまざまな美味しいものがありますが、忘れてはいけないのがワイン。なんといってもイタリアは、ワイン生産量でフランスと世界1~2位を争うほどのワイン大国なのです。
イタリアは全土にわたって気候がよく、ワイン用のブドウ生産に適しているため、各地方に自慢のワイン銘柄があります。数多いイタリアワインの産地の中でも特に有名なのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方ではないでしょうか。温暖な気候を生かして、トスカーナではさまざまなワインがつくられています。
今回、その中でも特に有名な産地の一つ・キャンティ地方のとあるワイナリーにお邪魔してきました。フィレンツェから車で1時間ほど。広大なブドウ畑が広がる中に、ワイナリーの建物が見えてきました。

ワイナリーの所有する畑がはるか彼方まで続いていました
案内してくださった方によると、ここは非常に歴史のあるワイナリーで、570年以上もの伝統を誇っているそうです。キャンティ地方だけでなく、イタリア国内に別のブドウ畑を所有しており、気候の違いにより異なった味わいのワインをつくっているのだと教えてもらいました。
ブドウ畑を案内してもらったとき、ワイナリーの方が「向こうにシエナの町が見えます」と言いました。目を凝らすと、ブドウの葉の緑のはるか向こうに、町らしきものが見えました。

左上の方にうっすらと見える建物がシエナ市街だそうです
キャンティ地方のワインの中でも産地など厳しく定められた条件を満たした特別なものは「キャンティ・クラシコ」を名乗ることができます。このキャンティ・クラシコのシンボルとなっているのがガッロ・ネーロ(黒い雄鶏)。このマークの由来に深く関わっているのがこのワイナリーのある土地なのだそうです。
時は中世。イタリアの各都市がそれぞれ別々の国だった頃、隣国同士だったフィレンツェとシエナは領土を争っていました。あるとき、2つの町はこんな取り決めをします。「それぞれの町の騎士が一番鶏が鳴くと同時にスタートして相手の町を目指し、2人が出会ったところを領土の境界線とする」。そこでフィレンツェ側は一計を案じました。用意した黒い雄鶏にわざと餌を与えず、お腹をすかせるようにしておいたのです。果たしてフィレンツェの雄鶏は夜明け前に空腹に耐え切れず鳴き始めました。おかげでフィレンツェの騎士はシエナの騎士を大きくリードし、なんと2人が出会ったのは町並みが向こうに見えるほどシエナに近い、このワイナリーが立つ土地だったとか。このエピソードが元になり、キャンティ地方では現在、黒い雄鶏を最上級のワインのシンボルとして使っているわけです。

シエナとフィレンツェを結ぶ街道沿いにあります

ワイナリーの中には古代ローマ時代からあるという古い街道が走っていました。もしかしたら、シエナの騎士はこのへんの石畳の上で地団駄踏んで悔しがったかも・・・。
ワイナリーでは貯蔵庫も見学してきました。案内してくださった方いわく、「昔はとにかくたくさんつくることが重要だったが、今は量は少なくても品質の良いものをつくることにこだわっています」とのこと。それに合わせて使用している樽も大きさを変えたりしているそうです。500年以上続くところでも、時代に合わせてスタイルを変えているのだなあと感心。

見学用コースにあった樽
さて、いよいよ試飲です。イタリアには、サン・ジョヴェーゼなど長い歴史を持つイタリア独特の品種のブドウがたくさんあります。それだけでなくカベルネ・ソーヴィニョンとかメルローといった、フランスワインでおなじみの品種も栽培されており、さまざまな個性を持つワインが生み出されているそうです。私も、ワインに詳しい同僚の隣に座ってみようみまねでテイスティング。じっくり見て、香りを感じて、味わうと、同じワイナリーでつくられたと言ってもそれぞれのワインがとても個性的なものに感じられます。

個性豊かなワインのテイスティングは楽しいですね
長い伝統と新しい取り組み。イタリアワインは相反することを両立させて、まだ進化を続けているんだなあと感じた、ワイナリーでの時間でした。
ブドウといえば、ブドウの収穫の時期によくつくられる、こんなお菓子があります。


スキャッチャータ・コン・ウーヴァといいます。スキャッチャータというのはフォカッチャを潰したもの。ウーヴァはブドウのこと(コンは英語で言えばwithに当たります)。生地の中にブドウがたーっぷりつまったものなんです。

こんな感じのブドウでつくるそうです。
材料もパン生地に砂糖、ブドウ、オリーブオイルなどと、いたってシンプル。でも、しっとりとした食感とブドウのおいしさを存分に楽しめる伝統菓子です。ブドウの産地らしい、そして旬の味覚に恵まれたトスカーナらしいお菓子ですね。
2007年10月17日
フィレンツェ探訪 第9回 「百塔の町」サン・ジミニャーノ
ずっと前、たぶん学生時代だったと思いますが、夜中にテレビでやっていたイタリアの番組を見て感動したことが何度かありました。今でも鮮烈に覚えているのがシエナで行われる「パリオ」という競馬のお祭り。なにしろ、ほとんど“暴れ馬”に近い馬に猛者ぞろいの騎手が乗り、町の中の狭い広場を猛スピードで駆け抜けるという、すごい祭りだったからです。それからもう1つが町中にたくさんの塔がそびえるサン・ジミニャーノという町のこと。狭い中世の町並みの中に何本もの塔が建っている、不思議な景観の町なのです。今回、そのサン・ジミニャーノを訪れることができました。

サン・ジミニャーノの歴史地区はフィレンツェ中心部同様、世界遺産に登録されています。町は城壁で囲まれており、フィレンツェと違ってその城壁もしっかり残っています。街並みも建物の屋根にテレビアンテナがついていること以外はほとんど昔のままで、ある意味フィレンツェ以上に時間を超えて中世にやってきたような気分になるところでした。

イタリアの2ユーロに肖像が描かれているあのダンテも、サン・ジミニャーノにフィレンツェの大使としてやってきたことがあるそうです。
この町では13世紀、町の貴族たちは教皇派と皇帝派の2派に分かれて争っていました。その中で一番の権力を握ったものは高い高い塔を建てました。塔は権力の象徴とされており、彼らは競ってより高い塔を建てようとしたのです。最盛期には狭い町の中に70以上の塔があったと伝えられています。長い歴史の中で多くの塔は失われてしまいましたが、今現在も14の塔が残っています。

その中でも、市庁舎として使われていたポポロ宮殿にある塔は最も高い高さ54mを誇ります。観光客が立ち入ることができるのはこの塔だけなので、せっかくですから上まで上ってみました。

塔の中身はがらんどうに近くて、まるで巨大なサイロの中を上っているようです。部屋も何もなく、本当に「高くするだけのために作った塔」という感じでした。その中に、非常階段のように下がメッシュになった鉄製の階段が取り付けられています。足下を見ると何十メートル下が透けて見えるので、けっこう怖いです。屋上に出るところだけはハシゴになっています。長い階段を上ってきて疲れたのか、ドイツ語を話す年配の方のグループがはしごの近くで休んでいて、道を譲ってくれました。
屋上に出て感動しました。小さなサン・ジミニャーノの町の赤い屋根が、眼下に円形に広がっています。そしてその向こうには豊かなトスカーナの緑の大地がはるか彼方まで広がっているのです。そのコントラストが鮮やかで、言葉が出ませんでした。

反対側に回ると隣の塔がすぐそこに見えます。塔の屋根では鳥たちが羽を休ませていました。

赤い屋根の下にある街路も上から見るとわずかに蛇行していて、城壁に囲まれた石造りの建物が密集したこの町が、不思議と人工的なものに見えなかったのでした。

この町には、世界チャンピオンに輝いたジェラート屋さんがあります。イタリアでジェラートを食べると、どこへ行っても美味しいんですが、やっぱり世界チャンピオンの店のものも美味しかったです。しかも、親切なことにメニュー表は全部日本語訳付き。

カップやコーンを大きさ別に選ぶこともできます。私は2ユーロのカップに2種類のフレーバーを入れて食べたのですが、どちらも素晴らしい!あまりに気に入ったので、帰りがけにもう一度2ユーロのカップで別なフレーバーを試してみてしまったのでした。
2007年10月12日
フィレンツェ探訪 第8回 ヴェッキオ宮殿
フィレンツェ中心部のシニョーリア広場には、ヴェッキオ宮殿という建物があります。かつて、フィレンツェ市の庁舎として14世紀に建てられました。なんと、この建物は今でもフィレンツェの市庁舎として使われているのだそうです!ポンテ・ヴェッキオのところでお話した「ヴァザーリの回廊」は、このヴェッキオ宮殿から約1キロ先のピッティ宮殿までつながっています。

遠くからも見える高さ94mの塔が目印

宮殿があるのはフィレンツェの政治・社会の中心地・シニョーリア広場

大変重厚感のある建物です。
この建物には「五百人の広間」という大会議室があり、ヴァザーリの回廊を設計したジョルジョ・ヴァザーリの壁画が描かれているのですが、ここは当初の計画では一方の壁にレオナルド・ダ・ヴィンチが、反対側の壁にミケランジェロが壁画を描く予定でした。結局、2人とも制作途中でフィレンツェからは離れなければならなくなり、未完に終わってしまったのですが、もし完成していたらどんな絵になっていたんでしょうね。
その代わりというわけでもないんでしょうが、ヴェッキオ宮殿の外壁にはミケランジェロ作と言われている落書きならぬ「落彫り」が残っています。

これがミケランジェロ作と言われる顔
ヴェッキオ宮殿の近くにいたミケランジェロが、広場を行く1人の男を見て創作意欲をかきたてられ、誰にも気づかれないよう後ろ手にヴェッキオ宮殿の壁に彫ったのがこの顔だという伝説があるそうです。フィレンツェでは立派な美術館に収められた作品だけでなく、観光客が絶えず往来するところにある、こんなところにも巨匠の面影が残ります。ルネサンスを代表する偉人が、まるでさっきまですぐそこにいたかのような錯覚さえ感じさせるところが、フィレンツェのすごいところですね。
ちなみに、社会科の教科書でもおなじみのミケランジェロ作「ダビデ像」は、フィレンツェのアカデミア博物館に収蔵されています。もともと、この像はヴェッキオ宮殿の入り口脇に置かれていたのですが、現在はもとあった位置にレプリカが置かれています。

1910年に置かれたレプリカのダビデ像
2007年10月09日
フィレンツェ探訪 第7回 サン・ロレンツォ中央市場
フィレンツェはイタリア中部・トスカーナ州の州都です。トスカーナ地方は豊かな農業地帯を抱え、食べ物の非常においしい地方としても知られています。
そんなフィレンツェの台所とでも呼ぶべき場所がサン・ロレンツォ中央市場。この建物は、ミラノのドゥオーモ広場とスカラ座の間を結ぶヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアで知られる建築家・ジュゼッペ・メンゴーニの手によるものです。

ものすごく大きな建物です
2階建ての大きな市場の1階部分には肉やチーズ、魚などを売るお店が並び、2階には野菜がたくさん並んでいます。まずは1階部分を探検してみました。
肉屋さんは豪快に商品を天井から吊るして販売。
「ペコリーノチーズ キロ12.9ユーロ」
魚もたくさんありました。この後、ウツボらしきものも見つけてびっくり
見ているだけでもとてもおいしそう!日本だと「100グラムあたり何円」ですが、ここでは「1キロあたり何ユーロ」で値段がつけられています。珍しいものを探してウロウロしていると、不意に「何かお探しですか?」と日本語で話し掛けられました。場所柄もあって観光客の姿がとても多いところなので、お店には日本人のスタッフの方がいらっしゃるところも珍しくありません。
2階には野菜がたくさんありました。イタリア料理でもお馴染みのナスやトマトのほか、リンゴ(「FUJI」もありました)などの果物も豊富。そしてイタリアでよく使われるキノコのポルチーニもたくさん売られていました。ポルチーニもトマトも、生のものだけでなく乾燥させたものがたくさんありましたよ。
立派なナスです
リンゴも種類が豊富
お客さんとお店の人の威勢のいい掛け合いが高い天井に響きます
ちょっとお腹が空いたので、市場の中にある「ネルボーネ」という食堂に行ってみました。ここはなんと創業1872年(!)という老舗。観光客の方も、地元の人も大勢集まってきます。
こちらがネルボーネ
メニューらしきものを見つけられず、右往左往していたら、隣にいたイタリア人の青年が自分の食べているパニーノを指差して「これが美味いぞ」と教えてくれました。「それ、なんていう名前ですか?」と聞くと、「パニーノ・ランプレドットだよ」とのこと。さっそく、お店のおじさんに「僕にもこれをください!」と注文してみました。
いわゆる牛のホルモンらしいことは分かったのですが、肝心のランプレドットというのが何なのか分からないまま、食べてみました。塩味ベースのシンプルな味付けなんですが、これが意外とあっさりしていて美味しかったです。後で調べたら、牛の4つある胃袋のうち4番目の胃に当たる部分で、焼肉店風にいうと「ギアラ」にあたるそうです。
ちなみに、市場の周りは土産物のTシャツやら革製品やら絵葉書などを売る屋台が立ち並び、ちょうど上野のアメ横を思い出させるような活気がありました。
お店の人たちもとても気さくでした
この屋台の中にも「ホルモン」のパニーノを出しているところがありまして、こっちもかなりの人気でしたよ!
こちらは屋台のパニーノ
2007年10月05日
フィレンツェ探訪 第6回 ミケランジェロ広場
ある日の夕方、市内を一望できるミケランジェロ広場を目指して、せっかくだから歩いて行ってみようということになりました。市内中心部からは小一時間ほどの距離です。
ミケランジェロ広場は町外れの小高い丘の上にあります。うっそうと茂る林の向こうから、次第にフィレンツェの街並みが見えてきました。

フィレンツェの町並み

ミケランジェロ広場から見たドゥオーモ
ドゥオーモはあまりに大きすぎて、近くからでは全体像が見えなかったのですが、ここからならクーポラ(ドーム)の雰囲気も、何もかもが見えてきます。そして、徐々に日が傾き、アルノ川に夕陽が映し出されはじめました。

夕方のミケランジェロ広場は、見下ろす町の色が刻一刻とうつり変わり、とてもきれいでした!
ところで、フィレンツェはその昔、外敵からの守りを固めるために町全体を城壁で囲んでいたのですが、現在はその城壁のほとんどが取り払われ、旧市街を一周する環状道路に姿を変えています。その城壁の数少ない名残の一つがこのミケランジェロ広場の下にあります。

サン・ニッコロ門と言って、1324年にフィレンツェの城壁の一部として築かれた門です。フィレンツェの城門の中では新しい方で、建造当初の高さを保っているのはこれだけだということで、近くに行くと見上げる高さです。この門は夕方になるとライトアップされ、とても風情のある姿を見せてくれました。


2007年09月28日
フィレンツェ探訪 第5回 ポンテ・ヴェッキオ
フィレンツェは中世に栄えた町ですから、意外とコンパクトにできています。道も狭いので、歩いて回るのにちょうどいい大きさだといえるでしょう。
町の中心部にはアルノ川という川が流れています。この川には何本もの橋がかかっているのですが、中でも最も有名なのがポンテ・ヴェッキオという橋。日本語にすると「古い橋」という意味になります。その名の通り、1345年に建造された、フィレンツェでも最も古い橋です。ポンテ・ヴェッキオ以外の橋は第2次世界大戦の時に破壊され、後に再建されたので、フィレンツェでも際立って古い橋ということになります。

ポンテ・ヴェッキオ
この橋、橋の上に建物が建っていることで有名です。建物はほとんどが貴金属店で、橋の上はショーウインドーを覗き込む市民や町を行き来する観光客らでごった返しています。

昼も夜も無く大混雑

貴金属店がたくさん軒を並べています
建物の2階部分には「ヴァザーリの回廊」という通路があります。このシリーズの中でも何度か登場した16世紀の建築家・ジョルジョ・ヴァザーリがメディチ家から命じられて作った回廊です。メディチ家の人々は、暗殺を避けるために住まいのピッティ宮殿から川を挟んだフィレンツェ市の庁舎(現ウフィツィ美術館)まで歩いていける専用の通路を設けたのです。その、ヴァザーリの回廊の川を渡る部分がポンテ・ヴェッキオの上を通っているというわけです。

上にある廊下のようなものが「ヴァザーリの回廊」
ポンテ・ヴェッキオを後にして、アルノ川の岸辺を歩いてみました。観光客の方が本当に大勢歩いています。

アルノ川の岸でのんびりする人たち

夕陽を受け、金色に染まるアルノ川

なぜかアルノ川の川原にたくさん集まっていたフェラーリ軍団
2007年09月21日
フィレンツェ探訪 第4回 天才たちのフィレンツェ(ウフィツィ美術館、サンタ・クローチェ教会)
フィレンツェの観光地としてもう一つ、忘れてはいけないのがウフィツィ美術館。フィレンツェの官庁の合同庁舎として建てられた建物が、現在は美術館として使われています。この美術館、何がすごいといえば収蔵されている美術品の数々!社会の教科書で有名なボッティチェリの「春」「ヴィーナスの誕生」をはじめ、次の展示室に歩いていくたびにミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロなどなど、超有名な作品がこれでもかこれでもかと現れます。これはすごい!
ウフィッツィ美術館。一部改装中でした。
レオナルド・ダ・ヴィンチはじめ、多くの偉人たちの像が見学者を迎えます
残念ながら内部は撮影禁止だったのですが、たとえばこんなところにもウフィツィ美術館の収蔵作品を見ることができます。

イタリアで発行されている10セント硬貨
ユーロ硬貨は加盟各国で裏面のデザインが違うのですが、イタリア版の10セント硬貨にはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」が使われています。
このほかに、トスカーナ大公の邸宅だったピッティ宮殿にあるパラティーナ美術館というところにも、ラファエロの「小椅子の聖母」をはじめとする素晴らしい作品がところ狭しと展示されていましたし、町中が美術館という言い方が本当にぴったりでした。フィンレンツェは、本当に多くの才能を引き寄せる土地だったようです。
パラティーナ美術館のあるピッティ宮殿
その名残がはっきり分かるのが、市内にあるサンタ・クローチェ教会。こちらはフランチェスコ修道会が建てた教会で、内部には教科書で見た記憶のある著名人の墓所や記念碑がたくさん並んでいます。
サンタ・クローチェ教会
天文学者・物理学者として有名なガリレオ・ガリレイの墓碑
「君主論」で知られるマキャヴェッリの墓碑
オペラ「セビリアの理髪師」などを作曲したロッシーニの墓碑
そしてミケランジェロの墓碑
本当に、フィレンツェという町の真のすごさを見せ付けられるような場所でした。
2007年09月14日
フィレンツェ探訪 第3回 フィレンツェのドゥオーモ<後>
フィレンツェのドゥオーモは、クーポラ(ドーム)の上にのぼることができます。以前、ミラノのドゥオーモの屋上まで上った際は階段かエレベーターかを選ぶことができたのですが(もちろんエレベーター)、フィレンツェのドゥオーモは階段のみ!頂上まで長い長い道のりです。
「463段 ― エレベーターはございません」
階段入り口
狭い階段は往復兼用。降りてくる人と道を譲り合いながら頂上を目指します。ところどころにある小さな窓から見えるフィレンツェの景色が、徐々に遠くまで見渡せるようになってきました。
途中まで上ると、クーポラの内側に出ました。天井の内側に描かれた絵がよく見えます。この絵はフィレンツェのウフィッツィ宮殿などの設計で知られるジョルジョ・ヴァザーリらによって描かれた「最後の審判」です。地上の高さから見たときと違って、細かいところまで良く見えますし、迫力もけた違い。
さて、また薄暗い通路に戻って、さらに上を目指します。急な階段がだんだん堪えるようになってきて、私や一緒に上った同僚は、だんだん無口になってきます。「ここ狭いから、空気、薄い気がしませんか?」と後ろに問いかけると「ホントですね」と、弱々しい返事が戻ってきました。そうこうしていると、向こうのほうに光が差し込んでくるのが見えました。いよいよ頂上です!
クーポラの曲面を上から見下ろしたところ
ドゥオーモの頂上からはフィレンツェの街並みが一望にできました。周りは山に囲まれていて、「フィレンツェは盆地なんだなあ」ということがよく分かります。足下には建物の赤い屋根がずーっと向こうまで広がっていて、絵に描いた町のようでした。高校のころ、世界史の先生が「フィレンツェに行ったら、ドゥオーモにはぜひ上ってみてほしい。あんなに素晴らしい景色は他では見られない」と話していたのを思い出します。上るのが大変だった分、上からの景色は最高でした。
ピッティ宮
ヴェッキオ宮殿
帰りは、ぐったりした表情で上ってくる人に道をゆずりながらゆっくりと地上を目指しました。すれ違う人たちの話す言葉も、イタリア語、日本語、スペイン語、英語とインターナショナル。すると、疲れてしゃがみこんでいたアメリカ人らしき男性に「もうすぐ頂上ですか?」と聞かれ「はい」と答えると、疲れた顔をしながらも立ち上がって、また上り始めていました。頑張れ!
地上に降りて、さきほど上ったばかりのクーポラの上をカメラの望遠レンズで見上げると、大勢の人がさっき私がしていたように地上を指差して何か話し合ったり、写真をとったりしているのが見えました。建造当初はきっと、こんなに高い建物はイタリア中を探したって珍しかったでしょう。建築に携わった人たちは、どんな気持ちでフィレンツェの町を見下ろしたんだろうなあと考えながら、ドゥオーモを後にしました。
2007年09月07日
フィレンツェ探訪 第2回 フィレンツェのドゥオーモ<前>
イタリアの町にはそれぞれの町にとっていちばん重要な教会があり、「ドゥオーモ」(duomo)と呼ばれます。フィレンツェは歴史ある町らしく、とてもたくさんの立派な教会があるのですが、その中でもやはりドゥオーモは町のシンボルとして日本でも有名です。
正式な名前は「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」といいます。日本語訳すると「花の聖母マリア大聖堂」。白い大理石でつくられた外壁と、大きなクーポラ(ドーム)が特徴です。
フィレンツェのドゥオーモは1296年に着工し、100年以上かけてつくられました。大聖堂の周りにはジョットの鐘楼と呼ばれる塔と、サン・ジョヴァンニ洗礼堂という建物があります。ジョットはルネサンスのさきがけとなった画家で、建築家としてもとても優れた人だったため、鐘楼の建築に携わったそうです。また、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉はギベルティという彫刻家によって作られましたが、あまりに素晴らしい出来栄えだったために、ミケランジェロが「天国の門」と呼んだことで知られています。
そしてドゥオーモの特徴である大きなクーポラは、そのギベルティと洗礼堂の扉の製作者を決めるコンクールで争い、惜しくも敗れたブルネレスキという人の作品。当時の技術力では高く、巨大なクーポラをかけるのは不可能とまで言われていたそうですが、ブルネレスキは独創的なアイデアを考え出し、同じくギベルティらと争ったクーポラの設計を勝ち取り、扉のコンクールの雪辱を果たしたのだそうです。彼らがしのぎを削ったコンクールは、ルネサンスの始まりを象徴する出来事として語られています。
さすがに、ドゥオーモ周辺は観光客でごった返していました。ちなみに、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の「天国の門」はレプリカです。ギベルティが作った本物の「天国の門」と、ドゥオーモから取り外された外壁の装飾などは、風雨による劣化を防ぐためにドゥオーモの裏手にある大聖堂付属博物館に収蔵されています。こちらも必見!
これが本物のギベルティの作品
ちなみに、大聖堂付属博物館には、ミケランジェロ作の「ピエタ」像のうちの一つも展示されています。
さて、ミラノを訪問したときにはドゥオーモの上に上ってきたのですが、フィレンツェのドゥオーモもクーポラの上まで上がることができます。もちろん、今回も上まで行ってきたのですが・・・。その様子はまた次回のお楽しみに。
2007年09月05日
フィレンツェ探訪 第1回 文化の花咲く町・フィレンツェ
先日、イタリア中部の町フィレンツェを訪問しましたので、その様子をご紹介していきたいと思います。
小学館「伊和中辞典」を引くと、フィレンツェは別名Citta del fiore、つまり「花の都」とも呼ばれるとあります。古代ローマ時代につくられたこの町は、ローマ神話の花の女神フローラの名前を取って「フロレンティア」と呼ばれました。これが現在の町の名前の由来となったということです。

どこを歩いても中世そのままの街並みが続くフィレンツェ中心部
フィレンツェは古代からの長い歴史を持つ町ですが、中でも最も華々しく輝く時代がルネサンスのころです。14世紀から16世紀にかけて、イタリアから全ヨーロッパに広がっていったルネサンスの中心地の一つがフィレンツェだったのです。ちょうどこのころフィレンツェの町にはメディチ家という銀行業で財を成した一族が実権を握り、彼らの下に多くの芸術家や建築家たちがやって来て、素晴らしい作品を残しました。

フィレンツェ市の市章は百合の紋章ですが、これはもともとメディチ家の紋章だったものです。財政難に陥ったフランス王家を助けたことで、フランス王室の紋章である百合の紋章を使うことを許されたのだといいます。上の写真は街路灯のメーター?のふたについていたもの。
さて、そのフィレンツェに生まれ、ルネサンスのさきがけとなったのが「神曲」で有名な詩人ダンテです。イタリアの公用語はもちろんイタリア語ですが、イタリアは大変方言の多い国で、各地方ごとに大きく異なる言葉を話す地域です。その中で、標準語として話されている言葉のベースになっているのがフィレンツェを州都とするトスカーナ地方の方言なのだそうです。なぜトスカーナ地方の方言が標準語となったかというと、ルネサンスの文学者たちが、特にダンテがトスカーナ方言で作品を残したからだと言われています。

また、メディチ家からフランス王家に嫁ぎ、大きな権勢を振るったカトリーヌ・ド・メディシスという人は、イタリアからフランスへ、さまざまなお菓子や料理、そしてフォークとナイフで食事をするというマナーを伝えたといわれています。まさにフィレンツェはヨーロッパ文化の最先端をいく町だったんですね。
世界遺産に指定されている市内中心部は「屋根の無い博物館」と言われるほどで、町を歩くだけでもルネサンスのころの熱い雰囲気を感じられそうです。このブログでは、フィレンツェや近郊の町の風情をお伝えしていきます。お楽しみに!
2007年07月13日
スウェーデン出張記 第9回 ノーベル賞
スウェーデンと言えば、ノーベル賞。ダイナマイトの発明者であるアルフレッド・ノーベルが提唱し、物理学、化学、生理学・医学、文学、平和の5部門と、スウェーデン国立銀行が1968年に設立した経済学賞をあわせた6つの賞が一般に「ノーベル賞」と呼ばれています。
ノーベルはダイナマイトの発明者として知られており、また事業にも成功していたため巨額の財産を築きました。ノーベルはこの遺産を使って学術に大きく貢献した人を表彰するように遺言しました。1901年に表彰された最初の受賞者にはX線の発見で知られるレントゲン(物理学賞)、日本人の北里柴三郎と共に血清療法を開発したベーリング(生理学・医学賞)、赤十字を創設したアンリ・デュナン(平和賞)といった歴史的な人物たちがずらりと並んでいます。日本人も1949年に湯川秀樹(物理学賞)が初めて受賞して以来、各部門で受賞者を出しています。2002年にはニュートリノ研究の第一人者として知られる小柴昌俊博士(物理学賞)と、民間企業の研究者として研究を続ける中での受賞が大きな話題になった田中耕一さん(化学賞)が同時受賞しました。
選考の結果、ノーベル賞に選ばれた人は、平和賞を除く5部門がストックホルムのコンサートホールで表彰されます。平和賞だけはノルウェーのオスロで表彰式が行われます。

ストックホルムのコンサートホール
この後、受賞者たちは市庁舎で開催される受賞祝賀晩餐会にも出席します。

こちらが晩餐会の行われる市庁舎内のブルーホール。ホール内のずっと高いところにある窓から採光しているので、とても明るいですね。

こちらは同じく市庁舎内の「黄金の間」。なんと、壁面が金箔のモザイクで埋め尽くされています!受賞パーティーではここで舞踏会が催されるそうです。


と、いうわけで年末のスウェーデンには毎年、世界中の高名な科学者たちがやって来ます。スウェーデンは大学や研究施設も充実していますし、学問にゆかりの深いお国柄なんですね。
2007年07月06日
スウェーデン出張記 第8回 ストックホルムの町の風景
日本はもうすぐ暑い夏を迎えます。北海道は暑いといっても摂氏30度以上の真夏日になる日もそれほど多いわけではないのでまだ楽ですが、本州や南日本の暑い地方にお住まいの方にとっては、夏は大変な季節だと思います。
北欧・スウェーデンの人々にとっては、逆に夏の暑さや日差しが貴重なもののようす。ロイズのスタッフがスウェーデンを訪れたのはまさに夏至祭が行われていたころですから、6月の下旬だったのですが、スウェーデンでは短い夏の日差しをとにかくたくさん浴びようとでもいうように、涼しげな格好をしている人が多かったそうです。

また、スウェーデンの首都・ストックホルムは、たくさんの島を橋でつないでできているため「北欧のヴェネツィア」などとも呼ばれています。建物も北欧らしくシンプルで、それでいて洗練されたものが多くて、全体の風景もとてもスッキリしていてきれいでした。爽やかなストックホルムの風情をお楽しみください。





2007年06月26日
スウェーデン出張記 第7回 テオブロマ・カカオの名付け親
この連載の第2回でも触れましたが、スウェーデンはチョコレートの原料・カカオと切っても切れない関係にある偉人を出した国でもあります。
カカオの学名は「テオブロマ・カカオ」といいます。これはラテン語で、「神様の食べ物」といった意味になるそうです。この名付け親となったのがスウェーデンの科学者で、現在、広く使われている「学名」という考え方の基礎をつくったリンネ(1707-1778)という人物です。リンネは、当時知られていたさまざまな生き物を分類する試みをし、その分類の方法も確立したのです。
彼の業績は、現在でもスウェーデン国内はもちろん世界中から称えられています。特に、母国スウェーデンではあちこちで彼の名前を見かけます。スウェーデンの通貨は「クローナ」ですが、100クローナ紙幣にリンネの肖像を印刷されているほどです。

リンネ博物館のあるウプサラ市内にはこういうカフェもあります。
ウプサラにはリンネ博物館もあるのですが、ロイズのスタッフが訪れたときにはちょうど改修中で、公開していなかったそうです。残念!その代わり、18世紀にリンネが自らの考えに基づいてアレンジした時の状態に保たれている併設の植物園は開園中で、1,300種類もの植物が迎えてくれました。

植物園の様子
今年はちょうどリンネ生誕300年にあたることから、スウェーデンの国内外でさまざまな催しや式典が行われています。5月には前回ご紹介したウプサラ大聖堂で生誕を祝う式典が行われ、日本の天皇・皇后両陛下やスウェーデンのグスタフ国王らが、聖堂内にあるリンネの墓碑に献花をしました。
ウプサラ大聖堂にあるリンネの墓碑
世界の科学の発展の礎を築いたリンネの業績は、今でも色あせることなく語り継がれているのです。
2007年06月22日
スウェーデン出張記 第6回 ウプサラとグスタフ・ヴァーサ王
ストックホルムの少し北にあるウプサラという町は、北欧最大のキリスト教会であるウプサラ大聖堂や、北欧最古のウプサラ大学があることで知られている町です。人口は約13万人程度と、日本の感覚で言うとさほど大きくはありませんが、スウェーデンでは4番目に大きな町です。
静かなウプサラの町の風景
ウプサラ大聖堂は高さ118.7m。尖塔が特徴的なゴシック様式の教会です。13世紀後半に建設がはじまり、実に1世紀以上の時間を掛けて、1435年に完成しました。18世紀初頭には火災に遭い、改修を受けて現在にいたっています。
町中どこからでも見通せるほど大きなウプサラ大聖堂
ヨーロッパの町の中心にある教会は、大きな広場を伴って、建物自体も装飾がたくさんほどこされていて荘厳なものが多いですが、このウプサラ大聖堂は町の中心部の小さな丘に建っていて、なんだか身近なものに感じられるものだったそうです。
聖堂の内部
聖堂にはヴァーサ王朝を開いたグスタフ・ヴァーサ王らが埋葬されています。スウェーデンは1397年にデンマーク・ノルウェーの両国とカルマル同盟を結び、盟主デンマークの支配下に置かれていましたが、独立の機運が高まり、1520年、ついにグスタフ・ヴァーサ王らが蜂起して独立戦争が勃発しました。この戦争の結果、1523年に独立したスウェーデンは、17世紀にかけてバルト海に覇権を唱える大国へと成長していくのです。
この戦いに先立ち、ヴァーサ王はスウェーデン各地の人々に自立のために立ち上がることを呼びかけました。王が向かった先の1つが、屈強で意志の強い人々が住むことで知られ、先日ご紹介した当別町の姉妹都市・レクサンド市があるダーラナ地方。王は町の人々に協力を求めましたが、人々が答えを出す前にデンマーク勢の追っ手が迫り、王は町を離れざるを得なくなりました。
しかし数日後、町の人々はヴァーサ王に協力することを決意。町で一番スキーの上手い2人がヴァーサ王を追いかけることになりました。スキーを飛ばしに飛ばし、2人はついにヴァーサ王に追いつきました。スウェーデンの民衆は、こうして王と共に独立のために立ち上がったのです。
これを記念して1922年から、2人が駆け抜けたセーレンとムーラという2つの町の間を走るクロスカントリースキーの大会「ヴァーサ・ロペット」が開かれています。セーレンとムーラの間はなんと90kmもあるので、世界でも有数の長距離レースです。北欧ではノルディックスキーがさかんなので、この大会には1万人以上もの人が参加するそうですよ!日本でも、これにならって同じ名前を冠した大会が北海道でも毎年開かれています。
ウプサラといえば、ウプサラ大学の方も1477年に創立された歴史ある大学です。卒業生の名前を見ても、以前、ブログで紹介したリンネやセルシウスのほか、光の波長などを表す時に使われる単位「オングストローム」にその名を残す物理学者・アンデルス・オングストロームをはじめ、そうそうたる顔ぶれ。ノーベル賞受賞者も、なんと8人も輩出しているという超名門です。ウプサラを訪れたロイズのスタッフによると、学生街らしく市内にはあちこちに自転車がたくさん停められているのを見かけたそうです。
このウプサラの町には、リンネの業績を記念した様々なものがあるのですが、それはまた次回のお楽しみに。
2007年06月15日
スウェーデン出張記 第5回 スウェーデンのコーヒーブレイク
スウェーデンには「フィーカ」という習慣があります。フィーカとは身近な人同士でお菓子などをつまみながらコーヒーを飲むことで、スウェーデンの人々の大きな楽しみになっています。

フィーカはスウェーデンの人々にはとても大切な習慣で、コーヒーを囲みながら仲の良い人たちと一緒にゆっくり話す時間は、何物にも替えがたいものとなっているようです。おいしいコーヒーとお菓子があれば、みんなと楽しむおしゃべりの時間も、より楽しくなりそうですよね。ちなみに、スウェーデンの人々の、1人あたりの年間コーヒー消費量は世界でもトップクラスなんだそうです。
私たち日本人もたまには「フィーカ」を楽しんでみませんか?個人的に、これはとっても豊かな時間の使い方だと思います。「ちょっと疲れたなー」という時にコーヒーの香りでリラックスできたら、一日元気で過ごせそうですよね。
ロイズではバランスの取れた豊かな香りと味の「カフェロイズ オリジナルコーヒー」シリーズのほか、おいしい焼き菓子などもたくさんご用意しています。今なら、ちょうど開催中のスウェーデンフェアシリーズの中から「ロイズ クッコスボル」がオススメですよ!

ココナッツ、オートミール、ココアパウダーをミックスしたお菓子ですが、ロイズならではのアレンジとしてサクッとした食感に焼き上げています。ちょっとしたおやつの時間にちょうどいいお菓子なので、ぜひe-shopからお買い求めください!
<<第4回 ダーラヘスト(ダーラナホース) スウェーデン出張記
2007年06月08日
スウェーデン出張記 第4回 ダーラヘスト(ダーラナホース)
スウェーデンフェアの商品のパッケージを見ると、スウェーデン国旗の鮮やかなブルーとイエローの地に、かわいい馬の模様が描かれているのが分かると思います。

どの商品にもこういう馬が描かれています
この馬は、スウェーデンの伝統工芸品「ダーラヘスト」をイメージしたものです。英語読みだと「ダーラナホース」となります。ロイズふと美工場のある北海道当別町の姉妹都市・レクサンド市があるダーラナ地方でつくられることからこの名で呼ばれています。
実物はこのように、赤や黄色、白などの鮮やかな色に塗られています。

ダーラナ地方の人々にとって、馬は暮らしに欠かせない動物でした。今のようにトラックもない時代、馬は森で切り倒した木材を人里に運び出す大切な労働力でもあり、生活を共にする家族でもありました。人々は木材の切れ端を削って大切な友達である馬の形をつくり、おもちゃとして子どもたちに与えていたのでしょう。

こんなに大きなものも
やがて、ダーラナホースは工芸品としての価値を認められるようになりました。ダーラナホースはスウェーデン各地や国外でも珍重され、今ではダーラナ地方、あるいはスウェーデンという国全体の一つのシンボルとされるようになりました。
素朴でかわいらしいダーラナホースは、「幸運を運んでくれる」とされて日本でも人気があり、各地の雑貨店などで見かけることができます。今回のスウェーデンフェアでは全商品のパッケージにダーラナホースをデザインしているほか、「ロイズ ヴォドカプラリーネ」の表面にもダーラナホースをデザインしています。手作り感たっぷりで、どこかほっとするような姿のダーラナホースは、見た目は素朴だけれど、食べるほどにおいしさが広がるスウェーデンフェアのお菓子によく似合うと思います。
<<第3回 夏至祭 スウェーデン出張記 第5回 スウェーデンのコーヒーブレイク>>
2007年06月01日
スウェーデン出張記 第3回 夏至祭
スウェーデンの人々にとって、一番重要なお祭りは、毎年6月下旬に行われる「夏至祭」と呼ばれるものです。もともと北欧の各国や、ドイツをはじめとするゲルマン系の国々では、生命の源である太陽を崇める風習がありました。人々は1年で最も日の長い夏至を重要な日として祝い、最も日の短くなる冬至もまた生命の復活を願う日としていました。その風習が形を変えながら、現在も夏至祭として祝われているのです(冬至の方は、クリスマスと一体化していったようです)。
夏至祭では町の広場にみんなが集まって、「マイストング」と呼ばれる大きな白樺の柱を草や花で飾りつけて、広場に突き立てることでお祝いをします。柱が立ち上がるとみんなは輪になって踊り、お酒や食べ物を口にするなどして夏至の訪れを祝うのです。

これが「マイストング」。英語で言うとメイポールです。

夏至のころになるとようやく花が咲き、草が生い茂るスウェーデン。人々は緑の季節の訪れを喜ぶ心をマイストングの飾り付けを通して表現します。

マイストングは力自慢の男たちが人の手だけで立ち上げます。大きなマイストングがゆっくり立ち上がっていく様は圧巻。

最後はみんなでマイストングを中心にフォークダンスを踊ります。
ロイズのスタッフが夏至祭の時期のストックホルムを訪れると、祭りの会場には地元の人だけでなく観光客も集まり、大変なにぎわいだったそうです。その代わり、みんなが一斉に休暇を取って休んでしまうので、デパートなどもみんなお休み。町中から人がいなくなった様子を見たスタッフの一人は、「日本の盆休みのようだった」と話していました。
ロイズふと美工場のある北海道石狩郡当別町でも、毎年夏至祭を開いていますが、今年は姉妹都市提携20周年を記念して、例年以上に盛大な夏至祭を催すことになっています。町の人やレクサンドから招待された訪問団のみなさんが民族衣装を着て、マイストングを立ち上げてお祝いするそうです。民族衣装もスウェーデンでは村ごとに違ったデザインになっているそうで、当別ではレクサンド市のものと同じデザインのものを使う予定です。
当別町夏至祭は、6月17日に、当別町スウェーデン交流センターで開催される予定です。お近くの方や、北海道を訪れる予定の方は、ぜひ会場にいらっしゃって、スウェーデンの夏の雰囲気を楽しんでくださいね!
夏至祭会場の地図(左側の+-で拡大・縮小ができます)
<<第2回スウェーデンはどんな国? スウェーデン出張記 第4回ダーラヘスト(ダーラナホース)>>
2007年05月25日
シンガポール出張記 第7回 ドリアン大好き
みなさん、ドリアンはお好きですか?ドリアンは甘みが強く、「果物の王様」なんて呼ばれていますが、なにしろ独特な匂いがしますよね~。きっと、あれが良いと思えるようになるとドリアンの魅力にハマるんでしょうが、私はまだ修行が足りないようで、苦手な食べ物の一つです。日本では、「ドリアンがめちゃくちゃ好きだぁ!」という人にはなかなかお目にかかることができないですよね。
一方、シンガポールの人にとって、ドリアンはとても身近な食べ物なのだそうです。スーパーなどではドリアン1個まるごとだけでなく、食べやすい大きさにカットして白いトレーに載せたものがごく当たり前のように売られていて、街中にはドリアンの屋台が並ぶほどだとか。
ドリアンといえば、シンガポールにはこんな建物もあります。

「エスプラネード」といって、コンサート、オペラなどが上演される芸術施設なのですが、このトゲトゲがついた形はまさしくドリアンそのもの。と、思ったら、やっぱり愛称は「ドリアン」なのだそうです。シンガポール市民の、ドリアンに対する愛情の深さがひしひしと伝わってくるようではありませんか。
ところで、シンガポールといえばごみのポイ捨てなどに非常に厳しく、高額な罰金を科されるということをお聞きになったことがあるかもしれません。シンガポールの地下鉄構内には、禁止事項を書いた掲示がたくさんあります。

列車内や駅構内でタバコを吸ったら罰金1000シンガポールドル(約8万円)。飲食したら500ドル(約4万円)。可燃物を持ち込んだら5000ドル(約40万円!)。噂どおり、厳しいですね~、と写真を眺めていると、掲示の右下に気になる文字が。

No durians(ドリアン禁止)
ええー!ドリアンも禁止?!まあ、たしかに密閉された地下鉄の車内にカットしたドリアンを持ち込まれたら、あのニオイが、もとい、香りが苦手な人はひとたまりもないでしょう。なんか、「禁ドリアンマーク」がかわいいですよね。
それにしても、ドリアンだけ罰金の金額が書いてないのが気になりますね~。
2007年05月24日
スウェーデン出張記 第2回 スウェーデンはどんな国?
スウェーデンといえば、どんなことを思い出しますか?私は最初、「社会科で習った『フィヨルド』ってスウェーデンだったかなあ」と思っていたんですが、調べてみたら、どちらかというとフィヨルドで有名なのはお隣のノルウェー(そもそもフィヨルドはノルウェー語だそうです)でした。

スウェーデンは北欧・スカンジナビア半島の東側、バルト海に面した国です。正式にはスウェーデン王国といいます。日本と同じく立憲君主制をとっていて、現在はカール16世グスタフ国王が王位についています。
首都はストックホルム。湖に浮かぶいくつもの島の上に築かれた町で、まるで水の上に町が建っているように見えるので「北欧のヴェネツィア」とも呼ばれています。
ストックホルムの街並み
スウェーデンといえば、まず思い出されるのがノーベル賞。ノーベル賞は、スウェーデン出身で、ダイナマイトを発明して巨万の富を築いたアルフレッド・ノーベルが、自分の遺産を使って科学や平和に貢献した人を表彰するようにとの遺言をのこしたことがきっかけで創設されました。今もノーベル賞はスウェーデン科学アカデミーなどが選考し、平和賞以外の5部門の授与式はストックホルムで行われます(平和賞はノルウェーのオスロ)。
こうしたこともあって、スウェーデンは多くの優れた人材を生み出している国でもあります。生物学者カール・リンネもその一人。リンネは「分類学の父」とも呼ばれている人で、生物の学名を「属名+種小名」とする「二名法」を考え出した人です(人間はホモ・サピエンス)。また、リンネはカカオの学名である「テオブロマ・カカオ」を考え出した人でもあります。
日本では摂氏温度が使われていますが、これはスウェーデンの天文学者・アンデルス・セルシウスが考案したもの。摂氏という文字も、セルシウスの中国語表記に由来しています。
スウェーデンは産業でも有名です。SAAB(サーブ)やVOLVO(ボルボ)はいずれもスウェーデンで設立されたメーカー。また、日本ではソニーと一緒に設立した「ソニーエリクソン」ブランドで有名なエリクソンや、家具店のIKEA(イケア)もスウェーデン生まれのブランドです。
また、よく言われるように社会保障制度がとてもよく整った国でもあります。高齢者、障がい者福祉や男女平等、環境保全、育児への支援など、スウェーデンでは世界に先駆けてさまざまな施策がとられています。
こうしてみてみると、一見、遠い国だったようなスウェーデンにも、日本との接点がいろいろあるものですね。次回からは、スウェーデンの暮らしや、当別町でも行われているスウェーデン最大のお祭り「夏至祭」にも触れていきたいと思います。
<<第1回 スウェーデン・レクサンド市と当別町は姉妹都市 スウェーデン出張記 第3回 夏至祭>>
2007年05月18日
シンガポール出張記 第6回 シンガポールの夜景
シンガポールは夜景の綺麗な町です。夕方になると市内中心部の近代的な高層ビルの窓や、歴史のある建物のライトアップが一斉に輝きだし、この町を色とりどりに飾り立てます。

これは「オーチャード・ロード」の風景。このあたりはデパートやレストランなども多く、観光客の姿が絶えないエリアです。
ちなみに、オーチャード・ロードにある髙島屋ショッピングセンター内には「ロイズ 髙島屋シンガポール店」もありますので、シンガポールにいらっしゃいましたら、ぜひお立ちよりください!
シンガポール河畔にあるナイトスポットとして有名なクラークキーは、さすがに夜になると華やかです。川面に映る街灯りもきれい!
以前ご紹介したラッフルズプレイス周辺も夜景のきれいなところです。高層ビルが立ち並ぶ方を見ると、こんな感じ。
一方、後ろを振り返ってみると、こちらにも街並の輪郭が闇の中に浮かび上がって見えます。
ちなみに、マーライオンも夜にはライトアップされています。
華やかな街の灯を見つめる後姿に哀愁を漂わせる夜のマーライオン。シンガポールに行ったスタッフは「そんなマーライオンも、朝になったらちゃんと仕事する顔に戻ってますから」と言ってました。うーん、マーライオンって、なんだかサラリーマンみたいですね。
仕事する顔のマーライオン
2007年05月17日
スウェーデン出張記 第1回 スウェーデン・レクサンド市と当別町は姉妹都市
ロイズのふと美工場がある北海道石狩郡当別町は、札幌市のお隣。札幌市北区あいの里地区から石狩川を渡ったところが当別町の太美と呼ばれる地域です。JRの石狩太美駅から車で10分ほどのところには「スウェーデンヒルズ」という住宅地がありまして、スウェーデンの様式で建てられたきれいな住宅がたくさん立ち並んでいます。なぜスウェーデンなのかといいますと、当別町とスウェーデン中部にある人口1万9600人の町・レクサンド市が姉妹都市提携を結んでいるからなのです。
北海道のテレビ局がつくり、大泉洋さんらが出演して北海道外でも人気が出た某テレビ番組の企画に、北海道内の全市町村のカントリーサインが描かれたカードを引いて、どんなに遠くてもそこまで行かなければならないというルールの「カントリーサインの旅」というものがありました。カントリーサインというのは市町村の境界付近の道路に立てられている、自治体名とその自治体を代表するもののイラストが描かれた標識のことで、北海道では全市町村が独自のカントリーサインを持っています。たとえば札幌市なら札幌時計台の絵が、小樽のものには小樽運河、夕張のものにはメロンが描かれているのですが、当別町のカントリーサインはこれ!

スウェーデン風の家
なぜ当別と遠く離れたスウェーデンの町が姉妹都市になったのかを調べてみましたら、当別町の公式サイトに説明が書いてありました。
今から30年近く前、日本の元スウェーデン大使を務められた方が当別にいらっしゃったとき、当別の風景がスウェーデンの首都・ストックホルムに似ているという印象をお持ちになったそうです。その方はスウェーデン国王から「日本とスウェーデンの友好関係を深める足がかりがほしい」と依頼されていたこともあり、当別をスウェーデンに紹介。交流が始まりました。
姉妹都市提携を結んでから、今年はちょうど20周年という節目の年にあたります。ロイズではこれを記念してスウェーデンフェアを開催することになりました。スウェーデンで人気があったり、スウェーデンでよく使われている素材を生かしたお菓子をたくさんご用意しています。ぜひスウェーデンのお菓子を食べて、北欧の風情を感じてみてください!
スウェーデン出張記 第2回 スウェーデンはどんな国?>>
2007年05月11日
シンガポール出張記 第5回 元祖シンガポール・スリング
シンガポールといえば、カクテルに「シンガポール・スリング」というものがありますよね。ジンベースで、チェリーブランデーやレモンジュースなどを使ったきれいなピンク色のカクテルです。あれはきっとシンガポールが発祥の地だからつけられた名前なのに違いない!と考えた私は、社内のシンガポールへ出張するスタッフに「ぜひ元祖シンガポール・スリングを飲んできてほしい」と頼んでおきました。
そしてついにその元祖シンガポール・スリングの写真を入手しました。これが正真正銘、発祥の地・ラッフルズホテルのシンガポール・スリングです!

1杯20シンガポールドル(約1600円)
そもそもシンガポール・スリングは1915年、シンガポールでも最高級の名門・ラッフルズホテル内にある「ロングバー」で誕生したものです。鮮やかなピンク色は、同ホテルを愛用していた文豪・サマセット・モームも絶賛したシンガポール湾の夕景を表現したものだそうです。
ちなみに、テーブルの上にある豆のようなものはサービスの落花生。落花生のカラを床に捨てながらお酒を嗜むのが、この店での作法です。なのでロングバーの店内は、落花生のカーペットを敷き詰めたようにカラがたくさん落ちてるんですって。
しかし、やっぱり元祖シンガポール・スリングは美しいですねー。実際に味わってきたスタッフに感想を聞くと、「日本で飲むものより甘いんですが、後味がとてもさっぱりしてました」と言ってました。

ちなみにこれがラッフルズホテル。世界的にも有名な高級ホテルだけあって威風堂々とした構えです

そしてここがロングバーの入り口
ラッフルズ・ホテルのすぐ近くにあるサンテックシティーモールには、「ロイズ サンテックシティーモール店」があります。お近くにお越しの際には是非お立ちよりください!
2007年05月03日
シンガポール出張記 第4回 マーライオン
シンガポールと言えば有名なのがマーライオン。ライオンの頭と魚のような体を持ち、波の上に乗ったなんとも不思議な生き物の姿をしているマーライオンが口から大量に水を噴き出している様子は、シンガポールという国を想像するとき、真っ先に思い出されるものではないでしょうか。
このマーライオンは高さが約8m。背後にはシンガポールの中心街の景色が広がっており、絶好の記念撮影スポットでもあります。
思ったより水の勢いが強い!
マーライオンができたのは1964年。シンガポール政府観光局の象徴としてつくられたものなのだそうです。どうしてこんな不思議な形になったのかと思いまして、シンガポール政府観光局のサイトを見てみましたら、このような説明がありました。
バン・クリーフ水族館の館長を務めていたFrauser Brunner氏がデザインしたライオンの頭は、「マレー年代記」に記録されているように、11世紀Sang Nila Utama王子がシンガポールを発見したときに出会ったライオンを表現しています。マーライオンの尾ひれは古代都市タマセク(ジャワ語で“海”の意味)を象徴しています。このためシンガポールという名前は、王子がこの町をサンスクリット語で「シンガプラ」(シンガは「ライオン」、プラは「都市」を意味します。)と名付ける前に知られていました。そして漁村として始まったシンガポールの謙虚さを表現しています。(以上、シンガポール政府観光局のサイトより)
ちなみに、Sang Nila Utama王子とはスマトラの王子の名前で、シンガポールのもととなった村・シンガプラをつくった人の名前。タマセクは、シンガポール建設のずっと昔、この近くで栄えた町の名前なのだそうです。王子が出会い、町の名前のもとになったライオンと、この地に栄えたいにしえの海の町。マーライオンはシンガポール発祥の伝説を表現した像だったわけですね。
ところで、日本でもおなじみのマーライオンがいるのはシンガポール川の河口近くにあるマーライオン公園というところですが、マーライオンはこの像1体だけじゃないってご存知ですか?水を吐き出しているマーライオンの背後には、とてもかわいい小さなマーライオン像が立っています。
左奥に写ってるのがさっきのマーライオンで、右がミニマーライオン。ちゃんと水も出てます。
また、シンガポール本島からケーブルカーやバスなどで渡れるセントーサ島には、高さ37mの巨大マーライオンが立っています。このマーライオンはなんと展望台になっていて、階段やエレベーターで上ることもできるそうです。
これは大きい!
車と比べると大きさがよく分かります
セントーサ島のマーライオンは、ウワサでは夜になると目からビームを発射するそうです。素晴らしい。
2007年04月27日
シンガポール出張記 第3回 フランベするコーヒー
シンガポールでロイズのスタッフが食事をしたときのこと。お店のお姉さんが「ウチの店のスペシャルなコーヒーがあるんですが、試してみませんか」と声をかけてきました。珍しいものが大好きなロイズ一行は、“スペシャルな”ものと聞いたら黙っていられません。一も二もなく注文してみることになりました。
スペシャルなコーヒーは、お客さんの目の前でお店のお兄さんがつくってくれるもののようです。材料はコーヒーのほかにオレンジとライムのピール、コアントロー、コニャック、グランマルニエ。お酒はロイズのお菓子に風味付けで使ってるものも多かったので盛り上がります。

お兄さんはお酒と果実のピールを器に入れると・・・

おもむろに火をつけました!ちょっと写真だと分かりづらいのですが、結構火の勢いが強いのでびっくり。

お兄さんがお酒やピールをすくいあげてアルコールを飛ばします。もちろん火がついたままなので、炎が立ち上り、迫力があります。

カメラを向けるとポーズをとってくれたり

最後にコーヒーを注いで火を消しておしまい。これが完成したところ
飲んでみると、ちょうどアルコールがいい具合に抜けていて、フルーツのピールや洋酒の香りがたっぷり残っていて、とてもおいしいコーヒーだったそうです。洋酒を使ってコーヒーを飲む方法は世界にいろいろあるそうですが、ここまで豪快なものはなかなかないんじゃないでしょうか。
余談ですが、このお店と同じビルには日本でおなじみの有名焼肉チェーン店や、メイドカフェまであるそうです。さすがは国際都市シンガポール!
2007年04月20日
シンガポール出張記 第2回 トーマス・ラッフルズ
シンガポールの基礎を作り上げたのは、イギリス人のトーマス・ラッフルズという人物です。イギリス東インド会社の植民地経営を行っていたラッフルズは1819年、当時まだ小さな港町にすぎなかったシンガポールが地理的にとても重要な場所にあると考え、この地に近代的な港を開きました。ラッフルズの思い描いた通り、その後シンガポールは貿易によって繁栄し、アジア経済の一大中心地となっているのはご存知のとおりです。
現在、シンガポールの金融の中心地となっているシンガポール川河口付近の一帯には「ラッフルズプレイス」という名前が付けられており、国会議事堂や博物館、コンサート・ホールなどがあるほか、シンガポールで最高の高さ280mを誇る3つのビルが並んでいます。まさにシンガポール繁栄の中心と呼ぶべき眺めです!今でもラッフルズは今日のシンガポールの礎を築いた人として尊敬を受けており、ラッフルズの功績を称えてラッフルズプレイスの一角にある、彼が初めて上陸した地点の近くには全身像が立てられています。
シンガポール繁栄の中心地に立つラッフルズ像
ちなみにラッフルズは植民地経営だけでなく学術研究にも強い関心を持っていた人物で、インドネシアのジャングルの中に眠っていたボロブドゥール寺院遺跡の再発見や、世界でも最大級の花を咲かせることで有名なラフレシアなど、新種の生物の発見でも有名です(ラフレシアの学名Rafflesia arnoldii R.Br.はラッフルズと、彼に同行した植物学者アーノルドの名前に由来しているそうです)。
ところでロイズのスタッフがシンガポールに何の用があったのかといいますと、シンガポールにはロイズのお店が2店あるからなんです。だから、シンガポールでも生チョコレートをはじめ、ロイズの商品をお買い求めいただけるんですよ。お店の様子などもいずれご紹介できればと思います。
参考文献
『世界大百科事典』平凡社
2007年04月13日
シンガポール出張記 第1回 シンガポールはどんな国?
先日、ロイズのスタッフがシンガポールを訪れました。普段、涼しい北海道に暮らす私たちにとって、熱帯に位置するシンガポールはまるで別世界です。また、アジア経済の中心地として独自の発展を遂げているシンガポールはとても活気があり、中国系住民を中心にさまざまな人々が集まっていることによる独自の文化をもつ国としての一面もあります。

東南アジアのマレー半島の先端近くに浮かぶシンガポール島を領土とする、面積わずか693km²の都市。それがシンガポールです。この面積は東京23区より少し広い程度で、滋賀県の琵琶湖の面積と同じぐらいしかありません。もともとシンガポールは、シュリーヴィジャヤ王国の港町として発達。19世紀になるとイギリスの植民地となり、その後太平洋戦争で日本の占領下に置かれました。戦後、独立したマレーシアの一都市として再出発したシンガポールでしたが、1965年にマレーシアから独立し、一都市だけで国家となる道を選びました。
古くから海運が盛んだったことに加え、現在ではチャンギ国際空港が発達しており、航空の一大拠点にもなっています。日本からもたくさんの路線が出ていますので、日本からの直行便がない地域でも、シンガポールで乗り換えれば行くことができるのです。また、マレー語だけでなく英語や中国語を話せる人が大勢住んでいるので世界中から多くの企業が進出してきており、経済も発達しています。
次回から、ロイズのスタッフが見たシンガポールの様子をご紹介していきますので、お楽しみに!
2007年02月23日
ドミニカ共和国出張記 第4回・ドミニカ共和国の暮らし
谷口が滞在していたのは11月でしたが、ドミニカ共和国の気温は日中が30~35℃ぐらい。じっとしていても汗がふき出してくるような暑さでした。赤道直下なので、お昼になると足元を見ても影がほとんどできないほど太陽が頭のまっすぐ上までのぼっていきます。ジリジリと太陽が照り付けてくるので、戸外に立っていられないほどです。「暑いの好きだから、意外と平気でしたね」という谷口は、冬にさしかかった札幌にいると浮いてしまうぐらい真っ黒になって帰ってきました。そういえば、谷口が撮ってきた写真に写っているドミニカ共和国の人々は、半そでの人が多かったです。

街中の様子。涼しそうな格好が目立ちます
谷口が滞在したのは小さな町で、その町の真ん中には広場があるんですが、そこに出店が立っていました。聞いたところによるとドミニカ共和国の町にある広場には、クリスマスが近くなると出店がたくさん立つのだそうです。売られているのは栗とかぶどう、リンゴなどのフルーツ類。クリスマスには少し贅沢な食事をしようということで、みんなフルーツを買っていくのだそうです。

フルーツがたくさん!
出店と言えば、この町にはほとんどお店らしいお店がなかったのですが、町の人たちが日用品をどのようにして手に入れているかというと

こういうトラックにほうきやタワシを満載して売りに来るのだそうです。あまりに豪快な積みかたに、谷口もビックリ。
谷口は今回の滞在を振り返って「本当にみんな良い人ばかりで、町も穏やかで平和なところだったですよ。ひとつ残念だったのは、言葉が分からなかったので、せっかく仲良くなった人とたくさん話すことができなかったこと。スペイン語を勉強してまた行きたいですね」と話していました。
2007年02月09日
ドミニカ共和国出張記 第3回・ドミニカ共和国の食べもの
ドミニカ共和国で広く食べられているのは「yuca(ユカ)」と呼ばれる芋の一種。キャッサバともいい、タピオカの原料になるものです。お店に行くと山盛りで売られていて、一山が日本円にして50円ぐらいと、とても安いのです。実際に食べてみたロイズ開発担当の谷口によると、長芋のような味で、でも長芋とは違う独特な歯ざわりがあります。細かく切って、ゆでたり炒めたりして食べるもののようです。

これがyucaです
それからご飯。ご飯自体は日本で食べるものよりも細長いもので、豆をたくさん入れて食べます。料理によっても異なりますが、パラッとした状態で食べたり、ソースをかけてたべたりします。このソースにも豆がよく使われています。ドミニカ共和国の料理にはこのように豆がたくさん使われているそうです。谷口は海外に出かけて食べた食事の写真をよく撮っているんですが、確かに今回はどの写真を見ても豆を使ったものばかりでした。

豆たっぷりなご飯
主食以外は、普通の肉や野菜を食べました。牛肉は脂身が無いのにとてもやわらかくて、おいしいものでした。ただ、レストランなどで食事を注文すると、日本のレストランで言えば2~3人前ぐらいの量が出てくるそうです。「いくらなんでも、こんなに食べられるはずが・・・」とあたりを見回した谷口の目には、あっさり全部食べてしまうドミニカの人々の姿が飛び込んできたそうです。

宿泊先の近くのスーパーの様子

スーパーではその場でキャベツを千切りにしてくれるそうです
ロイズには単一の国のカカオでつくり、特徴を際立たせたチョコレート4種類を詰合せた「ロイズオリジンチョコレート」があります。4カ国の中にはドミニカ共和国のものもあるんですが、とっても特徴的な味で私も気に入っています。ぜひ、お試しください!
2007年01月19日
ドミニカ共和国出張記 第2回・ドミニカ共和国の人々
ロイズのスタッフ・谷口が訪問したのは首都サント・ドミンゴからずっと離れた、とある町。サント・ドミンゴは予想以上の大都会でしたが、谷口が訪れた町はホテルも2軒しかない小さな田舎町でした。
町の人々は、初めのうち「見知らぬ日本人がやって来た」と、谷口のことを警戒している様子でしたが、しばらく滞在しているうちに徐々に慣れてきて、「¡Hola!(オーラ:やあ!)」と笑顔であいさつしてくれるようになりました。田舎なので人々もみんな純粋で親切な人が多く、みんな常に笑顔で接してくれました。一緒に行動している人たちの中には「タニグチ!」と名前を覚えて話しかけてくれる人も増えて、谷口の中から言葉も分からず不安な気持ちがだんだん消えていきました。

谷口と仲良くなったドミニカ共和国の人
ドミニカの人たちのあいさつは、日本と違って毎朝一人一人と握手したり、ハグしたりして、言葉を交わします。毎朝、一緒に仕事をしている人たち全員とこういう丁寧なあいさつをするので初めのうちは少し戸惑った谷口も、すぐに慣れたそうです。毎日、みんなと心を通わせるドミニカ流のあいさつ、いいですよね。
ロイズのe-shopには、ドミニカ共和国産コーヒー豆を使ってつくった「コーヒーチョコレート」などがありますので、ぜひご覧になってください!
2006年12月27日
ドミニカ共和国出張記 第1回・ドミニカ共和国はどんな国?
先日、ロイズの開発担当スタッフ・谷口が中央アメリカのドミニカ共和国に出張してきました。このブログでは、谷口が見て、聞いて、食べてきたものをご紹介していこうと思います。
